介護ロボットは上方落語の夢を見るか
川線・山線
第1話 穏やかに流れる日々
「どうした?何か調子でも悪いのか?」
「いえ、右後脚の関節角センサからの入力が不安定だったので、自己診断システムを走らせていたのです。ご心配ありがとうございます。浩司さん」
今では良きパートナーとなったショウが答えてくれる。もう一緒に暮らして20年近くになるか。いや、本来なら、「購入してから」というのが正しい表現なのかもしれない。
ショウは、「イヌ型介護ロボット」である。機械工学、電子工学、ロボット工学の進歩は2020年代後半からどんどん我々の生活に入り込んできた。振り返ってみると20世紀の終わり、1999年にSONYから、「AIBO」という犬型ロボットが発売されたことは一つのエポックメーキングな出来事だったのだろう。ロボットでありながら、犬のような外観、仕草をする、現在の「愛玩型介護ロボット」にも通じるものであった。多くの人が、「非生命体」である「AIBO」に愛情を持ち、メーカーサポートが終わっても、長く愛されていた。
ロボット工学、機械工学は、私のような、多少自由の効かなくなった体を抱えている人の介護を担うまでにロボットの機能を向上させると同時に、デザイン工学の進歩で、「適度に」メカメカしく、「非常に」可愛げのあるロボットを誕生させた。
介護ロボットには、「ヒト型」と、「イヌ型」に大別される。「イヌ型」はおそらく、盲導犬や聴導犬、介護犬の歴史を踏まえているのだろう。重度の麻痺があるなど、「重介護」を要求される状況では「ヒト型」を、私のように、高齢で、少し足腰に不安がある程度で、軽度の介護で済む状況では、「イヌ型」を選択されることが多いようだ。
愛玩用ロボットとなれば、それこそ種類はたくさんある。「ネコ型ロボット」と言っても、「ネコ」そっくりのものもあれば、古典マンガ「ドラえもん」のように、デフォルメされたネコ型ロボットもある。
ドラえもんは22世紀につくられた、という設定だが、「四次元ポケット」や「ひみつ道具」のほとんどは実現していないものの、「見た目ドラえもん」ロボットについては21世紀半ばにひとまず出来上がったといっても良かろう。古典マンガ「鉄腕アトム」では、原作の誕生日までに「鉄腕アトム」を作ることはできなかったが、「ドラえもん」は「間に合った」と言っても良かろう。
子どもの頃に読んだ漫画、アニメを思い出しながら、そんなことを考えていた。
「浩司さん、前回のトイレから、5時間ほど経っていますが、トイレは大丈夫ですか?」
「もうそんな時間なのか。ショウ、立ち上がるからサポートしてくれないか?」
「はい。では私の「首輪」をつかんでください」
ショウの体は、中型犬と大型犬の間くらいの大きさだ。もちろんこれも故あることで、このように「立ち上がる動作」などをサポートしようとすれば、どうしてもある程度の重さが必要になる。「小型犬」サイズでは如何ともしがたい。何らかの形で「人の助けになる仕事」をさせようとすると、介助犬や救助犬、警察犬がそうであったようにある程度の大きさ、重さが必要なのだ。
ショウの「首輪」はかなり緩んで着けられている。これもよく考えられている。動物の犬の体には当然ながら「取っ手」なんてものは付いていない。なので、いくら「イヌ型介助ロボット」とはいえ、「いかにも取っ手でござい」なんてものがついているのは無粋である。そこで、この「首輪」である。この首輪をつかんで、立ち上がりや腰かけなどのサポートをしてもらうのである。
もちろん最初はひどい抵抗感があった。実際の犬なら、体重をかけて首輪を引っ張れば非常に苦しがるからである。しかし、ショウはイヌ型とはいえロボット。頸部に荷重がかかることを前提に設計されているので、私がつかんだ首輪ごと身体を動かして前方に荷重をかけ、私の運動を支えてくれる。重心のコントロールも見事である。四肢の関節の角度センサ、荷重センサと、足底部に複数ついている荷重センサをコントロールプロセッサユニットで常にモニタリングしており、状況に応じた体の動きをしてくれる。生物であれば、このようなことをするのは「小脳」の仕事なのだが、コントロールユニットも、小脳を模したようなシステムなのだろうか、どうなのだろうか?
