111話 小さな変化
5ヶ月後……
拓はまた病院のベッドにいた。
あの日、拓は脳腫瘍が原因の発作を起こし、再び病院へ運び込まれてしまった。
付き添った陽子に医師は告げる。
「このままでは危険な状態です。手術をしなければあと半年も持ちません……手術を受けるか、彼の意思通り手術を受けずに寿命を待つか選んでください」
きっと、アキと出会っていなければ陽子は拓の言われた通り寿命を待つ選択をしたのだろう。
だが、その運命はアキによって細やかな変化を生み出していた。
「先生、手術をしてください。まだお話ししていませんでしたが……息子は手術をする決断をしていたんです。けど、本人にはやりたいことがあるからもう少し待っていてほしいと言われていて」
陽子はベッドで横たわる拓を一度見てから、再び決意した顔で意思に述べる。
「今どちらかを決めなくてはいけない決断の時ならば……先生、息子をどうか救ってあげてください」
拓はその日、脳腫瘍摘出の緊急手術を受けることとなった。
無事、手術は成功。
脳腫瘍はきれいに取り除かれた。それから1ヶ月間意識がない状態だった拓だが、懸命な治療のおかげで目を覚ますことができた。そして、現在に至る。
「拓、退院が決まったわ」
医師から話があると呼ばれた陽子が笑顔で病室に戻ってきた。
4ヶ月間という長い入院生活が終わりを告げる。拓の表情が少しだけ和らぐ。
「一週間後のお昼には家だから、何かご馳走でも作りましょうか。ほら、拓を心配して毎日のようにお見舞いに来てくれた友達にも声を掛けて」
季節は夏。博は大学生、満里奈と文也は3年生になった。
長い入院生活で、退院後はまた2年生からやらねばならない拓にとっては少しだけ気まずさが生じる。
「来て、くれるかな?」
俺の言葉に陽子がふっと笑みを漏らした。
「来てくれるに決まってるわ。あんなに拓のこと思ってくれてるんだから」
「なら、俺から連絡してみるよ」
「返事が来たら教えてね」
何か飲み物を買ってくると出ていく陽子を見送り、拓はそっと窓の外を眺める。青々とした葉をつけた木が季節を語っていた。あと一ヶ月で、アキと出会った日が訪れる。それはアキとの別れの日を意味していた。
「アキ……お前は今、どこに居るんだ」
今からでもアキを探しに病院から飛び出していきたい。それが正直な気持ちだった。
だが、そうしたくてもできない事情が拓にはある。
ベッド脇に置かれた車イス。拓は諦めるようにそっと目を閉じる。
手術は確かに成功した。しかし、難しい手術だったのだから後遺症が残った。左半身の麻痺。軽度ではあるが、思ったように左手は動かないし、歩くのも支障がある。リハビリを受け続ければいずれは歩けるようになるかもしれないとは言われたものの、推定であって絶対ではない。
今はひとりで出歩くことすらできないのだから、アキを探しに行くなんて無理に等しかった。
それから一週間後。
拓は自宅へと戻ってきた。家に入ると既にお祝いの準備が施され、先に着ていた博たちが拓をで迎える。
「拓、おかえり」
博が涙目になりながら笑顔を溢す。
「なんだ案外元気そうじゃない。前よりも顔色良くなったんじゃない?」
相変わらず無表情の文也。拓は思わず笑ってしまった。
そして、今にも大泣きしてしまいそうな形相の満里奈が大声を張り上げる。
「拓さん、帰ってきてくれてありがとうございます!!!!」
「お礼を言わなきゃなのは俺だって」
そう言い返したが、満里奈は強く首を左右に振り乱す。
「わたし本当に嬉しくて……こうしてまた拓さんに会えるのが本当に本当に夢みたいで」
ついに本当に泣き出してしまった満里奈に拓は思わず手を差し伸べる。だが、途中でその手を下ろした。
前なら満里奈の頭を撫でるぐらい簡単にできていたのに、今はその手が届かない。初めて立てないという現実に直面してしまった。頭では理解していたとしても、やはり心は痛む。
すると、満里奈が拓の手を掴み、自分の方へと引き寄せる。拓の目線に合わせるように体勢を低くし、掴んだ手を頭の上に乗せた。
「これでいいですか?」
そんな満里奈の行動に拓も思わず泣き出しそうになる。けれど、泣かずに拓は笑った。
「ありがとう」
感動の再会を果たし、陽子主催の退院記念パーティーが始まった。
テーブルにはお寿司にピザ、フライドポテトに唐揚げ、おまけにケーキなどなど。見るからに食べきれない量が並んでいた。みんなで乾杯し、たくさんお喋りをして盛大に盛り上がった。
「みんな今日は泊まっていかない? 明日は土曜日だし」
なんだかんだと時間が過ぎ、時計を見るともう夜の7時。外はまだ明るいが、あと少しで暗くなるだろう。
「母さん、俺とは違うんだからさ」
「え!! 泊まりたいです!! 博さんも文也さんも泊まっていきましょうよ!」
止めに入るも、何故だか満里奈がノリノリで手を上げた。
「俺は別にどっちでもいいよ」
「おばさんがご迷惑じゃないなら俺も構いません」
文也も博も遠慮がちにだが前向きな反応を示す。
「なら決定ね! 久しぶりに賑やかな夜になるわ~」
さっそく布団の準備をと、陽子は二階へと駆け上っていく。
「母さん、あんまり張り切らなくていいから」
「大丈夫だよ。俺が手伝ってくるから」
「俺も手伝う」
博と文也が気遣って陽子の後に続くように二階へと向かう。
「俺がこんなことにならなかったら、母さんの部屋を俺が使うこともなかったし……布団を出すのも手伝えたんだけどな。何もできないって本当に情けなくなるよ」
思わず弱音が口から溢れた。
「そんなこと決してありません。拓さんは情けなくないです……寧ろ、お母さんを救ったんですよ!」
「アキから聞いた?」
満里奈は涙目になりながらも、笑顔で頷く。
「おばさんが未来でどうなったのか聞きました。けど、拓さんは生きています! 今は拓さんにとって辛い時かもしれませんが……きっと乗り越えられるはずです」
心強い言葉は拓の重たくなった心を一瞬にして軽くしてくれた。
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