第4話 急変。
ショウがやって来ても、私の気力が戻るまでにはそれなりに時間がかかった。しかし、ショウがいなかったら、私はあのまま死んでしまっていただろう。夫婦とは違うパートナーシップ、それをショウが教えてくれたのだ。
「ショウ、来てくれてありがとう」
と、彼を起こさないようにつぶやいて、床に就いた。
生き物の「イヌ」の寿命も20年前後だったと記憶している。ショウもやはり20年近くそばにいてくれているので、あちこちガタが来るのだろうか、なんとなく調子が悪そうな日が増えてきた。散歩に出かける様は、まさしく「老犬と老人」であった。
ショウは朝一番で、自己診断システムを動かすため、私が起床する10分前に動き始めるように設定している。自己診断システム作動中は、それ以外の機能が一旦停止してしまうため、システム作動時間の10分間、私より早めに起きてもらっているのだ。
このまま、お互いに静かに年を重ねていくのだろう、と思っていたある夏の日だった。
「ショウ、おはよう」
と声をかけるが、ショウの応答がない。いつもなら
「おはようございます、浩司さん」
と返事をしてくれるのだが。おやっ?と思い、私のベッドの横にある、彼の充電ブースを覗いてみる。どうも寝坊しているようだ。
「あははっ。ショウも寝坊することがあるんだ」
と寝ぼけた頭で考えていたが、私の目が覚めてくると、
「ロボットなのに、寝坊するわけないだろう!」
ということに気づいた。もう一度ショウを見てみる。本当なら「休息モード」なので、目は青いはずなのだが、オレンジ色になっている。「お仕事緊張モード」だ。何かおかしい。
とりあえず起こしてみよう、と思った。自分が転倒しないように気を付けながら、慎重に身体を起こして、ショウの前に腰を落とし、身体をトントンと強めに叩いてみた。
「ショウ、どうしたんだ?寝坊なんて珍しいじゃないか?」
「う~ん、ご隠居はん、もうちょっと寝かせてくださいな」
「おいおい、『ご隠居はん』だなんて、上方落語の夢でも見ていたのか?」
「上方落語と言えば、第二次世界大戦後にはその火が消えかかってたんだっせ。その火をかろうじて受け継いだのが、上方落語の四天王と言われる笑福亭…ショウ…ショウフ…〇△◇×」
彼は訳の分からないことを言いだしたかと思ったら、突然意味のある言葉を発することができなくなった。と同時に、全身をギューッと伸ばしたか、と思うとガクガクと規則正しく4本の脚が震え始めた。目の色も、どんどんと変化している。
「たいへんだ!ショウがけいれんしている!」
と驚いた。
「大変だ!どうしたらいい?そうだ!救急車!救急車!」
大急ぎでベッドの枕元に置いていたスマホをつかみ、119番に電話をした。
「はい、こちら大山広域消防本部です。火事ですか?救急ですか?」
「きゅ、きゅ、救急です!救急です!」
「救急ですね。患者さんの年齢と性別を教えてください!」
「えーっと…」
年齢はおおよそ分かるが、ショウはロボットだ。性別は存在しない。ようやくそこで自分の間違いに気が付いた。救急車は人間用だ。イヌ用でもなければ、ロボット用でもなかった。
「あぁ、大変すみません。かわいがっていた介護ロボットが急におかしくなったので、慌てて間違い電話をしてしまいました」
「本当に病気やけがをした「人」はいませんね?」
「はい、いません。慌ててしまいすみません」
「大切にしているロボットなんですね。慌てられたんですね。了解しました。適切なところへの連絡、お願いします」
消防隊の人には申し訳ないことをした。叱られなくてよかった。慌てていたとはいえ、ひどい勘違いをしたものだ。
ショウはまだけいれんが続いている。説明書にトラブルシューティングが載っていたはずだ。そう思って立ち上がろうとするが、ショウが手助けしてくれなければスムーズに立ち上がれない。這って机に向かい、机を支えにして立ち上がり、椅子に座る。PCを開け、PDFファイルから取扱説明書を探した。整理されていないファイルから説明書を検索し、ファイルを開けようとした。
「あれ?開かないぞ?」
開こうとしても、開かない。またここでトラブルシューティングだ。急いでいるときほど、物事はうまく進まない。
検索入力に「PDFファイルが開かない」と入力した。すぐにAIが応答してくれた。
「現在無料で配布されているPDFファイルリーダーは、2035年以前のファイルは開くことができません。有料版を購入する必要があります」
何だ!IT関係のものは、技術の進歩が速く、いつも数年たつと使えなくなってしまう!非常に不便だと腹が立つ。紙やパピルス、石板みたいなものは、読み方さえ身に付ければ、何千年経っても読めるのに、ソフトウエアなんて、OSがバージョンアップするたびに使えなくなって、新しいものを用意する羽目になる。便利なんだか不便なんだか分からない。
「しょうがない。有料版を購入しよう」と「有料版」をクリックしてダウンロード、何とか説明書が開いた。
トラブルシューティングを探して読んでみる。
「異常動作を認めた際には、本体を左側に倒し、腹部のカバーを開け、コントロールキーボードを開放します。そして「ctrl」キーと「Alt」キーと「Delete」キーを同時に押してください」
「なんだ!この操作だけ古いままじゃないか?!ビル・ゲイツ自身が、『後悔している』といった設定じゃないか!まぁ、慣れているといえばそうなのだけど」
ととモヤモヤしながら、けいれんしているショウを左に寝かせ、カバーを探した。普段の姿勢ならわかりづらいが、確かにこの体勢だとカバーがあることが分かった。指示通りにカバーを外し、指示通りに操作した。
けいれんは止まったようだ。だが、動きそのものも止まってしまった。どうなっているんだ?説明書を再度確認する。
「『再起動』を行なうと、BIOSが起動し、その後OSが起動します。正常に起動した場合は「目」の部分が青く点滅します。オプションの種類によりますが、1~2分で「再起動」の動作が終了し、「こんにちは」と声を出します」
と書いてある。けいれんは止まったが、うまく再起動が行なえていないようだ。再起動がうまくいかない場合のトラブルシューティングはどうなっている?
