119話 10年ぶりの故郷

 暑さでうだる夏がやって来た。

 店先に並ぶ向日葵や桔梗たちが鮮やかに彩っている。


「今日も暑いですね」


 どうやら暑さは苦手なようで、最近の浬はかなりしんどそうだ。それに、浬がホームページを立ち上げてくれたおかげもあって、店の注文は順調に延び始めている。そのせいで、まとまった休みもないから疲労が蓄積しているのも原因のひとつだった。


「浬、8月になったら一週間ぐらい店を休みにしようと思ってるんだ」


「えっ!? マジですか!!」


 浬の表情が一気に変わる。さっきまで生気を吸いとられたような有り様だったのに、今は目を輝かせて生き生きしていた。


「最近忙しくて休みも定休日ぐらいしかなかったからさ……たまには一週間ぐらいのんびりしてもバチは当たらないだろう」


「嬉しいです! 狭山さん、ありがとうございます!!」


 まるで子犬が尻尾を振っているような浬のはしゃぎように拓は思わず笑みを溢す。前に出会った浬は年齢のわりにひどく大人びていて、苦しみをひとり背負っているという風貌だった。けれど、新しい未来を生きる浬は素直に感情を表現してくる愛されキャラだ。これが本来の浬の姿なのだろうと拓は心の隅で思った。


「一週間もあるなら旅行でも行こうかな」


 どうやら浬には彼女ができたらしい。やたらスマホを見ては嬉しそうににこにこしていることが増えた。


「楽しんだらいいよ」


「狭山さんはどこか行くんですか?」


 その質問に笑みだけ浮かべて、何も答えなかった。


「なんか意味深ですね」


 いつもなら、こんな曖昧な返しをすると答えを聞くまで食い下がらない浬だったが、今は休みのことで頭がいっぱになっているようだ。特に突っ込むこともなく、仕事へと戻っていく。

 拓は壁にかけられたカレンダーに目を移した。

 花屋を実現させるためがむしゃらにやってきたから、毎年行っていた両親の墓参りにはこの10年行けていない。昨夜、陽子にその事を指摘されてしまい、休みをつくろうと思い立ったのだ。


(10年も行けてなかったからな……)


 10年も放置されたお墓はさぞかし荒れているだろう。長い間放って置いてしまった両親のことを考えると申し訳なさでいっぱいになる。

 きっと一日がかりのお墓参りなにることを予想し、拓は気合いを入れた。


 そして8月に入り、拓はひとり電車に乗り込む。掃除道具一式を詰め込んだ大きな鞄と、自分の店で用意した花束を抱えていたため、涼しいはずの車内でもじんわりと汗が滲んだ。

 電車に揺られていると、最後に来た時のことが景色とともに蘇ってくる。アキもいて、満里奈や博、文也もいた。


「アキと会ってなかったら、みんなを連れて墓参りなんて有り得なかっただろうな」


 アキをきっかけに拓の人生は大きく変化し、それは今も続いている。本来なら10年前に終わっていた人生。朝起きる度に新しく始まる一日は拓にとってかけがえのない未来なのだ。


(アキ……お前の未来はどんな風に変化したんだ?)


 今もまだ雛梨には会えていない。お互い連絡先を知らないのだから仕方がない。

 本当なら雛梨の母親と拓の命日が同じというきっかけで、満里奈と出会ったことから始まった運命の始まり。しかし、拓が生きる未来ではその出会いは当然もう起こることはない。

 もしかしたら、このまま出会うことなく違う未来を歩む可能性は大いにあった。


(そろそろ諦めた方がいいのかもしれないな)


 こんな結末になるのかもしれないとどこかで予想はしていた。それでも待ち続ける選択をしたのは、アキの残した言葉を信じてきたからだ。もしも偶然どこかで出会えたのであれば、アキとは強い運命の中で繋がっている。そんな淡い夢物語を拓は望んでいたのかもしれない。


(いい年なんだからもう現実を見なきゃだよな……)


 陽子ももう若くない。できれば陽子が元気なうちに結婚して孫の顔を見せてあげたい。

 だから、このまま待ち続けるのにも限界がある。早く現実を受け入れなくてはいけないと、拓は思い始めていた。

 そんなことを考えていると、拓の目指す目的地に到着した。

 変わらない海からの潮風が心地いい。10年前に来た時とあまり景色が変わっていないことで余計に懐かしさが濃く現れる。


「そうか……もうやめるって言ってたもんな」


 拓が見つめる先には、前ならば養護施設が建っていた。しかし、今はもう更地にされ何もなくなってしまっている。短い間ではあったが、自分が過ごしていた場所がなくなってしまうのを見ると少しだけ寂しさを覚えた。

 拓は名残惜しむように背を向け、先へと歩き出す。


「あれ?」


 10年ぶりにやってきた両親のお墓。草むしりをする人もいないから、雑草で鬱蒼としているに違いないと思っていた。だが、拓の予想ははずれて終わる。

 雑草は綺麗に刈られ、お墓も誰かが手入れしてくれたのか綺麗に磨かれていた。


「一体どうして」


 自分以外ここへ来る人はいない。そう思い込んでいたから、その光景を拓は信じられないという表情で見つめた。

 よく見るとお墓には綺麗な花が供えられている。しかも、線香からはまだ煙が上がっていた。


「まだ近くにいるのか?」


 拓は辺りを隈無く見回す。同じように墓参りへやってきた人は何人かはいるようだが、その中の誰かがやったとしても拓には分かりようはなかった。


(誰かが荒れ放題のお墓を見兼ねて親切心で綺麗にしてくれたのかな)


 だとしたら、その人にやらせてしまったことを申し訳なく思ってしまう。

 拓は備えられた花のとなりに自分が持ってきた花束を供える。


「母さん、父さん……10年も来れなくてごめんな。けど、俺……生きてるよ」


 お墓の前にしゃがみ手を合わせ、目を閉じた。


「ちゃんと生きて……母さんと父さんの分まで精一杯頑張るつもりだから」


 視界を閉ざしたことで周りの音がクリアになっていく。風の音、誰かの話し声、そして誰かが近付く足音。

 拓は自然と目を開き、ゆっくりと後ろへと振り返った。

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