104話 未来へ繋ぐ変化

 拓は上昇するエレベーターの中、ひとり覚悟を決める。

 ここから先はどんなことが待っているのか想像がつかない。怖いと、この場から逃げ出したいと、正直思ってしまう。けれど、ひとり立ち向かってくれている姫のことを思うと引き返すという考えには至らなかった。


(アキ……怒ってるだろうな)


 満里奈を強引に託してしまったことに後悔はない。もしもアキに一緒に来てほしいとあの場で頼んでいたら、きっと満里奈も付いていくと言い出したに違いないからだ。そうなることを予想できたからこそ、拓はひとりで向かうことを決断した。


(絶対に生きて戻る)


 病気をきっかけに死を身近に感じながら生きてきて、一時は死ぬ運命を受け入れていた。けれど、今は心の底から生きたいと願っている。本当は危険にひとり飛び込むことは無謀で、死に急いでいるように思えるのかもしれない。けれど、生きたいからと仲間を見捨てるのは間違っている。仲間を置き去りにして生き長らえたって、その未来には後悔しか残らない。たとえ今の時代の人間じゃないとしても、そんな理由は言い訳だ。

 拓は自分の信念に従って、再度心に誓う。


(もう犠牲者は出さない。そして、生きてアキに会うんだ)


 すると、急にエレベーターが階に到着したと合図を鳴らす。だが、それは拓の目指している階ではなかった。最上階を指定したはずなのに、エレベーターはなぜか10階で止まり、ゆっくりと扉が開かれていく。


(もしかして逃げ遅れた人がまだいたのか?)


 そんな考えが頭を過る。だが、完全に開かれた扉の前には誰も待っていなかった。


「誰か……いますか?」


 妙な違和感に拓は声を落としながら問い掛ける。だが、応答はない。

 そっとエレベーターから顔を出そうとした瞬間だった。耳を貫く銃声とともに、何かが鼻先をすり抜けた。


「あら、残念。もう少し前に顔を出せば当たってたのに」


 声を聞いた瞬間、拓の顔から血の気が引く。目を向けなくても分かる。


「姫はっ!?」


「あの子なら社長室で気絶してるんじゃないかしら?」


 相手の薄ら笑いが背筋を震わせる。コツコツとこちらへ近付くヒールの音が動揺を誘い、エレベーターのボタンを押すという判断に行き着かない。身体も硬直したように動いてくれない。

 拓は言い知れぬ恐怖感によって、呼吸するのが精一杯でいた。


「聞きたいことがあるの。あの後、浬はどうなったの?」


 その質問に答えようと口を開くのに、言葉がなかなか出てこない。すると、また銃声が廊下に轟いた。今度はエレベーターの操作パネルに命中したようで、黒い煙が立ち上った。拓は焦るようにエレベーター内の扉開閉ボタンを押す。だが、今の銃撃で機械が壊れてしまったようで、扉が動き出す気配がない。

 拓は完全に逃げ場を絶たれてしまった。


「浬はどうなったのかって聞いてるの!!!!」


 今、廊下に飛び出して逃げても銃で撃たれて終わってしまう。しかし、このままエレベーターの中に隠れていても最後は同じ。どっちにしろ、無事では終わらない。


(それなら……いっそのこと)


 そっと両手を上げ、拓は廊下へと出る。


「話すから……撃たないでほしい」


「相手の下手に出るのはいいことだけど」


 そう微笑んだ鴇と目が合ったと同時に、またも銃声が廊下に鳴り渡る。そして左太ももに感じたことのない痛みと熱を感じた。


「うああっ!!」


 あまりの痛みに拓はその場にしゃがみ込む。鴇の放った一発は拓の動きを一瞬にして封じた。


「敵の目の前に立つには対等の武器を持たなければいけないの。姫もそうだけど、戦いには敵に情けなんてかけないのよ? 気を緩めば、そこでその人の最後が決まってしまう。それは覚えておくといいわ……といっても、あなたはここで死ぬのだけど」


 話をしながら近付いてくる鴇からなんとか遠ざかりたい。だが、少しでも足に力を入れると痛みが身体中に伝わり、全身から力が抜けてしまう。嫌な脂汗が額に滲む。撃たれた場所を押さえていた手には生暖かな感触がし、それが血なんだと考えずとも分かった。


「浬は? 死んだの?」


 目の前までやって来た鴇が拓に額に銃口を近付けながら静かに問う。もう逃げ道のない窮地に立たされた拓は抵抗なく、鴇の顔を真っ直ぐ見上げた。



 ついさっきの出来事。拓の脳裏に焼き付いて離れない。

 息を引き取った浬は見たことの無いほど穏やかな表情をしていた。敵だとか、復讐だとか、背負ったものから全て解き放たれたような、そんな顔をしていた。

 そして、彼はそのまま消えた。霧のように空気に溶け込んでいった。

 満里奈も拓も驚いたが、なんとなく理解してしまう。浬は今の時代の人間ではないから、存在することができなかったのだ。


「浬は未来へ帰っていったんだ」


 拓は一粒の涙を溢す。


「俺みたいな頼りないやつに……新しい未来を託したんだ。だから、俺は守らなきゃいけない。満里奈も世界も……今を生きる人たちを!!」


「浬には呆れるわ。あなたみたいな子供を守るために無駄死にするなんてね。何をしたって世界に蔓延はびこる悪は消えやしない……救世主を救っても、ワクチンを偽物とすり替えて守っても、また世界は繰り返すの。目の前の悪者が捕まっても、また別の人が受け継ぐだけ……あなたの言っていることは綺麗事なの!!」


「そうかもしれない!! 大きな変化なんて俺には起こせないかもしれない。けど……少しの変化が未来を変えてくれることだってあるかもしれない! 浬だってそう思ったから、俺を守ってくれたんだ!! だから、だからこそ……俺は生きなきゃいけないんだ!!」


 そう叫んだ瞬間、ぐっと額に食い込むほど銃口を押し付けられた。


「あなたは死ぬ。どんなに足掻いたってあと10分でこのビルは爆発する……ウイルスが消えたとしても、わたしがここで死んでも、未来は変わらない」


「変わるさ……もう変化は起こってる」


 拓の言葉に鴇が眉を潜める。


「どういう意味?」


 その問いに拓は答えず、素早く床に寝そべり、踞った。その行動の意味に気が付き、鴇は慌てて振り向く。


「これが変化です」


 壁にもたれ掛かりながら、廊下の先で姫が拳銃を構える。そして、撃ち放った。

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