106話 生き抜くための道筋

 身体中が震え出す。溢れ出した涙は視界を滲ませ、絶望へと誘う。

 浬を見送って、もう二度と誰も失わないように決意した。なのに、その願いは儚くも手から離れていってしまう。冷たくなった指先を握りしめながら、拓は泣くことしかできなかった。


「さ、やま……さん」


「姫っ!」


 囁くような小さな声だが拓はすがるような思いで名前を呼ぶ。


「泣かないで……早く、逃げないと」


「姫をひとりになんて、できる筈ない」


 悲しく微笑む姫を見て、さらに涙が込み上げた。


「さっき階段を下りてる時……流れ弾が当たってしまったようです」


 言い終えた姫が苦しそうに咳込む。腹部を見ると、止めどなく血が溢れ、衣服をあっという間に赤く染めていく。どうにかして血を止めたなくてはと、拓は使えそうなものを探すように辺りを見回す。だが、何もない廊下にそんな都合のいいものなど置いてある筈もなかった。


「狭山さん、もうわたしのことは諦めてください」


「姫、喋っちゃダメだ。俺が背負って運ぶから……外に行けば」


「狭山さん、聞いてください」


 拓の行動を制止するように、そっと手を握り返す。力がうまく入らないのか、その手は小刻みに震えていた。


「わたしはもう助かりません。けど、わたしはまだ生きています……この時代で」


 姫の瞳が微かに揺らぐ。けれど、眼差しに迷いは感じられなかった。


「狭山さん、わたしはまたあなたに会いたい。こんな状況ではなく、もっと普通に……もっと自然にあなたと出会いたい。だから……っ」


 また強く咳込むと、唇から微量の血が滴り落ちる。


「姫、もう……いいから」


 痛々しい姫の姿に胸がひどく締め付けられた。


「だから、あなたには生き抜いてほしいんです」


 姫は残りの力を使って体を起こし、苦しげに涙する拓を優しく抱き締める。暖かな体温が互いに伝わる。


「狭山さん、幸せになって……それだけでわたしは報われます」


「生きるから、必ず死なないから……姫も諦めるな!!」


 そう叫ぶと小さく笑う声がした。こんな時に笑うなんてと思っていると、姫が耳元に唇を寄せる。


「わたしは狭山さんに恋をしました。初恋です……酷くて短い人生でしたが、あなたとで会えて幸せでした」


 そう囁き、拓の肩に頭を乗せた。


「狭山さん、ありが……とう」


 その言葉を最後に、姫の全身から力が抜け落ちていく。それは確実に拓にも伝わった。


「姫っ……おい! 姫っ!! 頼むから、いなくならないでくれ!!」


 そう泣き叫ぶも、姫の身体は浬の時と同じように透き通っていき、空気と混ざり合うように消えていく。

 腕の中に何もなくなってしまった現実に、拓はその場で叫ぶしかなかった。

 何もできなかった悔しさ、儚い別れへの悲しみ、そして強い憎しみ。拓はゆっくりと顔を上げて立ち上がる。もうほとんど力の入らなくなった足を引き摺りながら、拓は鴇の方へと歩み寄った。


「姫は帰っていったよ」


 声に反応するように、鴇の瞼がゆっくりと開かれる。


「殺せばいい……わたしが憎いんでしょう? それなら、わたしを殺しなさい。武器はあなたが持ってるんだから」


 拓の手には先程拾った銃がしっかりと握られていた。


「浬も姫もあなたにとっては大事な存在だったのに……どうして理解し合えなかったんだ? あなただってこんなこと望んでなかったんじゃないのか!?」


 震える手で銃を鴇に向ける。その様を見て、鴇はふっと笑みを漏らした。


「あなたには絶対に理解できない。わたし達がどんな苦しみを抱えていたか……この苦しみを終わらすには、何もかも消し去るしかないと思ったの」


「でもそれはこの時代の自分たちを救いたいためだったんだろ!? 本当はふたりみたいに幸せな未来になることを願ってたんじゃないのか!?」


「願いなんて……そんなものは簡単に消えてなくなる。だったら、初めからなくなってしまった方が楽じゃない。そしたら悲しむことも、苦しむことも、誰かを憎むこともない」


「それは自分のことか? それとも……」


「浬も姫も優しすぎた。残酷な未来しか待っていないのに……希望を捨てきれていなかった。この結末はあの子たちが招いた」


 鴇は目だけを動かし、見下ろしている拓に向ける。


「今回はこの結末を受け入れるしかない。だから殺せばいい……けどね、これは繰り返される。また大人になったわたし達は同じことをするだろうから」


「そんなことさせたりしない! 必ず未来を変えてみせるっ……そして、浬も姫も平和な世界で生きていけるようにする! あなたのことも救ってみせる!!」


「あなたもとんだお人好しね」


 呆れた顔をするも、どこか声は穏やかさを含む。


「そんなに世界を救えると言い張るんならやってみればいい。でもどうせ何も出来っこない……あなた死ぬんでしょう? 脳腫瘍なんだってね」


 意外な言葉に拓は目を見開き、鴇を凝視した。


「浬があなたについて調べたのよ。浬から何も聞かなかったのね……死期が迫ったあなたになにを望んでるのか知らないけど、出来るものならやってみなさい」


 鴇の目がそっと閉じられる。


「もう……この時代に……思い残すことは、ないもの……」


「俺が例え死んだとしても……必ず未来は変化する。だってあなたの両親は死んでない……だから信じて待っててほしい」


 鴇は小さく微笑んだ。だが、それ以上なにも返さなかった。

 拓の目からまた涙が零れ落ちる。揺らいだ視界の中で鴇の体も霞み、最後は消えてなくなっていた。

 時計を見るともう爆破まで残り10分。

 足に怪我をしていなかったらギリギリ逃げ切れていたかもしれない。


「ごめんな、アキ……間に合いそうにない」


 割れた窓の隙間からパトカーのサイレンが微かに漏れる。拓は少しだけ目を見開き、辺りに目を泳がせた。

 姫の使った拳銃が目に入り、拓は慌てて駆け寄り拾った。


「これを使えば」


 拓は姫が操作していたのを思い出しながら、拳銃をひび割れた窓へと向ける。


「最後にアキと話さなきゃいけないんだ! ここでただ黙って死ぬのを待つなんて出来ない!!」


 前ならば誰かの役に立って死にたいと願っていた。

 けれど、今の拓は少し違う。

 拓の病気を知っていても、浬は拓との未来を願っていた。浬と姫の思いを背負い、拓は新たな道を切り開く覚悟をした。


「俺が変えた未来をこの目で見たいんだ!!!!」


 拓は自分の意思を込めた引き金を引く。すると物凄い突風が銃口から解き放たれた。

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