77話 覚悟を決めた日
場の空気が少し穏やかになった頃、満里奈がひとりだけ階段を下りてくる。どうやら緊張が解けたらしく、雛梨は数分も経たずに寝入ってしまったようだ。いくら姫が居たからとはいえ、長い間の監禁生活は幼い子供には堪えたに違いない。
「樋渡さんはこのまま俺たちと一緒に居るとして、上にいるあの子はどうするつもり?」
文也が真面目な顔で話し始めた。
「あの子は未成年、しかもここ何日間監禁されていたんだから警察が動いていてもおかしくない。母親が入院中だったとしても、親戚とかが騒いでいるだろうから、早く対処しないと俺たちが誘拐犯になるかもしれないよ」
「確かにそうだ……のんびりしてる暇ないよな」
事の重大さに気が付いた拓の顔がみるみる内に青ざめていく。
「それはわたしに任せて。あの子が今どこで暮らしてるのか分かるから、明日にでもわたしが送ってくるわ」
たしかに、それもそうだ。アキは誰よりも雛梨に詳しいのだ。
「あの、雛梨さんとはお知り合いなんですか?」
姫がアキに問い掛けるも、ただ微笑むだけで答えなかった。その対応を不振がる姫に満里奈が普段よりも柔らかな口調で話しかけた。
「あの、樋渡さんはここを好きに使ってくれて構いませんから……今は誰も使っていないので安心してください。二階にベッドもありますし、足りないものがあれば遠慮せず言ってください」
「あ、ありがとうございます」
アキの気持ちを汲み取った満里奈が助け船を出したが、まだまだお互いぎこちなさが目立つ。拓は迷いつつ、口を開けた。
「えっと、雛梨ちゃんと樋渡の問題はこれで解決したとして……これからどうしたら良いのかだけど」
ぱんっと淀んだ空気を切るように手を叩く。そして拓は満面の笑みを浮かべた。
「その話しは明日にしよう。樋渡さんも疲れただろうし、お腹だって空いてるんじゃない?」
拓の問い掛けに、姫は躊躇いながらも頷く。
「今日は美味しいものをたくさん食べて、明日からのことは明日考えよう。樋渡さんにも休息は必要だ」
「それもそうだな。拓の言うとおりだ」
博はどこか嬉しそうな顔で拓の言葉に賛成した。
「なら雛梨ちゃんが寝ているうちに買い出しにいかないと行けませんね!」
「満里奈は念のため姫たちと居た方がいい。ウイルスが完成した今、いつ満里奈が狙われてもおかしくない」
「そう、ですね」
満里奈はかなり残念そうに肩を落とす。そんな様子に拓は罪悪感のような感情を抱くがグッと堪えた。
「買い出し、俺とアキで行くから……買いたいものアキに伝えてくれないかな?」
「はい」
笑顔に切り替え、満里奈はアキの方へと駆け寄っていく。拓は小さく息を吐いた。
「満里奈さん達はしっかり俺たちが守るから安心して行って来い」
博が気遣うように拓の肩を叩く。何かを察しているのかもしれないと感じながら、拓は頼むとだけ笑顔で答えた。
買い出しへ出掛け、アキと手分けをして材料を買い物カゴヘ入れていく。陽子には先ほど連絡した。友達と一緒にご飯を食べに行く、とだけ伝えた。本当のことを話したら腰を抜かすだろう。拓はひとり苦笑いを浮かべた。
「どう? 食材揃った?」
「ああ、野菜はバッチリ!」
そう答えながらアキのかごを見ると、お肉と魚がこれでもかと詰め込まれていた。
「そんなに食べるかな?」
「食べ盛りが何人いると思ってるの? こんなの一瞬でなくなっちゃうわよ。それに鍋の材料だけじゃなくて当分の食料だって必要でしょ? 樋渡さんひとりじゃ出歩けないんだから」
なんだかアキは楽しそうに見える。拓も実は内心、友達と鍋を囲むというものに憧れを抱いていた。もしかしたら、アキも様々な事情で友達らしい付き合いをしてこなかったのかもしれない。その理由は何となく察してしまうのだが、言葉には出さなかった。
「そういえばさ、どんな気分?」
「え?」
「いや、自分の子供時代の姿を見るのってどんな気持ちになるのかなって……やっぱり気まずい?」
「そうね」
レジを待つ行列の最後尾に立ち、アキはしばらく考え事をするように遠くを見つめる。
「ただ懐かしいって思った。この頃は何にも分からなくて純粋で……少し恥ずかしくなるぐらいよ。けどね、あの素直さが今のわたしには羨ましくも感じる」
「そっか」
アキの目線が拓へ向く。
「もしも今、過去の自分と対面できたとしたら拓はどう思う? 何て言ってあげる?」
「俺? そうだなー」
拓はうーんっと唸ってから、小さく微笑んだ。
「もしも子供の頃の自分……両親を亡くした頃に自分に会えたとしても、何も言わないかもしれない」
「え? 病気の事とかも伝えないの?」
「それは自分に言われなくてもその時の自分が考えなきゃいけない選択だから、それを今の俺があれこれ指示しちゃうのはおかしいだろ? もしもアキと会う前に手術を受けてたら、未来だの組織だのなんて信じてあげれなかったかもしれない。だから、過去の自分には何も言わない」
アキは少し目を見開いてから、ふっと笑みを漏らす。
「拓らしいね」
「アキは違うのか?」
「最初は会えたとしたら色々言ってたかもしれない。けど、今その状況になったら……拓と同じ考えに変わったかな」
そう返事をしたアキは、拓をじっと見つめた。どんな意図で見つめてきたのかが分からず、拓は首を傾げる。だが、レジの順番が回ってきたことでアキの意図は分からないまま終わってしまった。
その日の夜はみんなで鍋を囲み、賑やかな時間を過ごす。
運命の日まであと20日。こんな風に友達と過ごす夜はきっと最後になるのだろう。拓は笑顔を浮かべながら、静かに覚悟を決めた。
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