90話 大切だから
残された時間、拓たちは作戦を入念に確認し合った。姫に作ってもらった会社内部の地図を脳に焼き付けるように何度も繰り返し眺めるのが拓にとって日常のようになっていた。
しかし、あの日アキに言われてからの拓には少しだけ変化がある。必ず睡眠はとり、しっかりとご飯を食べ、体調管理にも気を使うようになった。急激な激しい運動は避けているが、早朝に軽いウォーキングを始めた。そのおかげもあってか、最近の拓は顔色が良い。そんな変化を陽子も気が付いているようで、いつもお粥しか並ばなかった朝食にいつのまにか野菜ジュースが添えられるようになっていた。
そんな日々が続き、とうとう学校の終業式。冬休みを迎えた。
それは運命のカウントダウンが確実に迫っていると実感する瞬間でもある。
「明後日には……世界がどうなるか決まるんだな」
学校が半日で終わり、拓たちはいつものように姫のいる場所へと集まっていた。
博が緊張した面持ちで呟いたことで、あまり表情に出ない文也もいつになく不安な顔をして拓を見る。
「本当に拓ひとりで社長室へ乗り込むつもりなの? やっぱり何かあったら」
誰もが心配するのはそこだろう。姫もそこが気掛かりだったようで、文也に続いて口を開いた。
「やはりわたしも付いていった方がいいんではないでしょうか? 何かあれば対応できる人が一緒にいた方がいいと思うんですが」
「それだと警察に渡すデータや裏口からの侵入が出来なくなってしまう。それに姫が一緒に行ったら、鴇さんがどんな行動をとるか分からないだろ? ただの高校生がひとりで来ただけなら、どこかで隙が生まれるかもしれない。それに電話で浬と話したけど、やっぱりこの計画には迷いがあると思うんだ」
「それはそうかもしれませんが……浬さんが土壇場で味方になってくれる保証はどこにもありませんよ?」
「その時はその時だ。どうにかして切り抜けてみせるさ」
どこまでも前向きな拓に呆れつつも、姫の表情は少しだけ緩む。
「本当に拓さんは頼もしい人ですね」
「そんなことないよ」
褒められたからか拓は照れ臭そうに頭を掻く。そんな姿をどこかアキは不機嫌そうに見つめていた。
「そうだ。みんなまだお昼食べてないからアキさん買い出し付き合ってくれないかな?」
「え? 別にいいけど」
いきなり博に指名され、アキは言われるがまま席を立った。
「俺も行こうか?」
「いいよ。拓はしっかり本番に備えて樋渡さんと話し合ってくれよ……当日は拓が一番重要な役目を背負ってるんだから、買い出しくらいは俺たちに任せて」
そう言い終えると、博はアキと一緒に建物から出ていく。拓は少しだけ違和感を覚えながらも、目の前の課題に向き合うべく姫に視線を向けた。
買い出しに向かう道中で博は突如足を止める。それに気が付いたアキは立ち止まり、博をまっすぐ見据えた。
「わたしに話があって連れ出したんでしょ?」
「ああ、聞きたいことがあって……ずっと気が付かないふりをしてたんだけど、やっぱり今後のことを考えて聞いておきたかったんだ」
「何でも聞いて。もう隠し事はしないって決めてるから」
「なら聞くんだけど、アキさんは拓が好きなんだよな? きっと拓も、アキさんが好きなんだと思う。はじめは満里奈さんを好きだと思ってたけど、最近の拓を見てるとアキさんに惹かれてるんじゃないかって感じ始めたんだ」
真剣な目を向ける博にアキは小さく微笑む。
「すごいね、博さんは……周りのことをよく見てるわ。わたしが未来で出会った博さんもみんなのことよく見てたもの」
「俺はただ臆病なんだ。みんなが傷付く姿を見たくなくて、築いた関係が壊れるのが嫌で……つい、どうでもいいことも察知してしまう。だから、拓が病気を隠してることにもいち早く気付けたんだ」
博の表情が少しだけ暗く影を差す。それが意味するものをアキはすでに理解していた。
「博さんが心配してることは分かってる。これ以上は拓に何も言わないつもりよ……わたしは消えていく人間。今後の拓を支えるのは満里奈さんなのか、それとも未来で出会うわたしなのか、それとも全く別の人になるかは分からない。けど、博さんが心配しているのはわたしが消えたあとの拓のことなんでしょ?」
「ああ、拓がアキさんを好きなら……アキさんが消えたあと、脱け殻になってしまいそうで怖いんだ。また自分の殻に閉じ籠って手術を拒んだら、拓の生きる未来はなくなってしまう。拓は大切な人を失った過去があるから……アキさんを失ったらどうなってしまうか」
他人を思いやる心が人一倍強い博。彼の思いは痛いほどアキにも伝わってきた。
「きっと、わたしが消えたあと少しは落ち込むでしょうね。けど安心してほしい……拓は前とは違うわ。生き抜く選択をしてくれた。だからわたしがいなくなっても生きてくれる。拓はああ見えてすごく強い人よ」
「アキさん」
「けど、もしも拓が生きる気力をなくしてしまったとしたら……満里奈さんに拓を頼んでほしい。いつ出会えるか分からないわたしなんかより、満里奈さんの方がよほど拓の力になってあげられる。文也さんと結婚するのは拓がいない世界線で、拓が生きるなら未来は変化する。拓の側に居るべき人はもしかしたら満里奈さんなのかもしれない。そうなっても、わたしは後悔しないわ……それが運命なら仕方がない」
アキの瞳が少しだけ涙で揺らぐ。それでも、笑顔のまま博に告げた。
「わたしの気持ちはこのまま未来へ連れて帰る。だから心配しないで」
アキは背を向け、店の方へと歩き出す。
「ごめん」
博は目の前のアキに、何も知らない拓に向けて呟いた。
運命の日まで、あと2日。
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