「『再起動』を行なっても正常に再起動が行なわれない場合は、弊社サービスセンターにご連絡ください」
あぁ、困った。ショウを作ったメーカー「Dull」はたしか、8年ほど前に、介護ロボット部門を「サン・スタンド・マニュファクチャリング」に売却し、「Sun-Dull」とメーカー名が変わっていたはずである。なら、「Sun-Dull」の最寄りのサービスセンターを探さなければならない。また「検索」である。
「大山町に近いSun-Dullのサービスセンター」
と入力する。何だ。大山町にあるじゃないか。「大山サービスセンター」をクリックすると、チャット画面が表示された。このチャットもAIで動いている。そういう点では便利なものである。昔のようにカスタマーセンターに電話をかけ、何十分も待たされることがなくなったからである。
「ありがとうございます。Sun-Dull 大山サービスセンターです。ご用件を伺います」
「今使っているイヌ型介護ロボットの具合が悪いのです。急ぎで修理をお願いします」
「承知しました。では型式をお知らせください」
慌てて、PDFファイルの表紙を確認し、型式を入力した。
「Dull社製のものですね。担当のスタッフにチャットを切り替えます。このまましばらくお待ちください」
と表示され、しばらくすると新しいチャットが届いた。
「大山サービスセンターの技術部 責任者の高井と言います。どのような不具合ですか?」
「最近、自己診断システムを使うことが多く、どこか悪いのだろうかと気にしていたのですが、今朝、急にけいれんを起こしました」
「けいれん、ですか?」
「はい、人間や動物がけいれんするのと同じように、四肢をガクガクさせて、コントロールができなくなったのです」
「あぁ、なるほど。確かに「けいれん」のように見える動作ですね」
「はい、それで、マニュアルに書いてあった「再起動」を行なったところ、全く動作しなくなりました」
「そうなのですね。それで修理を依頼、ということですね」
「はい、そうです。」
「弊社の製品ではありますが、何しろ20年ほど前の製品ですので、現在の製品の診断システムとは異なる診断システムを使う必要があります。幸い、こちらには旧診断システムが保管されていたと思いますが、セッティングが必要です。お急ぎですか?」
「お急ぎですか?」と問われて、ムッとした。ショウは私にとっては家族なのである。家族の一大事に「お急ぎですか?」はないだろう。
「はい。この子は私の大切な家族です。家族の不具合を平然と見ていられますか?」
「これは失礼いたしました。不快な言葉遣い、お詫び申し上げます。旧診断システムを扱える者、その形式の診断、修理が可能な技師は、弊社では私くらいしかいないのではとおもいます」
「えっ?そうなんですか?」
「お客様、弊社のロボットを長くお使いいただいていますが、OSをはじめとする様々なシステムが数回、大きく変更されておりまして、古いシステムの知識を有する技術者はほとんどが定年退職しております。大変お急ぎのようなので、すぐに古い診断システムの立ち上げを行ない、わたくしが対応いたします。」
「それは助かります。家族の一大事に、どうしようかと途方に暮れていました。」
「お客様、介護ロボットをお使いなので、お身体も不自由なところがあるかと推察します。なので大変ご苦労を掛けると思いますが、本体と一緒に、3時間後をめどに、こちらにお越し願いますか?」
「わかりました。無理を申し上げました」
「受付には連絡をしておきます。技術部の高井を呼ぶよう申し付けください」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
こんなこと、奇跡に近い。こんなに近くに修理できる技術者がいてくれたのだ。
「ショウ、よかったな。もう少しの辛抱だからな。きっといつものように元気になるよ」
とショウに、いや自分自身に言い聞かせた。
しかし、動かないショウは重い。私一人では何とか玄関先まで引きずっていくのがやっとだった。有人タクシーを呼んで、運転手さんにも手伝ってもらい、何とかショウを車に乗せることができた。
今のタクシーは、ほとんどが自動運転で運転手がいないため、運転手がいる「有人タクシー」は割高である。しかし、今回はありがたかった。
車で20分ほど走ると、大山サービスセンターに到着した。受付の方に高井さんの名前を伝え、ショウはサービスセンターのスタッフが、修理用ブースに運んでくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます