112話 前へ進むために
あの日を境に、拓は弱音を吐くのをやめた。
復学した高校で学び直しながら、放課後は病院でリハビリ。アキのことを忘れたわけではないが、どこにいるのかも分からない現状。それならば、今は自分のことだけを考えようと思い直したのだ。
それから時間はあっという間に流れ、その日を迎えた。
ーー本来の爆破テロの起こった日。
その日は休日で、拓はひとり車イスで外に出る。
「本当に大丈夫?」
陽子が心配そうな声で言う。
「大丈夫だよ。駅までは何度も自分で行ってるし、現地では満里奈たちもいるんだから……それに全部母さんに頼ってたら自立できなくなるだろ?」
冗談っぽく返すと、陽子は困ったように眉を下げた。
「俺を信じて」
「分かったわ。けど、何かあったら必ず連絡してよ?」
「約束する」
車イスを操作しながら、拓は行き慣れた道を進み出す。8月を迎え、またあの容赦ない暑さが舞い戻ってきた。けれど、拓は堂々と陽が降り注ぐ道を流れるように前進した。もう目眩を起こしたりしない。毎朝のようにあった頭痛に悩むこともない。歩けない不便さはあるものの、拓の表情はどこか晴れやかだった。
「拓さん」
駅に着き、電車を待っているところに声が掛かる。後ろを振り返る前に、声の主がひょっこり顔を現した。既に真後ろに居た満里奈がにっこりと笑顔を見せる。拓は驚きよりも、その行動の面白さに笑みを漏らした。
「おはよう、満里奈。もしかして俺のためにこの駅に来たのか? 別にひとりでも大丈夫だったんだけど」
「わたしが拓さんと話をしたかったから来ただけです。別に同情心で来たわけじゃないですよ!」
「そうだよな。変な勘繰りだったよ」
卑屈な自分の考えを反省し、拓はごめんと謝る。
「それで、俺に話って?」
「あの保留にした返事をもらおうと思って……博さんと文也さんには聞かれたくなかったので、この駅で拓さんを待ち伏せしてたんです」
満里奈の言葉に拓は目を見開いた。
「もう拓さんの答えは分かってます。けど、しっかり聞いておかないとわたしが前へ進めない気がして……だから、聞かせてもらえませんか?」
満里奈の揺るぎない瞳が拓をしっかりと見据える。ホームに電車が到着するアナウンスが辺りになり響き、辺りに人が集まってきた。こんな場所でと少し戸惑いはしたが、満里奈が望んでいることならと口を開く。
「俺はアキが好きだ。決して報われない思いなのかもしれないけど……この気持ちはきっとどんなに月日が経っても変えられないと思う。だから、満里奈の気持ちには答えられそうにない」
「分かりました」
満里奈はあっさりした口調でそう一言だけ言った。けれど、その瞳はうっすらと涙で潤んでいる。
「謝るのはなしにしてくださいね!」
拓が口を開きかけると、満里奈が遮るように言い放った。伸ばした指先が拓の鼻をつんっと弾く。
「謝ってほしいなんて思ってないので、ここはわたしの寛大な心の広さに感謝してほしいです」
満里奈らしくない悪戯っ子な笑顔。拓は自然と笑顔になる。
「こんな俺を好きになってくれてありがとう」
「どういたしませて。これからもっと幸せになって、逃がした魚は大きいって思わせられるように頑張りますね!」
笑って返す満里奈は、どこか大人っぽく感じた。出会った時は頼りないお嬢様に写っていたのに、この何ヵ月間で彼女の印象は拓の中で大きく変化した気がする。けれどそれは、拓が見ようとしていなかっただけで、満里奈はもともと強い人間だったのだ。この事に気付けたのは、やはりアキのおかげなのだろう。
小さな変化が拓の中に少しずつ積み重なっていく。
「拓、久しぶりだな」
満里奈と目的地に到着すると、先に着いていた博が笑顔で手を振る。後ろには文也の姿もあった。
「博、元気そうで良かった」
文也と満里奈は学年が離れただけで交流はそれなりにあるが、博とは数か月ぶりだ。こまめに連絡は取ってはいたものの、こうして向かい合うと長く離れていたような感覚になる。
「もう新しいビルが建ち始めてるんだな……あの爆破があったのが嘘みたいに感じるよ」
博が目線を建設途中のビルへと目を向けた。そこには数か月前までドリーム・レボリューションズ社があり、爆破と共に崩れ去ってしまった。今は別の会社ができるようで、足場が組まれ、多くの重機が出入りしている。半月も経っていないはずなのに、もう爆破があったことさえ遠い昔のように感じた。
「そういえば、あれから何か情報とか聞いてるか?」
「いや、みんなあの後どうなったかは全然……警察に聞きに行くわけにもいかないからさ」
警察に自主をした須波社長、樋渡 修司、隼夫妻のその後はニュースに流れず、こちらでは調べようがなかった。ただ、ウイルスを金儲けにしようとしていた研究室室長と、裏取引に直接か変わっていた常務と専務は罪に問われ、長い刑務所生活を強いられることになったようだ。そして、室長がウイルスを持ち込もうとした会社が明かになり、ドリーム・レボリューションズ社ともども倒産に追い込まれたらしい。
「きっと社長は少なからず罪を償うことにはなるだろうけど、ウイルスが危険なものだってことを知らされてなかった事実が明確になれば早く社会復帰できるはずだよ」
冷静な口調で文也が告げる。
「そうだな」
何も知ることができない現状に不安は感じるが、目に見える変化がきっと良い未来に繋がっていくと信じたい。そう心に刻み、拓は前を向く。
「いつか、みんなが幸せになった姿を見れることを信じて俺は生きるよ」
それから長い間博たちと話し込み、気がつけば空はすっかりオレンジ色に染まり始めていた。
「そろそろ帰ろうか」
拓がそう告げると、文也がそっと側に近付く。
「ギリギリまで待たなくていいの? 後悔しない?」
この日にビルへとやって来たのは、もしかしたらアキが最後にここへやって来るのではないかという期待もあったからだった。だが、いくら待ったところでアキは現れない。
拓はそっと空を仰ぎ見る。
「別れの挨拶ぐらいはしたかったけどさ……伝えなきゃいけないことはちゃんと言えたから後悔はないよ」
「そっか」
そして、夕日に照らされたビル跡地に背を向けた。
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