第2話 悪い冗談であってほしい。
ショウが我が家に来たのは、妻の祐子が私たちを残して旅立ってしまったことが理由だった。
彼女の姿を初めて見たとき、「『天使』って本当にいるんだ」と、鳥肌が立ったことを今でも覚えている。客観的に見れば、もちろん、普通より少し奇麗めの女性であった。しかし、私にとっては「天使」あるいは「天女」のように思えた。
真剣に仕事に取り組むまじめな表情、少しいたずら好きで、いたずらが成功した時の少女のような笑顔、人と接するときのあの優しい声色、周りの人への気配り。お酒好きで、時に失敗するのが玉に瑕だったが、私は、この「天使」に、いつまでもそばにいてほしいと心から願った。
お互いにお互いを必要とする関係になるのは奇跡だと思った。二人とも晩婚であったが、息子と娘にも恵まれた幸せな時間だった。もちろん、夫婦げんかもしたし、親子の衝突もあったのは「家族」としては当然だった。
子どもたちも無事に育ち、これからは夫婦二人で過ごそう、仕事も少し減らそうと思ったときに、彼女を病魔が襲った。病気は肺癌。タバコも吸わず、呼吸器のリスクのない彼女であったが、そういう人にも肺癌はやってくる。
前兆はあった。あの年の夏は、確かに暑かったが、例年以上に彼女の夏バテがひどかったのだ。
「なんだか、身体がだるくって…。」
「俺たちも年だなぁ」
と呑気に答えていた私を今も後悔している。しかし、あの年の春に二人で受けた市民健診では、二人とも「異常なし」の結果だったのだ。まさかそんなに急に病気が進むなんて思いもよらなかった。
そんな毎日を過ごしているうちに、彼女は
「頭におできができて痛いの」
と言い始めた。触ってみると硬い感じで、膿が溜まっている感じではなかった。
「膿が溜まったら病院に行って切開してもらったらいいよ」
と彼女に伝えたが、普通の「おでき」なら数日で「膿が溜まる」か、「治癒するか」の経過をたどるのだが、彼女のできものは良くも悪くもならなかった。なんだか変だ、と思っていた。
異変に最初に気づいたのは、半年ぶりに帰ってきた娘の祐奈だった。
「お母さん、顔がむくんでいない?お父さん、どう思う?」
「えっ?そうかなぁ、あんまりよく分からないよ」
「もう、お父さんはいつもそう。お母さんが髪の毛を切って来ても全然気づかなかったでしょ。たまに気が付くときは1週間ぐらいたってから『あれ、髪の毛、切ったの?』って。お父さん、お母さんのことが大好き、っていう割には、変化に気づかないのよね!やっぱりお母さん、どこか悪いのかもしれないよ。明日病院に行こう!」
毎日顔を合わしていたからか、彼女の顔がむくんでいることに全く気付かなかった。彼女自身も祐奈に言われるまで、あまり気にしていなかったようだ。しかし、祐奈が「病院に行く!」というなら、そうしなければ彼女が納得しない。それに、祐奈の言うように妻の顔がむくんでいる、ということなら、結構な重病が隠れていそうだ。急に心配になって来た。
翌日、健診を受けたかかりつけの病院を受診した。「顔がむくんでいる、と娘が言う」と長年のかかりつけ医、竹中先生に伝えると、血液検査、尿検査とレントゲンを撮ってくれた。
検査結果が出た、とのことで診察室に呼び込まれた。いつもは笑顔の竹中先生が、厳しい顔つきで画面を見つめていた。診察室の雰囲気がいつもと違っていたことを覚えている。
「田中さん。祐子さんの尿検査は問題がなかったのですが…」
と先生が何かを言いづらそうにしている。
「画面に、春の健診のレントゲン写真と、今日の写真を出しています。この部分ですが…」
と、ペンを持った先生の手が写真に伸びていく。
「今日の写真だと、1.5cmくらいの、なんかモヤッとしたものがありますよね。でも、健診の写真では写ってないのですよ。もちろん、健診の写真はAIで画像チェックをしていましたが、私の目でも、AIでも、特に異常は見つかっていないんです」
「先生、この『モヤッとしたもの』って何でしょうか?」
