94話 油断

 花火がしきりになり響いてる最中、アキたちはビルの一階通路にいた。セレモニーに参加しているおかげで社員は誰ひとり見当たらない。


「セレモニーが始まったんだな」


 博がスマホを取り出すと、画面は10:00ぴったりを表示していた。


「爆破まであと1時間20分……計画通りにいきましょう。では、再確認します」


 姫が真剣な面持ちでみんなを見回す。


「博さん、文也さんは左通路奥にある非常階段から10階・資料室へ向かってください。同じようにパスワードを入力するようになっていますので、前に教えた数字を打ち込んでください」


「分かった」


 博と文也は同時に頷いた。


「いいですか? その中にいる4名を連れ出して、速やかに外へ逃げてください。出る時は人の多い正面玄関の方がいいかもしれません……裏口はさっきの警備員が目を覚まして、助けを呼んでいる可能性もありますから」


「分かった」


「くれぐれも狭山さんを助けに行こうとか余計な行動はしないでください。安易な行動をとれば騒ぎが大きくなってしまいます」


 博はどこか切なそうな表情をする。それは拓を直接手助けできないことを気にしているからだろう。その気持ちを察したのか、姫が優しく笑いかけた。


「大丈夫です。狭山さんは必ずわたし達で助け出します……なので、お願いします」


 突然、姫が深く頭を下げる。その姿に博と文也は驚き目を見開いた。


「わたしのお父さんを無事に助け出してください。浬さんのご両親も、社長も……彼らが死んでしまったら、未来を変える手立てがなくなってしまいますから」


 姫の両肩にそっと手が置かれる。それは博と文也、両方の手だった。


「必ず助け出すよ。約束する」


「その代わり樋渡さんもちゃんと戻ってきてよ。きっと、お父さんももう一度会いたいって望んでると思う」


 姫は顔を上げ、博と文也の温かな笑顔に涙を浮かばせる。


「はい。分かりました……」


「じゃあ、アキさんも気を付けて」


「うん、ふたりも気を付けてね」


 手を振って走り出したふたりの背中をアキはただ見つめた。


「では、わたし達も行きましょうか」


 姫の声でアキも自分の行く先へと体を向けた。


「研究室は地下なのでエレベーターでしかいけません……なので社員用エレベーターへ向かいます。もしかしたら社員がいるかもしれないので、ここからは慎重に行動しましょう」


「ええ」


 姫は走り出そうとしたが、ピタリと足を止める。


「どうかしたんですか? 狭山さんが心配ですか? それともお父さんが心配ですか?」


「そうね……どっちも心配ではある」


 けど、アキの気掛かりはそれだけではなかった。けれど、それを今口にしたところでどうにもならないことはアキ自身分かりきっている。

 悩んでいる自分をどうにか振り切ろうと、アキはとんでもないことを姫に言い放った。


「樋渡さん、わたしの頬を思いっきり叩いてくれないかな?」


 きっと姫は困った顔をするだろうと予想していたのだが、言い終えたと同時に強い衝撃が左頬を襲った。あまりにも予想外で痛みを感じるのに数秒かかってしまう。


「すいません、こういうのは思いきりが必要でしょうから……どうですか? 頭すっきりしましたか?」


 その問い掛けに笑いが込み上げた。声を押さえながら一頻り笑い、アキは腫れ物が取れたようなスッキリした表情を姫に見せた。


「姫、あなた最高だわ!」


 ずっと樋渡さんと呼んでいたアキがはじめて呼び捨てにする。少し姫は照れ臭そうに頬を染めた。


「ありがとう……おかげで吹っ切れた」


「それなら良かったです」


 お互いにあったわだかまりが消え去り、再び走り出す。


(拓、わたし達が行くまで生き延びててよ!!)


 その頃、拓と満里奈は声を発することもできず、ただ状況を窺っていた。浬が鴇にペンダントを手渡し、それをしばし確認する。その沈黙が緊迫感を増す。


「確かに中に何か入ってるわね。まさかこんなところにワクチンを隠すだなんて父親も考えたものね」


「姉さん、これがワクチンなら目的は達成だ」


 鴇はもう一度ペンダントを浬に渡し、銃を握り直す。だが、銃口は満里奈に向けられることはなかった。それだけのことだったが、拓はひどく安堵した。


(……良かった。これですんなり逃がしてくれたらいいんだけど)


 10分経ったのか、辺りは静かになった。これで銃を簡単に撃てなくなったのだが、まだ満里奈は時の腕の中。下手に刺激したくはない状況だ。


「……もういいわ。ほら、白馬の騎士のところへ行きなさい」


 意外にも鴇はすんなり満里奈を手放した。


「満里奈!」


「拓さん!」


 手を縛られた状態で満里奈は拓へと駆け寄る。拓の腕の中になだれ込むようにして満里奈が飛び付いた。


「良かった。怪我は?」


「大丈夫です」


 そう言って笑う満里奈だが、少しだけ痩せた気がする。顔もあまり眠れていなかったのか目の下にはくっきりと隈が浮かび上がり、顔色もなんだか青白かった。


「よく頑張ったな」


 そう言って頭を撫でると、今にも泣き出してしまいそうに満里奈の顔がしわくちゃに歪んだ。


「あと、爆発するまで50分ね」


 鴇がボソッと呟く。


「あの……隼さん、俺たちはもう帰してもらえるってことでいいんですか?」


 拓は恐る恐る声をかける。鴇は無表情でこちらを凝視した。嫌な空気が漂う。


「姉さん、もうワクチンも手に入ったし……こいつらも放っておいても近いうちに死ぬ運命だ。もう帰してやってもいいんじゃないか?」


 浬が思いもよらない助け船を出した。鴇の目線がすっと浬の方へ向けられる。あまりにも感情の籠っていない鴇の眼差しに、浬の表情が僅かに強ばった。


「……あなた、やっぱり情に流されたのね」


 その一言とともに、社長室に銃声が響き渡る。あまりにも凄まじい破裂音に、拓と満里奈はギュッと目を瞑った。

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