114話 10年後の約束

 こちらの空気などお構いなしに、子供たちはボール遊びを始める。はしゃぐ声が耳に届くも、拓の心は沈んでいく一方だ。アキもあれっきり何も話さなくなってしまい、お互いただ過ぎていく時間を過ごす。

 すると、子供のひとりが緊迫した声を上げた。


「あぶない!!!!」


 遊んでいるうちにボールが道路へと転がってしまい、それを慌てて追いかけて道路に飛び出してしまった。そこへ走ってくる一台の車。道路に飛び出した子供は唖然とその車を見つめて動かない。


「あっ……!!」


 立ち上がることができないと分かっていながらも拓は動かない足に力を込めた。しかし、拓より先にアキが動く。勢いよく走り出し、その子供のもとへと駆け寄った。

 間一髪のところで子供の腕を掴み、歩道へ引っ張り込む。勢い余って地面に尻餅をつくふたりの前を車は何事もなく走り去っていった。


「アキっ!」


 いち早くアキのもとへと行こうとした拓の脳裏に突如、忘れていた記憶が過る。

 それはまだ、脳腫瘍と診断されたばかりの頃。病院へ向かう道中、青信号に変わったのを確認してから横断歩道を渡ろうとしていた女の子に向かって車がスピードを落とさず迫ってくるのに気がついた。拓はこのままではあぶないと必死に走り、なんとか女の子を抱き上げて歩道へと逃げ込んだ。車はよそ見をしていたのか、そのまま走り去ってしまう。拓がナンバーを見ようと目を凝らしていると、女の子の声が小さく耳に届いた。


「お兄ちゃん」


「怪我はっ!?」


 慌てて振り返った拓の目には、キラキラと輝くような笑顔を向ける少女の顔が写る。


「助けてくれて、ありがとう」


 拓の記憶の中で微笑んでいる少女は、確かに雛梨だった。

 その後、どんな言葉を交わしたかまでは思い出せない。けれど、確かに拓はあの日よりも前に雛梨と会っていたのだ。


「拓?」


 子供の無事を確かめてから戻ってきたアキが小走りにこちらへと走り寄ってくる。どこか方針状態の拓を心配したようにアキはそっと拓の目の前でしゃがみ込んだ。


「どうかした?」


「思い出したんだ。アキと初めて会った日のこと……俺は車にひかれそうだった雛梨を助けた」


 アキは少し驚いたように目を見開くが、満足したような笑顔を見せる。


「やっと思い出したんだね。そうだよ……拓はわたしの命の恩人だったの。その後、わたしのことを病院まで送ってくれたのは覚えてる?」


「ごめん。そこまでは思い出せなかった」


「そっか」


 アキは優しく膝に置かれた拓の手を包み込むようにして握り締めた。


「入院中のお母さんのところへ向かってるところだったって話をしたら、拓は病室の前まで送るって言ってくれて……病院に着くまでずっとわたしの手を握って、わたしの話を黙って聞いてくれたんだ。あの頃のわたしはお母さんが入院したばかりで、友達にも話せなかったし、お父さんとも会えてなかったからひとり孤独と戦ってた。そんな時に拓と出会ったの」


 アキの瞳に涙が込み上げる。


「拓はわたしにとって救世主だったの」


「大袈裟だよ。俺、全然気の利いた言葉なんてかけてなかっただろ?」


「そうだとしても、ただ手を繋いで話を聞いてくれた拓の存在はわたしには大きかったんだよ。そして、病院でまた会った拓が病気だったって知って……わたしがいつか拓を救うんだって誓った」


 涙で濡れながらも、その眼差しは強い希望に満ち溢れていた。 


「拓、わたしはずっと拓を救うことだけを考えて生きてきた。だから信じてほしいの……どんなに世界が変化したとしても、雛梨の心は絶対に揺るがない」


 さっきまでは沈んでいく一方だった心が急激に軽くなっていく。

 出会いは拓にとってほんの些細なことだったのかもしれないが、アキとってのあの日は拓とはまるっきり別の世界に写っていたのだろう。あの瞬間があったからこそ、拓とアキはこうして会えたのだと改めで実感した瞬間だった。


「俺さ、ずっと未来で会える雛梨はアキじゃないんだからって……ちょっと後ろ向きな考えしかしてなかったんだ。それに運命が変われば状況だって大きく変わっていくし、未来の雛梨が必ず俺を思い出すとは限らない。そう思い込んでた」


「確かに未来で出会うわたしは今のわたしとは少し違うかもしれない。でもね、拓を思う気持ちは今のわたしも未来で出会う雛梨も同じなんだよ。それだけは変わらない」


 アキはそっと拓を抱き締める。急に感じる温もりに戸惑うも、拓はアキの背中にそっと手を寄せた。


「大好きだよ、拓……だから未来で出会うわたしを信じて待っててほしい。どうせ10年後に拓を見つけ出して会いに行くんだから、これは別れじゃない約束だからね。だから、さよならなんか言わないよ」


「分かった」


 また涙が込み上げる。


「アキ、俺に会いに来てくれてありがとう。生きる意味を与えてくれてありがとう……俺もアキをずっと愛してる」


「これからきっと大変なこともたくさんあるかもしれないけど、きっと拓なら大丈夫! 世界を救ったんだもん。いろんなことに立ち向かった拓には素敵な未来が待ってる!」


「ありがとう」


 更に強く抱き締めた。だが、ふっと手にあった温もりが消え、身を寄せていたはずのものがなくなったせいで拓の身体が前へと傾く。


「アキ?」


 慌てて体勢を整えて目の前にいたはずのアキを探す。しかし、拓の視界には空っぽになった公園の景色しか写らなかった。


「過去へ……戻ったんだな」


 手に残る僅かなアキの温もりを閉じ込めるようにぎゅっと握り締める。

 拓は涙を拭い、新たな決意を胸に前へと進む。


「待っててくれ……雛梨にガッカリされないように立派な大人になるからな!」


 同じ年齢としてアキと出会ったが、次再会する時は拓が10歳年上になるのだ。それなのに、いつまでもアキに会えないとメソメソ泣くような情けない男のままでは、未来の雛梨に顔向けできない。


「よし! そうと決まったら帰ってから猛勉強だ!!」


 拓は未来へ届くような大声を空に向けて叫んだ。

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