「よっこいしょっと。立ち上がるにも声が出るし、ショウの手助けもいるし、年は取りたくないなぁ」
「当たり前にできていたことができなくなる。喪失、という感覚はつらいですね、浩司さん」
「そうだなぁ、年老いて、できなることが少なくなって、そして死んでいくのだろうね。生き物の宿命だよ」
「浩司さん、『諸行無常』ですよね」
このようなやり取りが自然にできるのも、AI技術の進歩のたまものである。もちろん、長年一緒に過ごしているので、私の思考の傾向をつかんで、好まれそうな返事をするようにプログラムされているのだろう。しかし、見事な受け答えだ。ショウはとても知的だと思ってしまう。
そんなわけで、ショウの首輪につかまって立ち上がり、ショウを杖代わりにトイレに向かう。外出の時は、盲導犬などに付けられているのと同じように、「ハーネス」を装着することができるように作られている。ただ、ハーネスと言っても、荷重が80kgまで耐えられるように設計された「硬い」構造となっており、現実的には「自動的に動きに合わせてくれる『杖』」の役割をショウが担ってくれているのだ。ただ、パッと見た感じでは、ハーネスをつけた盲導犬とよく似た外観となるよう設計されており、よく知らない人が見れば、「犬と散歩をしているじいさん」にしか見えないようになっている。
トイレを済ませ、自室の椅子に座る。仕事を引退したじいさんに、特別何かすることがあるわけではない。
「ショウ、ありがとう。今のところ、取り立てて用事はないから、待機モードで休んでいて」
「わかりました。名前を読んでもらえれば、すぐに立ち上がりますよ」
と言って、ショウはまるで犬が休むかのように足を曲げて、充電ブースに身体を横たえた。
しかし、技術の進歩はすごいものである。ショウの顔には二つカメラがついており、立体視を実現することで、顔認識などの「静的」な画像認識だけでなく、自動車の「安全支援装置」のように動的な危険に対しての回避能力も持っている。実はお尻にもカメラがついており、背後からの危険も察知できるようになっているが、これは実際の生物ではまねができない。
両耳からの音の位相差で、発音体の位置を認識する、ということはあの頃の技術ではまだ難しかったようで、そこは視覚に頼らざるを得なかったのだろう。
ショウにはカメラとは別に、人間との意思疎通用に、犬が本来「目」がついている位置に、ギミックの目を持っている。感情は尻尾と、ギミックの目の周りについているLEDの色で表される。くつろぎモードは青、普通のお仕事モードは白、お仕事モードで緊張が高まっている場合はオレンジ、怒っているときは赤くなる。尻尾はイヌと同じように、体幹のバランスを取ることと、機嫌を表している。目の色と尻尾を見れば、彼の気持ちが伝わってくる。多分「生物の犬」を飼っていても同じように感じるのだろう。
頭部や体幹は透明な樹脂製だが、圧をセンシングしており、頭や身体を撫でてあげると、感情は穏やかになるし、痛み刺激を与えると当然怒るようになっている。
もちろん、パートナーを怒らせようなんて思わない。ショウは今では「イヌ型介護ロボット」を超えて、大切なパートナーである。
実はこのような介護ロボット、介護保険を使うとレンタル可能なのである。ただ、介護保険のレンタルでは、長くても3年ごとに機種を変えることが義務付けられているのだ。私は今、要介護1で、ケアマネージャーの小口さんが私の担当をしてくださっているのだが、この「3年ごとに機種変更」のことを尋ねても、どうしてそのような規則になっているのか、ご存じないそうだ。国としては「最新機種」を使ってもらうことを意図しているのだろうか?そう考えれば、ロボットメーカーと国の癒着ではないか、と思わなくもない。
確かに「最新機種」を使うことで、サポートの質が上がったり、内蔵のシステムも最新なので、電子的セキュリティーもより安全なのであろう。IoTの時代であり、どこから悪意あるハッカーが侵入してくるか分からないのは確かだ。でも、この介護ロボット、常時ネットにつながっているわけではない。メーカーからの緊急修正が入らなければ、週に1回、30分程度の接続のみである。定期的なOSのメインテナンスと、システム自己診断の結果報告を行なうだけである。
とにかく、ショウを息子が買ってくれた時は、一つは介護度が低かったことと、個人的に「3年ごとに機種交換」のルールが気に食わなくて、「自費購入」としたわけである。
今のショウとの関係、もちろんショウはAIなので、彼が何を考えているのか、いや、「考える」という行為を彼が行なっているのかどうかも分からないが、少なくとも、私にとっては、彼が我が家に来てからの長い時間が、彼との深い信頼関係を作っていると思っている。
椅子に座って机に向かい、いつものようにPCに向かう。ふと横を見ると、PCの横にいつも置いてあるフォトスタンドが目に入った。
「…祐子…」と私はつぶやいた。
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