93話 逃げ場はない
みんなそれぞれドリーム・レボリューションズ社の中へと足を踏み入れていた頃、浬は資料室から満里奈を連れ出し、社長室へと向かうエレベーターに乗っていた。
「ずいぶん監禁者同士、仲良くなったみたいだな」
「見てたんですか?」
「そりゃあ、お前の監視は俺の仕事だからな」
浬が得意気な笑みを浮かべる。
「みなさん、浬さんや姫さんのこととても心配していました」
「そのわりには姫のこと教えてあげなかったよな」
「監視されてると教えていただいたので、言いたくても言えなかったんです」
本当なら姫と雛梨の無事も、もうひとり未来から来たアキの存在も伝えてあげたかった。しかし、もしも口走ってしまったら鴇に情報が漏れてしまう。そうなったら拓にどれだけの迷惑をかけるか分からない。だから、何度か聞かれたりはしたが満里奈は言いたい気持ちを押し殺した。
「へぇー、案外利口だな。さすが救世主さんだ」
浬は感心したように言った。そんな相手を満里奈はじっと見つめる。
「浬さんは本当にこのままでいいんですか?」
その問いかけに、浬は首を傾げた。
「というと?」
「拓さんはワクチンを持って必ず来ます。けど、鴇さんのあの様子だとわたし達を無事に帰してくれるようには見えません。初めに浬さん言ってましたよね? あなた達の狙いはワクチンを奪うことと、わたしを始末することだって」
「ああ、そんなことも言ったな」
とぼけたようにして言う浬に満里奈は少し強い口調で言い放つ。
「拓さんを傷付けるなら、わたしは死んでもあなたと鴇さんを許しません! 拓さんはあなたを信じているんです! それを裏切るんならわたしはっ」
途端に壁を叩く音が満里奈の耳を貫いた。浬が勢い良く満里奈の後ろの壁を殴ったのだ。満里奈は言葉を失う。それは恐怖からではない。あまりにも浬が悲痛な表情を浮かべていたからだった。
「俺だってどうしようもないんだ。ここまで来たら姉さんは止められない……もう誰にも世界は救えないんだよ」
苦しそうな声が狭い空間に響く。満里奈はひどく悲しくて、苦しくて、そのまま口を閉ざしてしまう。その時、エレベーターが最上階に着いたと知らせるように音を立てた。静かに扉が開く。
「もうおしゃべりはおしまいだ」
手を引かれ、また満里奈は社長室へと誘われる。ドアが開かれた瞬間、眩い太陽の光と、どこかで打ち上げられた花火の音がした。
「セレモニーが始まったようね」
満里奈が目を細めながら見ると、鴇が期待に溢れるような笑顔を浮かべている。最初に会った時のような怖さはあまり感じなかったが、自信に満ち溢れた表情はこれから起きるであろう悲劇を想像させた。
「彼ももう少しでこちらへ来るわ」
「もう来てるのか?」
「ええ、今さっき受付から連絡が来たから……良かったわね、救世主さん。白馬の騎士のお出ましよ」
満里奈の背筋に冷たい空気が通り抜けていく。
(どうしよう……もしも計画通りにいかなかったら、みんなまで死んでしまう)
その時、ドアをノックする音が耳に届く。
「浬、開けてあげなさい」
浬がドアへと向かうと、鴇は素早く満里奈の腕を引っ張った。強引に引き寄せられ、気付けば鴇の腕の中にいた。
「あなたはここで大人しく見てなさい」
満里奈の瞳が不安に染まる中、浬はドアを開け放つ。そこにはスーツ姿の拓が立っていた。
「満里奈っ!!」
今にも駆け寄りそうな拓を制止するように浬が手で行く手を阻む。
「動くなよ。余計な真似をすれば怪我人が出る」
「そうよ、いつだってあなた達なんて殺せるんだもの。大人しく従ってちょうだい」
鴇がわざと見せつけるように拳銃を取り出し、銃口を満里奈の頭に押し当てる。
「はじめまして、狭山 拓くん。わたしが組織のリーダーで浬の姉の隼 鴇よ……よくひとりでここまで来たわね。あなたの度胸に拍手をあげたいくらい」
「満里奈に手を出すな! それに無闇に銃を使えば、警備員がその音を聞いてここへやってくるかもしれない。そうなると、状況はあなたにとって不利になるかもしれないだろ!?」
なんとか有利な状況をつくりたくて拓は言ったのだが、そこでまた花火の音が部屋に大きく響いた。その音を聞いた途端、拓の顔が一気に焦りの表情へと変わる。相手の反応に、鴇の口角が吊り上がった。
「セレモニーを盛大に祝う花火……10分程度は打ち上げられ続ける。その間にあなたが生意気な態度をとったり、わたしに歯向かうなら、容赦なくこの子を撃つわ。今なら何発撃とうが誰にも聞こえやしないんだから」
勝ち誇った笑みに拓は悔しそうに拳をつくる。だが、すぐに手の力を抜く。
「分かった。ちゃんと言うことを聞く……だから、満里奈には何もしないでほしい」
「物分かりが良いのは褒めてあげる。なら、彼女の頭に穴を開けてしまう前に渡してもらおうかしら? 持ってきたものを浬に渡しなさい」
「なら、初めに満里奈を」
そう言った瞬間、銃口がさらに満里奈の皮膚に食い込んだ。
「聞こえなかった? わたしの言うとおりにしなさい……あなたは交渉できる立場でもなんでもないの」
これ以上、余計なことを言えば満里奈を危険に晒してしまう。拓は観念したように上着の内ポケットに手を入れる。それと同時に浬が一歩拓へと近寄った。
「早く出すんだ」
浬は至って冷静で、電話した時に感じた迷いが感じられない。もう、鴇とともに破滅へと進むことを決めてしまったのかもしれない。拓は少し躊躇ったが、手に持ったものをポケットから出した。そして、ゆっくりと差し出された浬の手のひらにそれを落とす。綺麗な球体をした小さなガラス玉のペンダントがキラキラと輝いた。
「それがワクチン?」
鴇が一瞬眉を潜める。
「ビー玉にしか見えないぞ」
浬も指で摘まみ、ペンダントを訝しげに見つめた。
「よく見てくれ……ガラス玉が二重になっていて、その中に液体が入っているんだ。それがワクチンだ」
「嘘じゃないんだろうな?」
「嘘じゃない。満里奈に気付かれないようにお父さんがプレゼントにワクチンを隠してたんだよ。そうだよな、満里奈」
拓が満里奈に視線を送る。満里奈は戸惑ったように目を泳がせた。
「本当なの? 正直に言いなさい」
鴇に問われ、ようやく満里奈は僅かに頷く。
「ほ、本当です……その中にワクチンが入っています」
満里奈の返答に鴇は笑みを深めた。
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