113話 思いがけない再会

 電車に揺られ、また駅にたどり着く。

 文也には少し強がってああ言ってしまったが、やはりアキに会えなかったダメージは大きい。家へ出た時のように颯爽と車イスを走らせる気分にはなれなかった。

 そんな時、陽子から着信が鳴る。


「拓、もう駅には着いたの?」


「ああ、着いたよ。今から帰るから」


「ちょうど良かった。帰りにケーキでも買ってきてくれない? 種類は拓に任せるからね」


 そこで通話は切られてしまった。


「珍しいな。今日はなんの記念日でもないのに」


 アキと満里奈が家にいた頃はよくケーキを買ってくることが多かったが、陽子とふたりきりの生活に戻ってからはぱったりとなくなっていた。特別ケーキが好きだったわけではなかった拓にしてみれば、その変化は大したことではない。しかし、改めて思い返すとなんだか懐かしさと寂しさが心に染み渡ってくる。


「アキ、チーズケーキが好きでよく食べてたよな」


 ケーキ屋の前まで来て、ガラス越しから見えるケーキを眺めながらアキを思い出す。何を食べても美味しいと幸せそうだったアキの顔が鮮明に浮かんできた瞬間、急激に涙が込み上げてきた。


「あれ、なんで今さら……」


 後ろを行き交う人や店の人に変に思われたらと焦って涙を拭うも、意識もなく流れるものを止めるのは想像以上に難しい。

 アキが消えてしまった日、悲しかったが涙は出てこなかった。あの時、漠然とこのままアキは姿を消してしまうんじゃないかと予想してしまったからかもしれない。そして、あの後すぐに手術を受けたり、今は学校とリハビリに通う日々。無意識にアキを思い出すことを避け、忙しさに没頭しようとしていた。


「やっぱり……会いたい。会いたいよ、アキ」


 心に閉じ込めたと思っていた感情が一気に込み上げ、拓は情けないくらいに涙を流す。もう周りの目を気にする余裕もない。


「ひどいだろ……どうして俺に会いに来たのかちゃんと理由を話すって言ってたくせに、結局話もしないで消えるなんてさ。俺の気持ちとかも全部、答えないままいなくなるなんてあんまりじゃないか」


 今まで言えなかった不満が涙と同じように溢れだし、言葉として口から漏れた。だが、その言葉を受け取ってほしい人はもういない。そう思うと、悲しいやら悔しいやら憎らしいやらで感情はぐちゃぐちゃだ。

 今まで溜め込んでいた感情が吹き出し、拓にはもうコントロールが利かなくなってしまった。すると、優しく背中を擦る手の感触が温もりとなって伝わる。


「すいま、せん」


 誰かが心配して気遣ってくれているのだろうかと、拓は顔を伏せたまま謝った。それに、こんな年になって路上で泣きじゃくってしまった恥ずかしさで相手が誰かなんて見れそうにない。


「もう大丈夫です。ありがとうございます」


 具合が悪いわけでないことを相手に伝えるために、涙声ながらもはっきりした口調で告げた。そうすれば、相手も安心して離れることができるだろうと考えたからだ。しかし、相手の返事は一向に返ってくることはなく、擦る手も止める気配がなかった。

 心配だったとしても赤の他人なのだから、普通なら相手がなんともなければ離れるだろう。そもそも、なんの声掛けもないのがおかしい。はじめに心配したのなら、大丈夫ですかと聞いてくるはずだ。


「あの」


 強い違和感のおかげか涙は止まり、拓は恐る恐る後ろに目を向けた。

 相手と目が合う。その瞬間だけ、時間が止まったかのように感じた。

 半年という短い期間なのに、10年ぶりに会ったような感動が拓の身体を駆け巡る。

 目の前には待ち望んでいたアキの姿があった。


「手術受けたのね。なのに、なんでこんな場所で泣いてるの?」


 小さく微笑むアキは、始めて会った時と印象が違う。ブロンドの髪は清潔感のある黒髪に、瞳の色はきれいな栗色になっている。その姿はあの幼い雛梨とぴったり重なった。


「アキ……お前、一体どこに行ってたんだよ」


 その問い掛けにアキは困ったように眉を下げる。


「いろいろね」


「もう帰ったかと思ってたよ」


 車イスの向きを変え、改めてアキと向き合う。いつもは同じ目線なのに、今は見上げる立場になってしまった。それでも間近でまたアキを見ることことが出来たのが堪らなく嬉しい。また涙腺が崩壊してしまいそうで、拓は必死に感情を堪える。


「このまま会わないで帰ることも考えてた。だけど、こんなところで号泣し出す拓を見たら放っておけないじゃない……こんな調子でわたしが居なくなったらどうするつもり? ちゃんと生きていけるか不安になるじゃない!」


 だんだんアキらしい口調が戻ってきて、最後は下げた眉が若干吊り上がった。


「そうだよな……本当に情けないって自分でも思う。けど、どうしようもないくらいアキに会いたかったんだ」


 そうはっきり伝えると、アキはおもむろに車イスの後ろに回る。


「まだ少し時間があるから、どこかで話そう」


 ゆっくりと車イスがアキの手によって進み出した。

 行き着いたのは近所の公園だった。一度深夜に満里奈と話した場所。あの時は夜だったから誰もいなかったが、今は数人の小学生がなにやら賑やかに話をしている。車イスを止め、アキだけがベンチに座った。


「この半年、どうしてたんだ?」


「拓を病院に連れていってから、しばらくはいろんなところを見て回ってた。小さい頃お母さんと出掛けた場所に行ったり、あとは雛梨の様子を見に行ったり……それから、お父さんにも会いに行ったわ」


「お父さんに会えたのか?」


「ウイルス開発に直接関わっていなかったって樋渡さんが証言してくれたみたいで、すぐに出てこられたみたい。雛梨の様子を見に行った時に偶然再会して、いろいろ話すことができたわ」


 アキの表情が柔らかくなる。


「まだ会社のことでやることがあるけど、全部終わったら雛梨と一緒に海外に移住するって……そっちでお母さんの治療してもらうみたい」


「そうか……なら、アキの未来も良い方向に変わっていくんだな」


 それは嬉しい変化だが同時に寂しさが拓の心を染めていく。

 もしかしたらこのまま雛梨は幸せの時間の中で拓を忘れてしまうかもしれないと思ったからだった。

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