88話 重ならない恋

 拓とアキがようやく自室へ戻ってきたのは夜が更けた頃だった。


「なんとか誤魔化せたわね」


 アキは迷うことなく、拓のベッドに腰を落とす。

 みんなと別れた後、拓とアキにはまだやるべきことがあった。それは満里奈が誘拐されたことを周りの人間に気づかれないようにすること。組織に連れ去られたと知られてしまったら、計画は水の泡となって消えてしまう。警察になんて通報されてしまったら、満里奈の身が危ない。満里奈に何かあれば未来はおしまいだ。

 だからこそ、満里奈が消えてしまった事実を隠蔽しなくてはならなかった。

 学校へはアキが満里奈になりすまし、しばらく家庭の事情で休むと伝えた。陽子にはお父さんの件で海外へ行かなくてはいけなくなったと嘘をついた。自分事のように心配していた母の姿を思い出すと、今も心が痛む。それでも、今の拓には突き進むという選択肢しかない。


「今頃、満里奈どうしてるだろう。何か痛いことされたりしてないといいんだけど」


 拓は脱力するように机に膝を付き、深いため息を漏らした。


「拓、顔色悪いよ」


 明るい部屋へ来せいで顔色の悪さが際立っている。顔一面が青白いし、唇の色も血色が悪いのか紫がかっていた。


「平気だよ。少し頭痛があるだけだから問題ないし」


「ご飯、あんまり食べれてなかったよ」


「満里奈が連れ去られたんだから、食欲なんて湧かないって」


 この部屋に戻る前、夕食に陽子の作ったカレーライスが出されたのだが、拓は半分以上残してしまった。


「拓、あなたの余命宣告をしたのは確かにわたしだけど……あなたが無茶を続ければ、未来は簡単に変化してしまう。拓に何かあったら誰が満里奈さんを守るの?」


 アキは立ち上がると、拓の腕を掴み上げる。一気に立ち上がったことで目眩を起こしたのか、拓の体は不規則に揺れた。


「こんなフラフラでどう満里奈さんを助けるつもりなの?」


「それは……」


「もうわたし達には時間がない。その限られた時間に何をやるべきなのか分かる?」


「作戦をちゃんと練る」


「それはみんなと集まった時にすればいい。作戦をちゃんと立てることは大切だけど、それを確実に実行できるようにしておくことが今の拓には必要なんじゃない? しっかり寝て、しっかり食べて……ちゃんとやり遂げて、生きてほしいの」


 アキは拓を支えながらベッドへと向かい、拓を座らせる。両肩を支えられながら、拓は頭を枕に沈めた。視界いっぱいにアキの顔が写り込み、拓は気恥ずかしさから目を背けた。


「今日は何も考えずに寝なさい。満里奈さんならきっと大丈夫、そう信じましょう」


「なんかアキって年上みたいだよな」


「なにそれ?」


 拓が目線を戻すと、アキが思いっきり拓を睨み付けている。


「違う違う! 見た目とかじゃなくて、中身の話……今の俺とアキは同い年なのに、いつもアキには励まされてばかりな気がするよ」


 まだ年上というワードが気に食わないようで、眉はつり上がったままの状態。だが、口許には笑みが浮かぶ。


「わたしは満里奈さんとの約束を守るために過去へ来たの。なのに、そのわたしが弱音を吐いてたらダメじゃない……それにね」


 そこでアキの口が閉ざされる。


「やっぱりなんにもない」


 顔が離され、アキは背を向け立ち上がった。


「なんだよ、中途半端だな。気になるじゃないか」


「大したことじゃないもの。じゃあ、ちゃんと休むのよ」


 ドアが閉められ、静まり返った部屋の中に溜め息の音が響く。


「俺がもしも未来でアキと会えたとしたら……どうなるんだろうな」


 素朴な疑問が口から溢れ出す。そして、また溜め息。

 何度も未来を想像した。組織も捕まり、死ぬはずの人は救われ、世界は平和を保つ。そして、自分がその未来にいる姿が頭に浮かぶ。なのに、そこにはアキがいない。

 組織が世界を滅ぼしかけたことで満里奈という救世主が誕生した。拓が死んだことでタイムマシンを開発し、過去へ行く計画を立てていたから、アキが拓の前に現れたのだ。しかし、世界が平和になってしまったらアキの人生に拓は存在するのだろうか。

 そこで拓の脳裏にアキの言葉が浮かぶ。


「そういえば、雛梨と会ったのはあの日が初めてじゃないって言ってたっけ?」


 けれど、その出会いも瞬間的なものなのだろう。雛梨の心にどの程度残った記憶なのかは知らないが、世界が平和になってしまったらそんな些細な記憶なんて思い出されないまま消え去ってしまうに違いない。そもそも年齢だって離れているわけだから、偶然再会できたとしても友情すら芽生えない。

 きっと赤の他人として擦れ違って終わってしまう。

 そう考えた瞬間、耳元に冷たい感触が伝った。手を触れ確認すると、そこでようやく自分が泣いているんだと実感した。

 拓は涙を拭いながら、身体中を巡る激しい感情の正体を痛感する。


「俺……アキが、好きなんだな」


 未来を考える度に漏れる溜め息は、雛梨と出会えるかどうかと不安になっているせいではない。

 過去へやってきた強がりだけど優しい、あのアキとはもう会えないと分かっているからだ。今を生きる雛梨ではなく、拓や満里奈を救うためにやってきたアキに恋している。

 それを知ってしまった。


「馬鹿だな、俺……こんな大切なことに今さら気が付くなんてさ」


 いつかアキは消えてしまう。それでも時間とうのは残酷で、今も時を刻み進み続ける。


「今やるべきこと……そうだよな、今俺にできることをしなきゃ」


 ひとり、決意を噛み締めた。

 拓は足元にある掛け布団を引っ張り、頭が隠れるまで被る。


「倒れてたまるか」


 そう言って、無理矢理眠りについた。


 運命の日まで、あと12日……

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