「1枚のレントゲン写真で、すべてがわかるわけではないのです。ただ、少なくとも『何か』が起きていることは確かだと思います。大きな病院で精密検査を受ける手配をしましょう。呼吸器の病気なら、この地域では山の手の方にある『安松赤十字病院』に高名な先生がそろっているので、紹介状を用意します。予約が取れたら、ご連絡を差し上げるので、紹介状と予約票をこちらの受付に取りに来ていただき、受診してください」
いつもとは違う竹中先生の緊張した口調に、「何かとんでもない」ことが起きていると感じた。
安松赤十字病院は、もともと結核のサナトリウムだったようだ。その流れを汲んでいるので呼吸器の疾患では評判が高いと聞いたことがある。
待合室で祐奈に
「祐奈、竹中先生が「安松赤十字」にお手紙を書いてくれるそうだ。精密検査が必要だって。先生、いつもと違って、険しい顔をしていた。祐奈の言う通りだったよ」
「ほら、言った通りじゃない。お母さん、大丈夫?すごく顔色悪いよ。ここに座って」
「ありがとう。いつも笑顔の竹中先生が、険しい顔をしてお話しされるの、めったにないことよ。これから私、どうなっていくのかしら」
と彼女は泣きそうな声を出していた。祐奈と私で、彼女の肩を抱き、手を取って少しでも気持ちを落ち着かせようとすることが、その時の私たちにできるすべてだった。
「仕事があるから一旦戻るけど、赤十字病院に行く日は絶対伝えてね。私も行くから。お兄ちゃんにも状況を伝えておくよ」
と祐奈は言って、一旦戻っていった。息子の大地にも私から経緯を伝えておいた。
私が鈍感だったのか、病気が明らかになったからかよくわからないが、次の日から、どんどん彼女の顔はむくみが目立ってきた。
「何か、両手もむくんできたわ」
と彼女は言った。
私たち二人の食卓には、暗雲が立ち込めていた。笑顔の素敵な彼女から、笑顔が消えてしまった。私は彼女のそばにいること、彼女のそばで寄り添い、精密検査の受診日を待つことしかできなかった。
夜、床に就く。二人ともなかなか寝付けない。私の寝相が悪いことと、誰かと一緒の布団では眠りが浅くなることから、ベッドは近づけているが、それぞれのベッドで別々に寝ていた私たちだった。しかし、あの日から、お互いの手を伸ばして手をつなぎ、時にはどちらからともなく、相手のベッドにもぐりこんでは身体を寄せて、不安に耐えていた。これからどうなっていくのだろうか、と。
永遠に来ないでほしい、と思ったり、早く結論が知りたい、と思ったりしていた受診日がやってきた。大地は「どうしても仕事の都合がつかない」と、受診に付き添えないことを残念がっていた。祐奈は、彼女の言ったとおり受診に付き添ってくれた。いつの間にか、子供たちが頼りになるほど大きくなっていたことがありがたかった。
その日の診察担当の、まじめそうな印象の医師は、紹介状を確認すると、妻の身体を診察し、
「いくつか検査をさせてください。結果がそろったらもう一度お呼びします」
と私たちに告げた。彼女はいくつかの検査に回ることになった。診察室のある「診察棟」から、検査部門が集まっている「検査棟」には少し距離があったが、安松赤十字病院は、検査部門が一か所に集約されているので、検査のたびにあちらこちらとウロウロしなくてもよいのは助かった。
検査を終えて、2時間ほどは待っていただろうか。どうしても大きな病院は時間がかかる。まだかなぁ、と思っていたころにようやく彼女の名前が呼ばれた。家族3人で診察室に入室した。
「田中さん、ずいぶんお待たせしてすみません。ようやく結果が出そろいました」
「先生。すみませんが、先生のご説明、スマホで録音させてもらっていいですか?」
と祐奈が申し出た。
医師は少し笑顔で、
「もちろん結構ですよ。少し複雑な話もさせてもらうので、一度話を聞くだけでは記憶に残らないことが多いんですよ。逆に、録音してもらって、気持ちが落ち着いたところで聴き直してもらうのがいいでしょう」
と言ってくださった。
「細かいことは後回しにして、最初に現時点での診断をお話しさせてください。祐子さんは、現時点では『肺癌 ステージⅣ』です」
一番聞きたくない言葉だった。一番恐れていた言葉だった。血の気が引いて、目の前が真っ白になったような気がした。レントゲン写真では、2cmにも満たない影だったじゃないか?!それでステージⅣだって?どういうことなのだろうか?!
