89話 約束
早朝、スマホが耳元で鳴り響く。アラームの音ではなかった。
拓は眠い目を擦りながら画面に目を向けると、非通知の文字が表示されていた。
「はい」
相手には察しがつく。こんな早朝に非通知でかけてくる人物なんてひとりしか思い浮かばない。
「俺だ」
予想通りの声が耳の中に伝わってくる。相手は浬だった。
「……満里奈は?」
「無事だ」
「話はできるか?」
「悪いがそれは無理だ。俺が言っても信用性はないだろうが、怪我ひとつ負わせてないから安心してくれ」
声で安否を確認したいところではあったが、浬の声に嘘はなさそうだ。拓の中にあった不安が少しだけ抜ける。
「信じるよ。それでこんな朝早くから電話してきたのは……ワクチンのことか?」
「ははっ、理解が早くて助かるよ。ワクチンを必ず持ってこい……そうじゃなければ、救世主の命はない」
「わかった」
少しだけ浬の声に緊張が滲んだことに拓は気が付いた。
きっと、ワクチンを持っていたとしても満里奈は助からないのだろう。鴇の計画が成功すれば、会社にいる全ての人たちは爆破によって消されてしまうのだ。
どんな結末が用意されていたとしても、拓の中に迷いはない。
「必ずワクチンを持っていく」
そう言い切ると、相手からの返答がなく、僅かな無言が続いた。
浬は迷っている。そんな確信を抱く。
「俺は絶対に未来を守らなくちゃならない。それがお前の姉さんの望んだ結末じゃないとしても、いつか望んだ未来に変えられるように……今は敵だったとしても、俺は浬と新しい未来で違う出会い方をしたい。だから、全力で戦うつもりだ」
向かい合っているかのように拓は浬に気持ちをぶつけると、小さな笑い声が聞こえた。
「お前といい、救世主といい、本当お人好しだな」
「そんなにお人好しでもないさ……ただ自分が生きるなら、理想の未来にしたいっていう俺のわがままだよ」
「そうか」
「俺は生きたいんだ。みんながいる未来を……そこには浬、お前もいるんだ」
なぜか泣きたくなった。世界が平和になってしまったら、きっと浬とも二度と会うことはないだろう。世界に悲劇が起きなければ、この出会いはなかったのだ。
「違った出会いをしていたら、俺は浬と友達になれたかな?」
馬鹿げた質問だったが、なんとなく聞いてみる。すると、また笑い声が貸すかに耳元に伝わってきた。
「どうだろうな。10年後はお前27歳だろ? 俺、二十歳だし……友達にはなれないだろうな」
「そうか? 年の差のある友情だって珍しくないだろ?」
「そうだな。お前となら良い友達になれるかもしれないな」
監視されているのか、最後の言葉は囁き声のように小さい。けど、確かに聞き取れた浬の本音に拓の胸が熱くなる。そして、再び拓の中に強い決意が生まれた。
「俺はお前も、お前の姉さんも、樋渡も守るから! 誰も死なせたりしない!」
「もう切るよ」
そこで通話は切れてしまう。ツーツーという規則正しい音が虚しく響いた。
拓は居ても立ってもいられず、部屋を飛び出す。向かったのは隣の部屋。ノックもせず、ドアを開け放った。
「アキっ!」
しかし、まだ朝の6時前。拓がいきなり入ってきた物音で、アキはうっすらと目を開ける。まだ寝ぼけ眼のアキに構わず拓は近寄り、目を擦るために伸ばした手を止め、力強く握りしめた。その瞬間、アキの目が驚きから大きく見開かれる。
「拓っ?」
「絶対に成功させよう……アキに言われた通り、身体のこともちゃんとする。そして、満里奈もワクチンも、みんなも守れるようにする」
突然そんなことを言われてもアキには状況がさっぱり分からない。ただ、拓の言ったことに頷く。
「それで……そのあと、アキと別れる前にしっかり話がしたいんだ」
「はなし?」
「俺とアキが初めて会った日のことや、俺がアキをどう思ってるのか」
覚醒したアキの目が更に開かれ、急激な展開からか頬が赤く染まる。
「ちょっ、それは前に言ったでしょ? その話は拓が生きて、未来で会うわたしから聞いてって」
「それじゃ駄目なんだよ!!」
拓の声がいつになく真剣で、アキの声はそこで途切れてしまった。
「俺は間違ってた。俺の今の気持ちは未来の雛梨に言っても無意味なんだ。俺のことをずっと思い続けて、こうやって過去までやって来てくれたアキに伝えなきゃいけなかったんだ。俺がまた生きようって決意できたのは、未来の雛梨じゃなくて、今目の前にいるアキなんだから……だから、ちゃんとアキと話がしたい」
強く握られた手が少しだけ汗ばむ。それを気にしながら、アキはまっすぐ拓を見つめた。
「わかった……けど、今じゃ駄目なの?」
「今は満里奈やワクチンのこと、救わなきゃいけない人たちのために集中したいんだ。アキに言われた通り、身体のこともしっかりケアして万全にしなきゃならないし……それに今話したらさ、心の準備する時間ができちゃうだろ?」
「心の準備?」
「アキと離れる準備をするのがつらくなる。だから別れの時間ギリギリに聞いた方がお互いに傷付かないかもしれないだろ?」
「なによそれ……」
アキの目にうっすらと涙が浮かぶ。
もう傷付く準備をしていることを知りながら、アキは拓の提案を受け入れた。
「拓がそうしたいなら、わたしはそれでいいよ」
「よし、約束な」
なんだか握られた手が離れがたいと言っている。それでも、そっと擦り抜けていく温もり。
途端に気まずさがふたりを包み込んだ。
「えっと、それじゃあ……俺、部屋に戻るよ」
「うん」
「アキ」
部屋を出る寸前、歩みを止める。アキは恐る恐る目を向けると、暖かな笑みを向ける拓が写った。
「俺、全然頼りないかもしれないけどさ……後悔しないように頑張る」
そう告げて、拓は部屋を後にする。
「頼りなくなんかないわよ」
ボソッと聞かれないように呟き、アキはまた布団の中に潜り込んだ。
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