98話 父と娘

 姫の言っていることが正しければ、自分勝手な欲望を満たすためだけにあれほどの犠牲者を生んでしまったことになる。自分の父親もその犠牲者のひとりだったと思うと、沸々とアキの心に怒りが沸き上がった。


「さっきから訳の分からないことをごちゃごちゃと!」


 再びアタッシュケースを手に取り、それを姫目掛けて振り回し始める。中身は恐ろしいウイルス。もしも衝撃で開いてしまって、中身が溢れたりなんてしたりしたら大変なことになってしまう。姫はアキを庇いながら慌てて後ずさった。


「お、俺は爆破なんてしていないだろう! そもそも爆破を企んでたのは研究員のやつらだろ!? あいつらが急に居なくなったと思えば変な女が研究室を仕切りだしやがって……専務も常務もあんな女にへこへこして、俺には無茶な欲求ばかりで金なんて一切入ってこない!! 研究してるのは俺たち研究員なんだよ! なのに、注目されるのも金を受けとるのもなんの役にもたたない役員ばかり。そんなの不公平だろうが!!」


「やはりウイルスを持ち出そうとしていたんですね」


 余計なことを口走ってしまったと苦い顔をした室長ではあったが、開き直るのに時間はかからなかった。今度はうっすらと笑みをつくり、鼻息を荒らげる。


「それがどうしたっていうんだ! お前だって何か企んでるんだろ? その女、見かけない顔だ……お前だって俺と同じで悪巧みしてるんだろ!」


「あなたと一緒にしないでください」


「だいたいお前みたいな子供ガキどもが邪魔したところで俺を止められるわけがないだろ! 俺はっ」


 アタッシュケースを振り回しながらじわじわと出口へ向かう室長だったが、突如歩みを止めた。背後に誰かの気配を感じとり、室長は恐る恐る振り替える。アキと姫も意外な人物に目を疑った。


「君の企みはよく分かった」


 そう告げると、その人物は勢いよくアタッシュケースを室長から奪い取る。

 突然現れたのは幸太郎だった。いきなり社長が立っていたことに相当驚いたのか、室長はアタッシュケースを取り返すこともせずに呆然と立ち尽くす。その隙を姫は見逃すことなく、ケースを手放した室長のお腹に蹴りを入れた。かなりの威力だったようで、室長は情けない声を漏らしながら床に崩れ落ちていく。


「これは君に預けるべきだろうか?」


 アタッシュケースを姫に差し出す幸太郎をアキは無言のまま見つめる。


「それはあなたが持っていてほしいです、須波社長」


 姫がその名を呼んだ瞬間、アキの表情が僅かに曇る。


「そうか」


「あとはこの人を警察に突き出してくだされば助かります」


「それはいいが……鴇を止めにいく方がいいんじゃないか?」


「それはわたしの仕事です。あなたのやるべきことはビルを出てから山ほど待っていますよ」


 姫はようやくアキに目を向けた。


「今は彼女と一緒に無事、このビルから脱出してください」


 幸太郎に視線がアキに注がれる。アキは思わず目を逸らした。

 姫は気まずそうなふたりをそのままに室長の両手を掴み、目に留まったガムテープでぐるぐる巻きにしていく。


「アキさん」


 気が付くと、姫はコピーが終わったUSBメモリーを抜き取っていた。


「必ずこれも警察に渡してください」


「姫……わたし」


「お願いします」


 アキの言いたいことを遮るように頭を下げた姫はアキの手にUSBメモリーを握らせると、にっこりと笑顔を見せる。


「狭山さんのことは任せてください」


 そして、姫は研究から飛び出すように出ていってしまう。

 静まり返る研究室に機械の発する音だけが響き渡る。そんな空間に耐えきれなくて、アキは仕方なく幸太郎に視線を向けた。


「あの……どうして研究室へ? 今ごろ監禁された研究員の人たちとビルから逃げ出しているはずですよね?」


「ああ、そうだったが……わたしが独断でここまで来たんだ。助けに来てくれた相田くんという青年に君のことを教えてもらったから」


 その言葉にアキに目が一気に開く。


「雛梨なのか?」


 躊躇いながら問われた質問にアキはどう答えていいのか分からず、ただ光太郎を凝視した。


「かなり雰囲気が違うが……子供の頃の雛梨の面影が残ってるな。目もとは相変わらず母さんにそっくりだ」


 懐かしむような眼差しをした幸太郎だったが、瞬時に悲しげな面持ちへと変わる。


「聞いてもいいだろうか? 俺が爆破で死んだ後……どうなったのか」


「お母さんはビルの爆破が起きた後すぐに……ずっと死ぬ間際まであなたのこと呼んでた」


「そうか。雛梨には辛い思いをさせて本当に申し訳なかった……雛梨と母さんを守りたい一心だったのに、逆に不幸にさせてしまった」


 本当にすまないと頭を下げる幸太郎の姿にアキの顔に悲しみに染まった。


「だったら、どうしてウイルスなんて開発したの? こんなものを作ったばっかりにお母さんはひとりで死んでいった。わたしはずっとあなたが爆破にも関わってて、組織とも関連があるんじゃないかって疑ってた。過去へ来たのは世界を救うためでもあったけど、本当は……あなたに会って確かめたかったから」


 幸太郎が顔を上げると、少しだけ涙で滲んだ瞳をしたアキが視界に入る。


「もしもあなたが組織の一員だったら……爆破も4年後に起こる事件もあなたが関わっていたことだったとしたら、わたしはあなたを殺すつもりだった」


 そう告白された幸太郎はどこか安堵したようだった。


「そうか」


「なんか嬉しそうな顔してる」


「いや、すまない。自分の思いを貫くために行動しようとするところは暁子あきこによく似てるよ。さっきアキと呼ばれていたけど、お母さんの名前を使ったのか? 俺もよくアキって呼んでいたのを思い出したよ」


「それ、お母さんから聞いた」


「こんな父さんでごめんな。雛梨をひとりにしてダメな父さんだった」


 アキよりも先に幸太郎の目から涙が溢れ落ちる。それにつられ、アキの頬に一粒に滴が伝い落ちていく。


「ほんとよ。だから、今度は死なせないんだから」


 そう言い切ったとき、お互い笑顔に変わっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る