118話 変わりゆく未来の中で

 動揺で手が震えそうだった。嬉しさで相手に抱きつきたいとも思ってしまう。

 だが、相手は拓のことは知らない。なんとか平常心を保ち、拓は店員として振る舞った。


「まだ大丈夫ですよ。どんな花束を希望でしょうか?」


「えっと、希望とか特にないんですけど……俺、花とか詳しくなくて」


「だったら、その花束の目的とかを教えていただけますか? 誕生日とか何かのお祝いとか」


 そう尋ねると、浬は少しホッとしたような笑顔を見せる。


「実は俺の姉が今年結婚することになったんです。それで家族でお祝いしようってことでこれから食事に行くんですけど、一応プレゼント用意した方がいいかなって思って……けど、姉に改めて何か渡すっていっても思い付かなくて困ってたらこの花屋を見つけたんです。なので、結婚祝いに似合いそうな花束を作っていただけると有り難いです」


 浬が恥ずかしそうにしながらも、どこか嬉しそうに話す仕草に拓はさらに胸が暖かくなる。そして、復讐という渦に飲み込まれてしまったあの鴇が今は幸せであることが何よりも嬉しい知らせだった。


「それはおめでとうございます。なら、精一杯素敵な花束を作らせていただきます!」


「予算は5千円くらいでお願いできますか? 俺まだフリーターなんでお金があまりなくて」


「分かりました」


 拓は鴇に何もできなかったお詫びと、浬に対しての感謝を込めた花束を用意した。

 出来上がった花束の豪華さに浬は少し戸惑ったような顔をして拓を見る。


「えっと、これで本当に5千円なんですか?」


 それもそうだ。白と青の薔薇をふんだんに使い、そこにかすみ草やガーベラ、スターチスを散りばめた。普通なら5千円では買えない大きな花束。


「当店を選んでいただいた感謝も込めて少しサービスさせていただきました。どうぞ、受け取ってください」


「なんか逆に申し訳ないです……けど、ありがとうございました」


 深々と頭を下げる浬。感謝したいのはこちらの方だと拓は言いたかったが、ぐっと我慢した。


「では、楽しい夜を」


 浬はもう一度お辞儀をして店を出ていこうとする。しかし、何かに気が付いたように足を止めた。視線の先には求人ポスターが貼ってある。


「正社員も募集してるんですか?」


「はい。出来れば今後ネット販売にも力を入れたいんで、パソコンに詳しい人がほしいところなんですがなかなか花屋で働きたい人がいなくて困ってるんですよ」


「そうなんですか」


 浬はまた出口へと足を向け出す。だが、また立ち止まり拓の方へと振り返った。


「親にそろそろ定職に就けって言われてて、けど俺夢とかなんもなくて……こんなんですけど、俺パソコン得意なんですよ。花とか詳しくないし、接客経験あんまりないですけど面接受けてみてもいいですか?」


「え?」


「この店居心地良さそうだし、店長いい人だし……これが動機ってやっぱりダメですかね?」


 予想外の展開に拓はなかなか返事ができない。浬は断られると思い込んだようで慌てて頭をペコッと下げた。


「変なこと言い出してすいませんでした! 忘れてください!」


 出口へ体を向ける浬を見た途端、拓は我に返り叫んだ。


「ちょっと待って!」


 拓の頭の中に浬と交わした会話の数々が過る。


「君とならいい友人としても付き合っていけると思う。だから、面接に来るのを待ってるよ」


 そう告げると、浬はうれしそうにはにかむ。


「俺も……なんとなくそんな風に感じたんですよね。ありがとうございます……また来ます」


 浬と再び会える喜びと、今度こそ仲間として歩める嬉しさに拓はいつまでも去っていく浬の背中を見つめた。


 それからまた月日は流れ、再び夏が近付いてくる。夏に移る前に地面を洗い流す梅雨の季節、拓は浬と協力しながら懸命に花屋を続けていた。

あの日をきっかけに浬は花屋で働き出し、今ではすっかり打ち解けた関係だ。


「狭山さんって恋人とか作らないんですか?」


 不意に浬が放った質問に、拓は動揺のあまり噎せる。


「何言い出すんだよ」


「いや、純粋に疑問に思ったんですよ。だって、狭山さん28歳ですよ? 彼女のひとりやふたりいたっておかしくないのに、休みなく花屋で働いて……俺としては心配なんですよ」


 浬と一緒に働きだして半年、そう心配されてもおかしくはない。俺を訪ねてくる客と言えば、たまに顔を見せてくれる博と文也で、女性に至っては母親の陽子だけだ。これだけ女っ気がないのは浬にしてみれば不思議でしょうがないのだろう。


「もしかして過去にひどい失恋をしてるとかトラウマ的なものでもあったりするんですか?」


「トラウマね」


 拓はふっと笑みを溢す。


「まあ、似たような理由かもしれないな……俺には忘れられない彼女ひとがいるからね」


「えっ!? そうなんですか!! どんな人ですか!?」


「恋の話は後にして、店開ける準備するぞ!」


 よほど拓の恋ばなが聞きたかったのか、話を中断された浬は見るからに膨れっ面をする。そんな浬の姿に笑いが込み上げるも、すぐに頭を切り替えた。


「よし、今日も一日頑張るか」


 店の扉にオープンの札を下げる。


「おはようございます!」


 拓の目の前に、見慣れた顔が飛び込んできた。とは言っても、それは拓だけの話。


「おはよう」


 拓の横を通りすぎ、また別の誰かに挨拶をする彼女を暖かく見守る。

 今年になってこの付近の高校に通い出したのか、毎朝顔を合わすようになった。


「今日も元気そうだな……姫」


 なんの関係もない赤の他人。それでも幸せそうにしている姫を見ることができただけで拓の心は満たされていく。


「狭山さん、あの子知り合いですか?」


「いや。全然」


「俺、あの子とどっかで会った気がするんですよね。どこだったかな?」


 浬にとっても姫はもう他人に近い関係だ。ドリーム・レボリューションズ社がなくなったことで、隼夫婦と樋渡さんとの交流は終わってしまったのだろう。


「世間は狭いから……もしかしたら、どこかで会ったことがあるのかもしれないな」


 今は交わることのなくなってしまった関係に寂しさも感じるが、それぞれ確実に幸せな未来へと歩み出している。それは彼女も同じなのだろう。

 拓はどこかで幸せに暮らしているであろう彼女を思い浮かべながら、また店の中へと戻った。

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