私もショックを受けたが、祐子はもっとショックを受けただろう。祐奈もそうだろう。
祐奈が録音を申し出てくれてよかった。その後、先生が何を言ったのか、その時の状況は今でも思い出せない。自宅に呆然としながら帰宅した後、祐奈がもう一度先生の話を聴き直しながら説明してくれたおかげで、おぼろげながら、妻の体に何が起こっていたのかを把握できた。
左肺の上の方にある、大きさが1.9cmくらいの塊が病気の本体らしいこと、左肺には「胸水」という液体が多くはないが溜まっており、この「胸水」があれば、ステージⅣ、病気としては最も進行した状態だということ。肺の病変よりも、胸の中にある、がん細胞が転移し大きく腫れたリンパ節が悪さをしているそうだ。
祐奈が気付いた「顔のむくみ」、そのあとで祐子が困っていた「両手のむくんだ感じ」は、腫れたリンパ節が、身体の上からの血液が帰ってくる「上大静脈」という大きな血管を圧迫していたことで起きていたそうだ。「上大静脈症候群」というらしい。祐子が困っていた頭の「おでき」についても、医師の見立てでは、「がん細胞」が皮膚の方に転移している可能性が高い、という意見だった。
これからの方針は、まずがん細胞の一部を手術で採取し、どのような性質の癌なのか、ということと、がん細胞の中で、どんな遺伝子がおかしくなっているのか、を調べるそうだ。手術は「胸腔鏡」というカメラを使うので傷口は小さなものになるらしい。ステージⅣでは、がん細胞は体中に広がっているので、「がんを根治」するための手術は意味がないそうだ。なので、遺伝子の異常を調べ、おかしくなっている遺伝子によって、抗がん剤を選択するそうだ。遺伝子異常が決めきれず、適切な抗がん剤が見つからない場合は、これまで使われていた、増殖する細胞を傷つけるタイプの抗がん剤を使うことになるそうだ。
「妻はあとどれくらい生きられますか?」
と思わず聞いてしまった。これは迂闊なことをしてしまったと後悔している。それを一番知りたいのは彼女である。もし彼女が「残された時間」を知りたくない、と思っているのに、彼女の前で私が聞いてしまえば、彼女が聞きたくないことを無理やり聞かせてしまうことになってしまうのに。俺は馬鹿だ。
医師は、このような場面をたくさん経験しているのだろう。馬鹿な私の質問にも、彼女の希望を失わせないように丁寧に答えてくれた。
「私の経験でいえば、『正直なところ分からない』というのが答えです。ステージⅣの肺癌の方の5年生存率はがんの種類にもよりますが、全体としては10%近くあります。5年を「治癒」の一つの目安とするので、10人に一人は、「がんを乗り越えた」あるいは「がんとともに生きている」という状態になります。もちろん、人の寿命を予想することはできません。「肺癌」という病気が「明確に命の終わり」を規定する病気ではありますが、がん保険などで具体的な数字が必要、ということでなければ、数字におびえるのではなく、治療を受けて、その「10人に一人」になりましょう。私どもも精一杯頑張ります。一緒に治療を進めていきましょう」
と言ってくださった。
医師の説明の間、彼女は青い顔をして、黙ったままだった。
一旦その日は帰宅、翌日から入院、検査と治療を進めていく、ということになった。
その日の夜、私は思い切って彼女に声をかけた。
「ねぇ、今晩は君のベッドで、一緒に寝ていいかい?」
「あら、浩ちゃんがそんなことを言うのは珍しいわね。いいわよ。でも、おイタはしちゃだめよ」
と彼女が笑顔を返す。つらそうな笑顔だ。
夜、彼女のベッドで身体を寄せ合う。もう一度、こうして彼女の体温を感じたい、と思っていると、不意に彼女が静かに、精一杯声を押し殺して泣き始めた。
「怖いよ、怖いよ。浩ちゃん。なんで私だけ?なんで私だけ?」
と繰り返している。私はただ彼女を抱きしめることしかできなかった。
翌日から彼女は、病院の人となった。
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