79話 雛梨と拓
翌朝、拓は重い瞼を開ける。
昨夜はみんなで鍋を囲み、賑やかな夜を過ごした。そのため、家に帰ると疲れがどっと身体を重くし、吸い込まれるようにベッドへと倒れた。そのまま深く眠りにつけそうだったのだが、どういう訳か布団に入った瞬間に眠気が抜け、目が冴えてしまう。疲れすぎて眠れないというよりは、今さらになって不安が身体中に広がったのが原因だ。
姫と雛梨が逃げ出し、ウイルスの完成を知り、運命の日が刻々と迫っている。
そんな状況を不安に思わない人などいないだろう。
(どうする? 本当に満里奈を守りきれるのか? 爆破はもう既に起こる前提で計画が進んでるから……俺たちには手の出しようはないのか? それなら、みんなを救えずにこのまま世界が終わってしまうのか?)
いくら考えても拓ひとりで答えなど出るはずもなかった。そして、あまり眠ることもないまま朝を迎えてしまう。寝不足のせいなのか、それとも病気の影響なのか、久しぶりに頭痛がひどかった。
まだ夜が開けて間もない。陽子やアキが起き出す前にと、拓はキッチンへと向かった。
食器棚の引き出しから医者から処方された鎮痛剤を取り出し、一錠を口に放り投げ、水で流し込む。30分もすれば治まるだろう。
拓はリビングのカーテンを開けると、近くにあった椅子に座った。ひんやりとした空気が窓越しでありながら感じる。朝方はそれなりに冷え込むようになってきた。よく見ると、かなり庭が手入れされていることに気がつく。もう冬だから花などは植えてはいないが、生い茂っていた雑草は綺麗になくなっていた。きっと春になれば、陽子は好きな花をこれでもかと庭に植えていくに違いない。
「俺も手伝ってあげられればいいな」
「手伝えるわよ」
突如した声に拓は慌てて振り返る。そこにはもう着替えを済ませたアキの姿があった。
「まだ6時前なのに支度早いな」
「今日は早めに家を出るわ。学校は行かないで、雛梨を親戚の家に送り届けてくる」
「ひとりで平気か?」
「大丈夫。そもそもわたししか知らないし……それに拓たちは満里奈さんの側にいなくちゃ意味ないでしょ?」
すると、アキがそっと拓に近付き、顔を寄せる。急にアキの顔が目の前に寄ってきたことに戸惑い、拓は椅子の背もたれに背中を押し付けるように身を引く。
「なんか顔色悪くない? いつもより青白い。しかも目の下クマ……寝てないの?」
アキには敵わないと、拓は観念したように笑みを浮かべ答えた。
「いろいろ考えてたらあまり寝れなかったんだ。運命の日が近付いているって思ったら急に怖くなってさ」
「心配はいらない」
「え?」
アキはいつもより大人で、誰よりも強い瞳を拓に向けた。
「どんな計画になっても、どんな困難が起きても、どんなに危険でも……拓はわたしが守るから」
その言葉は拓の心を大きく揺るがせ、衝撃を与えた。どうしてだか、泣きそうになる。
「なあ、アキ……俺が好きだって言ったよな? けどさ、俺はあの時会った雛梨に何もしてない。なのに、俺を忘れずにいて、過去にまで来て、俺をこうやって守ろうとしてくれてる……どうしてそこまでするんだよ。俺はアキに何にも返せないじゃないか。俺が生きれたとしてもアキにまた会えるか分からないのに」
ずっと考えていたのに言えずにいたことだった。
アキは椅子に座ったままの拓を黙ったまま見つめる。その顔はどこか切な気で、儚さを帯でいた。
「今それ聞いちゃうの?」
「……いや、ごめん」
あの日、会ったことは偶然で、会話した時間も一時間もない。確かに名前は名乗ったけど、雛梨の心に残るような台詞なんて言えていなかった。どちらかと言えば、励まされたのは拓の方だ。
考えれば考えるほど、アキが拓を好きになる要素は全く無いと言えるだろう。
拓は躊躇いながらも、アキの目をまっすぐ見据えた。
「けど、俺が聞かないとアキは最後まで言ってくれない気がしたんだ。だから今がいい。今聞きたい」
はっきり言い切ったことでアキの顔に笑みが浮かぶ。しょうがないな、なんて冗談っぽく呟いた。
「拓は忘れてるかもしれないけど……あの出会いは初めてじゃない。あの日よりも前にわたし達は会ってるんだよ」
「え? いつ?」
そう返すと、アキは意味深な笑みを溢し、拓から目を逸らす。
「それは拓が思い出して……けどね、これだけは答える。その出会いでわたしは救われた。拓は何も返さなくていいの。これはわたしにとって恩返しで、拓は恩を返される側なの」
拓は必死に記憶を辿ろうと頭を働かすが、全く思い出せなかった。
「思い出せなくてもいいよ。きっと未来でわたしと出会ったら、その時聞くだろうし」
「そんなの分からないじゃないか! もしも計画が成功したら、未来は変わっていくんだ」
「未来がどんなに変わっても、拓との出会いは確かに存在した。だから、会えるよ」
再びアキの視線が拓に向けられる。
「会えたら聞いてあげて……わたしと拓がどうやって出会ったのか。未来のわたしが拓をどう想っているのか……今のわたしじゃなく、未来で出会うわたしに」
そんなことを言われてしまった拓は、何も言い返せなかった。それが今のアキにとっての答えなのだ。
「分かった」
だから、そう返事をした。
「それじゃ、行ってくるわ。早朝の方が人の目があるから動きやすいし……満里奈さんのこと頼んだわ」
「ああ」
「放課後、またみんなで集まりましょう。樋渡さんにはまだ確認しなきゃならないことがたくさんあるから」
「お父さんのことか?」
「そうね。それもある」
「なら、放課後に」
拓がそう返すと、アキは小さくてを振る。リビングを出て、物音を立てずに玄関の扉を閉めた。またひとりきりとなった拓は項垂れるように背もたれに体重をかける。首を限界まで後ろに反り、天井を見上げた。
「……俺、一体アキになに言ったんだ?」
よくよく考えれば幼いアキに恋心を抱かせてしまったということになる。
拓の深いため息が静かなリビングに響いた。
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