101話 父親の顔
姫と別れた後、アキは幸太郎とともに出口ではなく、放送室へと向かった。それは拓のことを考えたアキの独断だった。本来なら非常ベルを鳴らしてビル内の人たちに危険を知らせるという計画だったが、確実に避難を促すには避難ベルだけでは足りないとアキは考えていた。
「これでみんな避難してくれるわ」
「なら、わたし達も外へ出よう。君の仲間のところへ」
幸太郎が避難を催促するが、アキの表情はどこか曇っている。
「助けに行きたいのか?」
娘の心を汲み取り、幸太郎は優しく問い掛けた。それに対して何も答えなかったが、表情を見てアキの返事がなんとなく伝わってくる。幸太郎は少し躊躇しながらもアキの肩に手を置いた。
「なら、助けに行きなさい。雛梨にとって大事な人なんだろう?」
「けど」
アキの目線に手を拘束された室長がこちらを睨み付けている。何か言いたげではあるが、ガムテープで口を塞がれているため文句の言葉が漏れることはなかった。この状態であれば抵抗の余地などないのだが、それでも幸太郎ひとりに任せるのには不安がある。もしも途中で何かあって逃げられれば厄介だ。それに室長だけでなく、ウイルスの入ったアタッシュケースに情報の詰まったUSBメモリーまで任せてしまうのは責任放棄に近い。
「ここから裏口までそう遠くはない。なんとかするから、雛梨は心配しなくていい」
アキの心配を察し、幸太郎は力強い声で言った。
「俺はこう見えて父親だ。娘の一大事に手助けできなくてどうする……それに、何も出来なかった雛梨にひとつでもいいから父親らしいことをしたいんだ」
「それは今の時代の雛梨にしてあげるべきことで、わたしに何かする必要なんて」
「あるさ」
幸太郎の手がアキの肩から、手に移動する。
「今目の前にいるのは正真正銘、俺の娘だ。だから時代なんて関係ない……雛梨を助けたいんだ。これも俺の我が儘だが、雛梨の役に立たせてほしい」
手に伝わる父親の温もりは懐かしさと嬉しさ、そして恥ずかしさが入り交じった。
「なら、お願いしてもいいかな……わたしを待ってくれているはずだから」
「それはあの女の子のことか?」
アキは少しだけ微笑む。
「満里奈さんもそうだけど、どうしても死なせたくない人がいるの」
「それはこの時代の人なのか?」
「そうだよ。過去から来たわたしを受け入れてくれて、命がけで満里奈さんを、この世界を救おうとしてくれている……すごく強い人」
幸太郎はアキの表情を見るなり、深い溜め息を吐いた。
「なんだか、娘のそういう話を聞くのは父親としては複雑だな」
「この時代の雛梨の命の恩人でもあるんだから……いつか、会い行ってあげて」
「そうか。両方の雛梨を救ってくれたのなら会ってお礼を言わなきゃならないな」
アキはずっと逸らしていた目線を幸太郎へと向ける。少ない会話ではあったが、アキの中で幸太郎への疑念が少しだけ解きほぐされたせいだろう。もう、なんの躊躇もなく目を見ることが出来た。
「最後に……ひとつだけ言わせて。もうお母さんと雛梨の側から離れないで。きっとこれからの方が大変かもしれないけど、雛梨には……お父さんしかいないんだから、守ってあげてほしい」
「分かった。約束する……お前をひとりこんな時代に来させるような未来には決してしないと誓う」
真剣な眼差しで言い切った幸太郎を見て、アキは思わず笑みを浮かべた。
「お父さんの事がなかったとしても、過去へ来てたかもしれないけどね」
「そ、そうなのか?」
「そうだよ。お父さんはついでだもん」
「ついでって……まあ、憎まれてたから仕方ないが……それでもついでって」
娘の一言に一喜一憂する幸太郎は、アキにとって初めて見る父親の顔だった。
「わたし、行くね」
「気を付けて……本当は娘には危険な場所へ行ってほしくはない。けど、今の俺にはそれを止める資格はない。だから、雛梨の無事を祈ることだけは許してくれ」
そっと手が離れていく。
「お父さん……会えて嬉しかった」
アキはそれだけ言うと背を向けた。廊下へ出ると、一気に駆け出す。それを見届け、幸太郎はひとつ深呼吸してから、床でもぞもぞ動く室長を見下ろす。
「もう娘に悲しい思いをさせるわけにはいかないんだ。お前は責任もって俺が警察署まで連れていく」
幸太郎は強引に室長の身体を持ち上げ、反対の手には重いアタッシュケースを持ち上げた。まだ若い部類には入るだろうが、ずっとデスクワークだった幸太郎にはかなりの重量感。直ぐ様、腕と足が悲鳴を上げそうだ。だが、それを顔に出すことなく、幸太郎は一歩一歩と出口へ向かう。
「娘が必死で戦ってるんだ。こんな簡単なことも成し遂げられなきゃ父親失格だ!!」
その叫びとともに、幸太郎は更に歩く速度を上げた。廊下を真っ直ぐ進んでいくと警備室が目に留まる。出口は直ぐそこだ。そう思うと、錆び付いた扉が光輝いて写る。
裏口までもう僅かなとなったところで警備室のドアが勢いよく開け放たれた。そして、血相をかいた警備員が飛び出してくる。
「しゃ、社長っ!?」
直ぐ様、警備員と幸太郎の目が合う。いきなり現れた社長に警備員は口を大きく開いて驚きの声を上げた。
「ど、どうしたんですか!? えっと、その人は……研究室の人ですよね? なんで縛られてって……それよりも大変なんです!!」
突然鉢合わせした社長と縛られた姿の室長よりも、警備員は別のことで頭がいっぱいになっているようだ。この状況を怪しく思われるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていた幸太郎だったが、警備員の目が逸れたことにほっと胸を撫で下ろす。平静を保ち、穏やかな口調で問い掛けた。
「どうしたんだ?」
「変な子供がこのビルの中に勝手に入っていったんです!! いきなり殴られて気を失ってしまって」
その話を聞いて、幸太郎はその犯人が誰なのかすぐに分かった。
「それに非常ベルやら変な放送まで……きっとあの連中の仕業に違いないです! 今すぐに捕まえてっ」
「待ってくれ。あの子供たちはわが社を救いに来てくれたんだ」
幸太郎の制止に警備員は目を丸くした。きっと、何を言っているんだろうと不思議に思っているのだろう。
「聞いてくれ。このビルに爆弾が仕掛けられている。いつ爆発するかは分からないから、君は速やかに警察に連絡して、外へ逃げた人たちをビルから遠ざけてほしい」
「まさか」
「疑っている暇はない!! これは社長命令だ!!」
「はいっ!!」
いきなりの大声に警備員は慌てて身体を反転させ、警備室へと再び戻っていった。
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