第2話 異世界

 途端に消えた意識が、徐々に甦ってきた。

 母親を呼ぶ幼い子供の声、美味しそうな焼いた肉の匂い、少し肌寒い空気…

 次第に感覚は研ぎ澄まされていき、重い瞼をいよいよ開ける時が来た。


「ママ! あの人なにやってるのぉ?」


 10歳くらいの少年が俺に指をさして母親らしき女性に聞いている。彼と目が合うと、手を振ってきた。なんとなく俺は手を振り返した。

 少年の手の先には母親の手があり、母親は、見ちゃダメ変な人なの、と俺を変な人呼ばわりしてどっか行ってしまった。

 変な人か、と物思いに耽っていると、自分の立場が漸く理解できた。

 俺はこじんまりとした飲食店の入口横に、いつからかは分からないが、目を瞑って突っ立っていたのだろう。

 俺は一体全体どこに来てしまったのだろう、と考えていると、目の前に不思議な画面が突如として現れた。


 ステータス? 名前? スキル?


 ステータスと大きな文字で書かれた表の一番上には名前の欄があり、自分の名前が書いてある。次いで、スキル創造…?

 ゲーム中の主人公の能力一覧みたいな画面だ。RPGとかで見た記憶がある。

 友達の家で色々と遊んだなぁ。もちろん俺の家にはゲームなんて高価なものはない。

 よく見ると名前の横にレベルが書いてある。Lv.1…まぁ、当然だろう。

 友達の家で見たアニメには転生したばっかりなのにLv.100とかなってたような気もするが…現実と作り物の差ってやつだ。


 色々と考えていると、横の扉が軋む音がした。刹那、ゲームのような画面は静かに閉じられた。


「ちょっとアンタ、さっきからなにやってんの! 客がビビって入ってこないじゃないの!」

「え? 私ですか?」

「アンタ以外に1時間も店の前で突っ立って微動だにしない変な人、どこにいるんだい! いい加減ここからどいてちょうだい!」


 すみせん、と頭を下げてとりあえず店に面した通りに出た。そのまま立ち止まっていてもまた変な人呼ばわりされてしまうため、人の流れに身を任せてみることにした。


 はて、ここはどこだろう……


 皆、服装が独特だ。革製の鎧みたいな服を着ている人もいるし、見るからにメイド!って格好の若い女性もいるし…


 ―――秋葉原?


 秋葉原にしては普通の人がいなさすぎるだろ。誰か1人くらい現代っ子がいても…ね?

 皆、1人残らずコスプレしているなんて有り得ない、でしょう。


「異世界…か…?」


 特に意識もせず、その言葉が口から出た。言った自分でも驚いたが、案外的外れではなさそう。

 建物は煉瓦や石などで作られている家が多いし、誰もスマートフォンをいじっていない。

 現代にあっていいはずのものが何も無いとなれば、即ち、ここは異世界、か。


 被服店だろか、大きな姿見が置いてある。店の前に並んでいるのは、赤地に白字でSALEと書かれた看板と、売れ残ったでろう服であった。

 人の流れを途中で抜け出し、被服店に立ち寄った。鏡の前に立つと、俺はトラックに轢かれた時の格好とお同じだった。血や汚れは全くない。

 黒のジーンズに白い無地のTシャツ。いかにも大学生って感じの服装。

 しかし、この世界では異様なのだろう。物珍しそうに通行人は俺を見る。人に注目を浴びるのが苦手だ。

 一刻も早く新しい服を買って、着替えたいが…

 ズボンのポケットに手を入れてみたけれど、空だった。スマートフォンも財布もない。


 突然、知らない世界に放り出されても、無一文でどうしろっていうんだ。鏡の前で後頭部を思いっきり搔きむしった。ボサボサ頭の若造が目の前に立ち尽くしている姿はあまりに滑稽だ。


 どうしろっていうんだ、無一文で!


 心の中で騒ぎ立てながら鏡を見る。ふと、鏡の中の俺の後ろにいる人物に目がいった。金属製の鎧を着ていて、腰に剣を備えている。騎士のような出で立ち。すす汚れた銀色からは貫禄が垣間見えた。

 そしてその隣には緑色のハチマキを巻き、茶色い革製の鎧を着た男性。腰には短剣を備えて、意気揚々と話し込んでいる。


「冒険者…? そうだ、冒険者だ!」


 鏡の前で大声をあげると通りの人々が一斉に俺を見た。とても冷たい視線だった。所謂、変な人って目。

 思わず口を両手で覆って、逃げた。顔面が熱くなるのが分かった。


 5分ほどだろうか、俺は全速力で走った。奇怪なものを見る目から逃げるには十分だった。

 落ち着いて深呼吸し、息を整えた。

 忘れてはいない、冒険者だ、冒険者。まず冒険者になれば金は稼げる。少額でも地道にコツコツやっていけば食べ物と服ぐらい帰るだろう。

 しかし、冒険者の集まる場所—ギルドがどこにあるのか分からない。そもそもギルドという言葉、建物自体がこの世に存在するのかどうかも分からない。ここは恐らく異世界だが、確信がない。

 この世界に来てから恥しかかいてないから、変な自身が胸の奥に湧く。もう一度恥をかくつもりで俺は適当に話しかけた。


「あの、すみません。」

「はい?」

「冒険者…ギルドって…あります?」

「ギルドなら、そこをすぐ曲がった先にありますけど…」


 なんということでしょう。絶対にここは異世界だ。冒険者ギルドがあるとは。


「あ、ありがとうございます!」


 何度も頭を下げてお礼を言った。ギルドへの道を教えてくれただけではなく、この世界が異世界だと言ってくれてありがとう、の意味も込めていた、ような気がする。

 相手は道を教えただけなのに、って眉をひそめながら、どういたしまして、と言う。


「で、では、この辺で」


 相手は小走りで、時々振り返りながら人混みに紛れた。彼の後ろ姿が見えなくなった時、俺は歩みを進めた。

 角を曲がり、それはすぐに見つかった。


 —国立アルタド冒険者ギルド—


 ギルドの入口前で大きな看板を見上げると、早くなった心臓の鼓動が耳に響いた。走った後だからなのだろうか。


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