102話 揺るがない決意
緊張感に溢れた空気がお互いの間を流れていく。
姫は銃を構えた状態でゆっくりと、慎重に体勢を整える。時間をかけて、なんとか立ち上がることが出来た。
「浬さんを撃ったんですか?」
「わたしは救世主を狙っただけ。勝手に割り込んできた浬が悪いの……わたしはやるべきことをしただけ」
銃を奪われたせいもあるのか、鴇の声は驚くほど落ち着いている。取り乱して襲いかかってくるとばかり思っていたが、その気配は今のところ見受けられなかった。ここへ来てから煩いくらいに音を立てていた心臓の音も今は落ち着いている。
「けど、もう諦めてください。さっきの放送でビルに集まった人たちは外へ避難したはずです……鴇さんの計画はここまでです」
「そうね。おしましね」
鴇は肩を落とし、そっと姫に背を向けた。
「仕方がないわ。わたしはここで爆破とともに最後を迎える。あなたは逃げないの? ここに残ってたらあなたも死ぬのよ?」
「爆破まではまだ時間があります。今わたしが居なくなったら、ウイルスを外に持ち出すかもしれません」
「そうね。疑うのは当然……ワクチンもここに置いていってしまったようだし」
浬が倒れた時にワクチンの入ったネックレスが床に落ちてしまったようで、鴇の足元で小さく光っている。
「そもそも、それは偽物だろうけどね。あっさり置いていくぐらいだから、本物はしっかり隠してあったんでしょう。なかなか頭の切れる男ね、あの坊や」
鴇が鼻で笑うのが耳に届く。鴇がゆっくりと窓の方へと歩き、外を眺める。その姿に、姫は構えていた銃を下へと下ろした。
「きっと先程の少年が未来を変えてくれます。監禁されていた社長やわたし達の両親も無事に逃げ出したので、二度とわたし達が苦しむ未来はないはずなんです! だから、鴇さんもここを出ましょう! 浬さんだってお姉さんが死ぬことは望んでいません」
ずっと苦楽をともに過ごしてきた仲間でもある鴇を完全には見捨てきれないでいる。それが姫の本音だった。
「それはできない。だって、まだやることが残ってる」
「えっ?」
鴇の発言の意図を掴む前に、姫の体は一瞬にして宙に浮いた。何が起こったのか分からないまま、気がつけば凄まじい力によって後ろの壁に叩きつけられる。かなりの衝撃に痛みすら感じる間もない。床に倒れ、数秒後にようやく激痛が背中と後頭部に広がる。
「かっ……あっ」
背中を強く打ったせいで呼吸ができない状態になり、姫は懸命に酸素を求めた。その間に鴇がゆっくりと姫へと向かってくる。
「ダメよ、姫……油断したらこうやって直ぐに逆転されてしまうの。それがあなたの命取りになることだってある」
言葉が発せられずにいる姫の前にしゃがみ込むと、鴇は満足げな笑顔を見せた。
「念のために、これを隠し持っておいて良かったわ。これで少しだけでもわたしの復讐を果たすことができる」
鴇の手には浬が学校を襲ったときに使った特殊な拳銃が握られていた。まさか鴇が持っているなど思いもよらず、姫は自分の愚かさに顔を床に沈める。
「そこで這いつくばっていなさい。じきに呼吸も楽になるでしょうから、爆破の時間までには逃げられるんじゃない」
「たっ……さ、まっ」
「じゃあ、銃は返してもらうわね」
握っていた武器を手放し、姫が落とした銃を手に取る。銃弾の数を確認して、鴇はすっと立ち上がった。
「じゃあね、姫……こんな最後になったのは残念だけど、あなたを妹のように思っていたわ」
そう言い残し、鴇は社長室から出ていってしまう。
(お願い。狭山さん、無事にビルから逃げ出してください)
しかし、拓のお人好しな性格は短期間過ごしただけの姫にも理解できていた。もしも満里奈を逃がしたあとに姫が戻らなければ確実に助けに戻るだろう。そうなると、鴇と鉢合わせになる確率は高い。
(お願い……動いて!!)
全身はまだ痛くてたまらない。呼吸も僅かしかできない状況下。それでも今は立ち上がらないといけない。
力を振り絞り、腕と足に動かした。
幸太郎と別れたアキは正面玄関にあるメインエレベーターの前へとやって来ていた。このエレベーターでしか社長室には行けない。パスワードは姫から聞いていたからすんなり向かうことができるだろう。
エレベーターが下りてくる間、アキは人の気配はないかと辺りを見渡した。来た時は大勢の声が離れた距離にまで届くほど賑わっていたのに、今はもぬけの殻。やはり避難放送もやって正解だったと改めて思った。
そうしている間に、エレベーターが到着する合図が小さく響いた。そして、扉が開く。
「アキさんっ!!」
目が合った途端、中にいた満里奈がアキに抱きつく。無事が分かった安堵よりも驚きが大きくて、なかなか言葉が出せずにいると、視界に拓が写り込む。しかし、その様子は明らかにおかしかった。青ざめた顔に、手や服には黒く変色しつつある血痕の跡。
「何があったの?」
抱きついていた満里奈を見ると拓と同様に青ざめた顔をして、頬は止めどなく流れる涙で濡れていた。アキに会えた安心感から抱きついたわけではなかったのだと、そこで理解できた。アキは満里奈を落ち着かせるように頭を撫でながら、黙ったままの拓に言葉を投げ掛ける。
「もう爆破まで残りわずか……余裕のあるうちに外へ逃げましょう」
満里奈を支えて、アキが玄関口へと向かい出す。しかし、拓は動かない。
「拓?」
異変に気がついたアキが振り向くと、拓は涙を流しながら微笑んでいた。
「ごめん、アキ……満里奈を頼むよ」
「何言ってるの!? もう40分切ってるんだよ!?」
「浬が死んだんだ。俺と満里奈を守るために……」
「え?」
予想外の言葉に一瞬言葉に詰まった。
「今、ひとりで戦ってくれている姫を残していくわけにはいかない」
拓の言いたいことは痛いほど分かる。だが、拓を行かせるわけにはいかなかった。
「それでも、今は逃げなきゃ! 逃げ出したあとにわたしが代わりに行く……わたしなら死んだって未来は変わらない。けど拓が死んだら、変えたい未来も変えられなくなるじゃない!!」
「それでも、ごめんっ」
「拓、待ってっ!!」
拓はエレベーターのボタンを押す。アキは満里奈をその場に置いて、エレベーターへと駆け寄った。
「拓さんっ!!」
我に返った満里奈が叫ぶ。だが、どちらの行動も無意味に終わり、エレベーターの扉は静かに閉じていった。
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