115話 それぞれの道

 アキとの別れから10年の月日が流れた。

 それはあまりにも長い時間で、拓の周りの人や景色はがらりと変わったと感じられるほど。

 一年遅れで高校を卒業した拓は、そのまま地元から離れた大学へと進学した。実家から離れひとりで暮らすことになった拓を心配していた陽子だったが、それでも暖かく見送ってくれた。

 そして4年後、拓はまた地元へと戻ってきた。陽子と再び一緒に暮らしながら、就職してひたすら仕事に没頭する日々を送る。だからか、拓にとっての10年は嵐のように過ぎ去ったとも言えるのかもしれない。


「狭山さん、お疲れ様でした!」


 この日、拓は6年勤めた職場を退職した。同僚から花束を受け取り、拓は拍手が響くなか深くお辞儀する。


「6年間、本当にお世話になりました」


「これからまた大変だろうけど頑張ってくださいね」


「応戦しているよ、狭山くん」


 後輩と上司からも暖かな言葉が送られ、拓は満面の笑みを相手に向けた。


「はい、ありがとうございます! 頑張ります!」


 拓は名残惜しさを感じながらも、勤めてきた会社に別れを告げる。

 外へと出るともう辺りは暗くなり、空には無数の星がぼんやりと光輝いていた。時刻は夜の7時、まだまだ人が多く行き交う時間。拓は人の流れに紛れ、ある場所へと向かった。

 ガラガラっと音を立てながら扉が開くと、賑やかな声とともに店員の活気溢れる掛け声が飛び交う。会社が入りの男女がお酒を飲みながら賑わう、昔ながらという雰囲気の大衆居酒屋。


「いらっしゃいませ。お一人ですか?」


 若い女性の店員が拓へと駆け寄ってくる。


「待ち合わせです」


 そう答え、客で賑わう店内を見渡していると、こちらへ合図するように手を振っている人物に気が付く。


「お待たせ」


「拓! おつかれ!」


 変わらない爽やかな笑顔で迎えてくれたのは博。


「もう俺たち注文したけど、拓はなに頼む? 決まってるんなら頼むけど」


 髪の毛を切ったせいなのかイケメン度が上がった文也。


「今日はお祝いでもあるんですからお酒頼みましょう!」


 外見は大人っぽくなったが、中身は変わらない明るい満里奈。


「なら、生ビール頼むよ」


 みんな揃って集まるのは、10年ぶりだった。

 博も大学へ進学してからそのまま就職したので、ずっと地元から離れていた。満里奈と文也も同じような状況だったので、なかなか集まる機会がないまま時間が過ぎてしまったのだ。それでもこまめに連絡はとっていたので、今も昔のように仲が良い。

 アキの言っていた通り、博は弁護士になり、文也は警察官になった。しかし、ビル爆破から4年後に起こるはずだったウイルスによる悲劇が回避されたことで、満里奈の人生は少しだけ変化する。高校時代から続けていた絵が海外で評価され、今はあちこちを飛び回る人気の画家として活躍していた。


「10年ぶりの再会に乾杯!!」


 拓の分のビールがテーブルに運ばれたのを合図に、みんなは同時にジョッキを持ち上げる。ジョッキがぶつかる音が鳴り、そして乾いた喉に冷たいお酒を流し込む。この瞬間、本当にみんな大人になったんだと拓は実感した。


「みんなに会うのは本当に久しぶりだけど、やっぱり変わらないな」


 博がしみじみと言う。


「こうしてみんなで集まれたのもアキさんのおかげですね」


 満里奈の一言に拓は小さく微笑んだ。


「あ、ごめんなさい……余計なこと言いました」


「気にしなくていいよ」


 アキと最後の別れを果たしたことはみんなには話してある。だからか、それ以来みんなアキのことを会話で出さなくなっていた。10年経ったが、雛梨はまだ拓の前には現れていない。


「まだ会えてないけどさ……俺、楽しみにしてるんだよ」


 拓はジョッキに残ったお酒をぐいっと飲み干すと、みんなに満面の笑顔を向ける。


「違う人生を歩んだ雛梨とどんな風に再会できるのか……だから、俺はその日のために頑張らなきゃいけないんだ」


「拓、偉いぞ!」


 博が空気を変えるためか、拓の頭を大袈裟に撫で回し笑いをとった。


「けど、拓はすごく頑張ってるよ。リハビリ頑張って今は歩けるようになるまで回復したし……明日からとうとう夢の第一歩を踏み出すんだからさ」


「そうですよ! 拓さんは誰よりも頑張ってて偉いです!」


 そうなのだ。実は大学に通っている時もリハビリに手を抜かず頑張り続けた拓は、自らの足で立ち歩けるまでになった。先生も奇跡的で、努力の賜物だと褒めた。

 それをきっかけに拓にも夢ができた。それがとうとう明日実現する。


「と言ってもさ……小さな花屋を開いた程度で、そんな大それたことはしてないよ」


「素敵ですよ。おばさんも喜んでるんじゃないですか?」


「まあね」


 駅近くに店舗を構えたかった拓はこの6年、資金をためるために仕事を頑張ってきた。その努力がようやく報われ、満里奈の言うとおり陽子は泣いて喜んでいた。


「けどさ、どうして花屋をやろうと思ったの?」


 文也が首を傾げながら拓に問いかける。


「それは俺も思った。拓ならもっといろんなことに挑戦できたんじゃないか?」


「それはそうなんだけどさ」


 拓は何か思い出したように笑みを漏らした。


「ある子に言われたんだよね。俺は何かお店をやった方がいいって」


「もしかしてそれって雛梨ちゃんにですか?」


「よく分かったな……そうなんだ。俺が検査入院してるときに雛梨ちゃんにそんな風に言われてさ……最初は何がやりたいか自分でも分からなくて迷ってたんだけど、今は花屋がやりたいって強く思える」


 そう言ったものの、文也はまだ納得していない様子だ。


「なんで最終的に花屋を選んだのかって言われると困るんだけどさ……それもまた雛梨ちゃんがきっかけかな」


 拓の頭の中にまだ鮮明に残る記憶。10年前に時は遡る。

 アキと別れを交わして数ヵ月がたった頃、拓のもとへ予想外の訪問者が現れた。

 それは雛梨の父親・須波 幸太郎だった。

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