第4章【救われた世界で生きる理由】

91話 運命の日

 12月25日。

 朝日が優しくカーテンの隙間から差し込む。その眩しさに自然と瞼が開かれた。見慣れた天井のはずなのに、なんだか現実味を感じない。それは今日という日がなんだか嘘のようで、どこか映画を見ているような感覚だからなのだろう。

 拓は仰向けだった体勢を横に向き直した。同時に目を見開く。

 理由はいつの間にか部屋に入ってきたアキが椅子に座りながらこちらを見つめていたからだ。


「お、おはよ」


 まだ覚醒したての脳は判断力が乏しい。勝手に部屋へ入ってきたことを問い詰めるなんて考えは浮かばなかった。


「いよいよね……怖い?」


 そう問い掛けられ、拓はゆっくりと体を起こす。そして、小さな笑みを漏らした。


「そりゃあ、今日で運命が決まるようなものだから……怖いさ」


「わたしも怖い……満里奈さんも拓も失ってしまったら未来がどんな風になってしまうんだろうって考えただけですごく怖い。だから、今この目に焼き付けておきたかったの」


「今って……それって俺の寝顔ってことか?」


「正解」


 いつになく言葉に柔らかさを含む。素直なアキの対応に拓は若干戸惑った。


「なんてね、冗談よ。安心して……わたしはあなたを絶対に死なせたりしないから」


 瞬時にいつもの口調に戻るアキだったが、さっきの言葉は冗談ではないと拓は察していた。少しだけ様子がおかしいと感じはしたが、こんな日なのだからおかしくなって当たり前なのかもしれないと見て見ぬふりをする。


「さてと、朝ごはんの準備でもしようか。体力の付くもの食べないと全力を出しきれなくなっちゃうもの! 拓も手伝って……今日が最後になるかもしれないんだからさ」


 最後という言葉に、拓の胸が微かに痛む。しかし、アキの思いを察して笑顔を作った。


「分かった。直ぐに行くから下で待ってて」


 アキが出ていくと、拓はまたベッドに体を沈める。

 数分経ってリビングへと行くと、すでに起きていた陽子がどこから引っ張り出したのか分からない古いツリーを飾り付けていた。アキはその隣でその様子を眺めている。


「母さん、何そのツリー……てか今飾るって遅くない?」


 拓の発言に陽子は照れ臭そうに笑った。

 そのツリーは拓の記憶になんとなく残っている。小さい頃はよく陽子とふたりで飾り付けた。

 昔ながらの組立式のツリー。ライトもLEDではないし、変なギザギザ模様が入っていて地味だ。家庭用にしてはそこそこ大きく、天辺には存在感を放つ星が光る。枝には手作り感が溢れた人形や松ぼっくり、鈴などが飾られていた。


「今年はアキちゃんもいるからクリスマスらしいことしたくなちゃったのよ。お父さんと結婚したときに買ったんだけど、なかなか出番が来なくて……出番が来たと思えば、すぐに拓もツリーなんかに興味を持たない年に成長して、押し入れの奥底にしまい込んだまま忘れてたの。買って30年も経つんだものね……古く見えて当たり前よね」


「けど、光ればきっと綺麗ですよ」


 しょんぼりしてしまった陽子にアキは励ますように言った。


「けど、最後に出したのって5年以上前だから……ちゃんと付くかな?」


 拓は床に置かれたプラグを手に取り、コンセントへと差し込む。すると、暖かみのある優しい光が灯った。今の家庭用ツリーには負けるかもしれない。それでも過去の楽しい記憶と重なって、目の前のツリーがとても輝かしく感じられた。


「ほら、やっぱり綺麗」


「ほんとだ」


 しばらくの間見つめて微笑んでいると、陽子の弾んだような明るい声が掛かる。


「拓、今日なにか予定とかあるの? お友達と出掛けたりする?」


 一瞬ドキッと心臓が跳ねた。


「いや、午前中は出掛けるけど……なんで?」


「なら、夜でもいいからクリスマスパーティーでもしない? 満里奈さんが居ないのは残念だけど、博くんや文也くん呼んで……料理はお母さんが頑張って用意するから!」


 楽しげにパーティーの計画を立て始める陽子の姿を見ると、何も言ってあげられない罪悪感から声が出ない。もしかしたら、明日で世界が終わってしまうかもしれない。最悪な状況を逃れたとしても、拓自身が無事に戻ってこられるか分からない。そんな状況で陽子に誤魔化しや嘘を並べることが拓にはとても辛かった。


「楽しそう。楽しみにして戻ってきます!」


 アキの声にハッと見上げる。


「みんなと一緒に必ず帰ってきますね」


 そう言い切ったアキの言葉は拓にとってとても心強く感じられた。


「俺も……楽しみにしてるよ」


 拓の言葉を聞いた陽子は満足そうに微笑む。


「あら、大変! 朝ごはんの準備しなくちゃ」


 時計を見た陽子が慌ただしくキッチンへと駆けていく。


「お母さんに言ったこと全部嘘にしないように頑張らなきゃね」


 そっとアキが呟き、拓の隣をすり抜けていった。陽子と肩を並べ、準備を手伝うアキの背中を見つめながら、拓は再度決意する。


「怖がってちゃダメだよな。俺が必ず満里奈もワクチンもみんなも、世界も……アキ、お前の未来も守るから」


 すると、手に持っていたスマホから通知音が響く。画面を見ると、相手は博からだった。


 ーー今日だな。無茶するなよ


 立て続けにまた通知音。今度は文也だった。


 ーー必ず片倉さんと一緒に戻ってきてよ。じゃないと許さないからね


 短いが優しさが伝わってくる。

 ふたりとは別行動になるから、お互いの状態を知るのは全てが終わってからになってしまう。心配ではあるが、信頼はしていた。


「必ずまた会おう」


 拓はスマホの電源を切り、キッチンの方へと近寄る。


「母さんはツリーの飾り付けしててよ。今日の朝ごはんは俺とアキでやるから」


「あら、ほんとに? お言葉に甘えてそうさせてもらおうかしら」


 拓の提案に陽子は嬉しそうにまたツリーの方へと向かう。その光景を拓はしっかりと目に焼き付けた。


(……母さん、必ず戻ってくるよ)


 爆破のタイムリミットまであと5時間20分。

 もう後戻りはできない。

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