105話 戦う覚悟
激しい突風によって鴇は廊下の奥へと吹き飛ばされ、床へと横たわる。
「狭山さん、動けますか!?」
姫の声に拓は起き上がろうとするも身体中に激痛が走り、耐えきれず床に膝をつけた。姫は壁に手を当てながら歩み寄り、拓に手を差し伸べる。
「今のうちに逃げましょう」
「悪い、姫……助けに来たのに」
「いいんです。それよりも今はここから離れないと」
姫の手を借り、なんとか立ち上がった。すると、背後から薄気味悪い笑い声が響く。
「どうせ、もう逃げきることはできないわ」
鴇の手にはまだ銃が握られていた。相手の行動に警戒しながら、拓と姫はゆっくりと後退りする。
「もう数分でこのビルは爆破される。変化なんて……」
話してる途中で鴇の笑い声がピタリと止む。そして、目を見開き起き上がった。
「何かしたのね? あなたが爆破を阻止する時間なんてなかったはず……浬が小細工したの!?」
勘付いた鴇の形相は恐怖を感じるような異様さを醸し出していた。血走った瞳がこちらを捉える。
「狭山さん、少し我慢してくださいね」
姫が小声で告げると、勢いよく拓の手を引っ張った。
「黙ってないで答えなさい!!!!」
「走ってください!!」
痛みで体が一瞬動かなくなりそうになるも、拓はなんとか足を踏み出す。背後で鴇の絶叫が響き渡った。
「姫、待ちなさいっ!!!!」
その声を振り切るように走り、非常用階段へと駆け込む。
「下りられますか?」
「大丈夫だ。急ごう!」
もう痛いとか、苦しいとか言っている暇はない。ここで立ち止まってしまったら、生きるという選択肢を失ってしまう。拓は姫の肩を借りながら、出口を目指した。下へ下へと急ぎ下る最中も、鴇の声が遠退くことはなかった。
「お前たちだけは逃がさない!! わたしの手で葬ってやる!!!!」
叫びとともに頭上で銃声が轟く。その一発が姫が掴んでいた手摺に当たる。
「もう少し威力を高くして撃つべきでした」
姫が後悔を口にした。
「それは威力をコントロールできるのか?」
「はい。相手が鴇さんだからと手加減してしまったことが仇になってしまいました……こんな時に情けなんて掛けてる余裕なんてなかったのに」
すみませんでしたと、姫が申し訳なさそうに拓に告げる。
「仕方ないさ。鴇さんは君にとっては仲間で、家族みたいな存在だったんだろ? そんな人を殺したくないと思うのは当たり前だ」
「いえ、わたしが躊躇ってしまったことで狭山さんに怪我を負わせてしまったんです。あそこでわたしは撃つべきだったんです……戦ってくれた浬さんのために」
姫の目にうっすらと涙が浮かぶ。きっと鴇との会話を聞いていたのだろう。姫にとって浬を失った悲しみは拓には計り知れない悲しみに違いなかった。
「ごめんな、姫……俺がもっと強かったら」
武器もない、戦える格闘術もない。そんな自分が不甲斐なくて、後悔ばかりが頭を埋め尽くした。
「狭山さん、伏せてください!!」
姫が急に拓の肩を下へと押さえ、その場に屈ませる。それと同時に銃弾があちこちに当たる音がした。
「どうせ、その傷じゃ逃げきれやしないわよ!!!!」
銃弾の予備も持っているのだろう。ひっきりなしに銃弾が上から降ってくる。
「このままではいずれ追い付かれます。ここで一度廊下に出ましょう……もう鴇さんを迎え撃つしか方法はないみたいです」
5階までが限界で、姫と拓はそっと廊下へと出た。
「わたし達が下の階へ行ったと思ってくれれば幸いですが、相手は鴇さんですからそうもいかないはずです……狭山さん、職員用のエレベーターの場所は分かりますよね? このままわたしを置いて逃げてください」
「何言い出すんだよ! 置いていけるわけないだろ!?」
「こんな所で言い争っている時間はないんです!! 爆破まで残り20分……早くしないと狭山さんの逃げ出す時間がなくなってしまうんですよ!!」
「だったら、姫も一緒に逃げればいいだろ!」
「わたしはもう逃げる意味はありません」
その言葉の意図が分からないでいると、また銃声が鳴る。拓が顔を上げると、銃を構えたまま廊下に立つ鴇と目が合った。
「わたしが足止めしている間に逃げてください」
「でもっ」
「狭山さん、早くっ!!!!」
逃げろと言わんばかりに姫の手が拓の背中を強く押す。よろけながら後ろへと後ずさった拓を横目に、姫は素早く拳銃を鴇の方へ構える。
「そんなものをいくら撃ったとところでわたしは死にはしない!!!!」
「それはどうでしょうか?」
姫の目が強く光る。
「わたしはもう手加減しません!!」
鴇が訝しげに銃を構えた。
「何をごちゃごちゃと、それはこっちの台詞よ!!!! この裏切り者ぉおおおおーーーー!!!!」
引き金を引いたのは同時だった。先程よりも威力を増した突風は姫をも弾き飛ばす爆風を巻き起こし、側にいた拓をも巻き込む。数メートル廊下を転がり、そして止まった。
「ひ、め……」
床に倒れ込んだままの状態で拓は姫の方へと顔を向ける。仰向けで倒れている姫は苦しそうに顔を歪めていたが、生きていることだけは確認できた。
(……鴇は?)
拓は視線を姫から鴇へと移す。そこで見えた光景に拓は唖然とした。
鴇は廊下の奥の窓に体を打ち付けたようで、その場に倒れ込み、気を失っているのか微動だにしない。姫の放った爆風はかなりの威力だったようで、分厚いガラス窓はひび割れ、わずかに穴が空いていた。その周辺には鴇の血痕らしき赤色が付いているのが遠目でも分かった。
拓はなんとか立ち上がり、痛む足を引き摺りながら銃が落ちている方へと進む。鴇が目を覚ましたらとハラハラしたが、気を失っているのか動き出す気配はなかった。
「姫、大丈夫か?」
落ちていた銃を拾い上げると、姫に声を掛ける。だが、応答はない。嫌な予感が頭を過った。
「姫、どうした? どこか痛むのか?」
途中痛みに膝を付いたが、そのまま床を這うようにして姫の隣まで行き着く。姫の頭を支え、腹部に置かれた姫の手を握り締めた瞬間だった。
拓の嫌な予感は的中してしまったことを知る。
「姫……嘘だ」
握った姫の手が真っ赤に染まっていた。
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