92話 潜入
9時50分。
拓はひとりドリーム・レボリューションズ社の前に立っていた。
手に持つ招待状を見る。
「これで招待客として入ってこいってことだろうから、正面から行ってもいいんだよな」
立ち止まっている拓の横を招待客であろう人たちが次々と横切っていく。みんなセレモニーに参加するため呼ばれた会社関係者や社員の身内だろう。何も知らず、吸い込まれるように正面の入り口へと入っていく人たちを拓は複雑な表情で見つめた。
「アキたち、無事に裏口から入れたかな?」
50分前、アキと交わした言葉を思い出す。
朝食を済ませ、身支度を整えた後、アキと同時に家を出た。
「行く方向は反対だから、ここでお別れだな」
「気を付けて……絶対にわたしが行くまでは無茶しちゃダメだからね」
お互い向かい合い、ぎこちない笑顔をつくる。
「分かってる。けど、そっちだって危険なこともあるだろうから危ないと思ったら樋渡と逃げるんだ……俺はなんとかして満里奈と逃げるからさ」
「うん」
アキがそっと手を差し伸べた。その意図が分かり、拓も手をアキの方へと向けた。躊躇しながら、お互いの手を重ね合わせる。
「死なないでね」
「もちろん。だから、また会おう」
言葉を交わし、握られた手は別れを惜しむように少しずつ離された。
「じゃあね」
別れ際のアキの一言が拓の頭にこびりついて離れない。
「あれじゃあ、最後の別れみたいじゃないかよ」
思い出された記憶の中のアキに対して、拓は文句を呟く。
「絶対また会うまで死ぬんじゃないぞ、アキ」
意を決して拓は足を踏み入れた。
拓が到着する数分前、姫とともにアキ、博、文也もドリーム・レボリューションズ社の裏口へと辿り着く。正面の入り口はすでにセレモニーへ向かう人で賑わい、裏口にもその騒がしさが伝わってきた。
「もうそろそろで拓も到着する頃だな……あいつ、大丈夫かな?」
博が心配の声を漏らす。
「大丈夫だって信じるしかないよ」
文也が冷静な口調で言うが、その表情は強張っていた。
「それにしても文也がスーツって変な感じだな」
「こんな時にそれ言わなくてもいいんじゃない? それに好きで着てるわけじゃないよ。誰かに鉢合わせしたらセレモニー参加者だと思わせなきゃいけないって拓が言うからさ……似合わないことぐらいは分かってるよ。しかも父さんのだし」
肩幅も袖の長さも大きめで、新入したての中学生の姿を思い出させる。それに比べ、博はビシッと着こなしていて、大人の風格を漂わせていた。
「博は似合ってていいよね」
「大学の入学式用にこの間買ったんだよ。けど、汚したら怒られるじゃ済まなそうだな」
そんなくだらない会話をするうちに、お互いの緊張が解れていくのが分かった。
ようやくそこで、ここへ来てから声すら発していない姫に博はそっと近付く。
「見るからに監視はいなさそうだけど、入らないのか?」
「しっ!」
博の声を制した矢先、裏口からひとり男が出てきた。顎が外れそうなほどの大あくびをして、軽く背伸びをする。そして、辺りを気にすることもなく駐車場の方へと歩いていった。それを見届け、姫がやっと口を開く。
「今の時間に警備員の夜勤と日勤が交代するんです。裏口の警備はひとりしかいないので、人数が少ない時に侵入した方が都合が良いんですよ」
「なるほど」
「それでは準備は良いですか? 今から裏口から入りますので、ちゃんんとわたしの後ろを付いてきてくださいね」
だいぶ年下の姫の言葉に博と文也は声を出す代わりに大きく頷いた。
「アキさんもいいですか?」
さきほどから物静かなアキも小さく首を動かす。
「では行きましょう!」
アキの異変に気付きながらも、姫の合図とともに博は前に視線を向けた。
裏口に人は立っていないが、セキュリティはしっかりしている。パスワードを入力しないと入れないようになっていた。しかし、それは姫には動作もないこと。もともと会社に出入りしていたのだからパスワードは把握済みだ。
(……確かに樋渡さんが居なかったら裏口から躓いてただろうな)
拓の計画は正しかったのだと、博は心の中で納得する。
すんなりと裏口のドアが開けられ、すぐに警備員が対応する覗き窓が見えた。姫はなんの躊躇いもなくその窓を叩く。
「すみません」
「はい、あれ? 君は」
短い間ではあるが姫に面識があるのだろう。中年男性の警備員が少し驚いた顔をした。
「最近見なかったけど、どこか行ってたの? そうだ、君が来たら社長に知らせろって言われてるんだよ」
警備員の手が近くに置かれた内線電話の受話器へ伸びる。鴇が警戒していないわけはなかった。博と文也の顔は一気に凍りつく。だが、姫は思いっきりの笑顔と可愛らしい裏声で警備員にお願いポーズを見せた。
「その前に警備員さんに頼みたいことがあるんですよ~。社長から人探しを頼まれてて、連れてきたんで……警備員さんに身体検査してもらいたいんです~。ほら、社長に何かあったら大変だもん」
異様なほど語尾を伸ばし、最後にはわざとらしいウインクが飛ぶ。普段の姫を見てきた博たちにとっては笑ってしまいそうな場面だが、警備員は若い女の子の可愛らしいおねだりにまんざらでもない様子だ。デレッと鼻の下を伸ばし、ニヤつき始める。
「そうだね、社長に何かあったら俺の責任になっちゃうからね……今そっちに行くから」
そう言って立ち上がり、警備室のドアから出てきた。こちらへと向かってきた瞬間、姫は顔付きを変え、素早く足を振り上げる。その行動に抵抗する間もなく、警備員の首に姫の足が激しくぶつかった。容赦のない衝撃は、大人の男を軽々と地面に叩きつける。床に倒れ込んだ警備員はそのまま気を失い動かなくなってしまった。
「誰かに気がつかれたら大変なので警備室に運びます。博さん手伝ってください」
「あ、はい」
手足を縛り、警備室の隅っこに寝かせる。そして、誰かが入ってきても怪しまれないように窓のところには巡回中の札を吊るした。
「これで暫くはごまかせます」
姫がやりきったと言わんばかりの笑み。博と文也は姫の隠された一面を目の辺りにし、思わずゴクリと唾を飲んだ。
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