74話 満里奈の決意

 一通り部屋の掃除を終え、一段落したところで拓は満里奈に声を掛ける。


「満里奈、あれからお父さんの具合とか聞いたりしてる?」


「はい、母からこまめに連絡はもらってます。父が入院したのをきっかけに今は母も支えとして側にいてあげたいみたいで……一緒にいると喧嘩ばかりだったのに」


 満里奈は嬉しそうにしながらも、どこか寂しげな表情をしていた。


「病気が良いきっかけになるなんて正直複雑に感じます。両親の仲が修復したのは喜ばしいことかもしれませんが……もっと早く寄り添うことができたなら、こんな風になっていなかったんじゃないかって考えてしまうんです。もしも別々に暮らしていなかったら父の病気の兆候にもっと早く気付けていたかもしれない。そしたら、父が死んでしまう運命は変えられたかもしれないのにって……どこかでそう思ってしまう自分がいるんです」


 拓は黙ったまま満里奈を見つめる。


「こんなことを言っても過去は変えられませんから仕方のないことなんですけどね。それでも、病気以外にきっかけがなかったのが少し残念に感じてしまうんです」


「俺は」


 拓は迷いながらも口を開いた。


「俺は病気になったことで全てを諦めようとしてた。病気がきっかけだからって良い方向に進むわけじゃない……ただ、満里奈の両親が心を開くタイミングが今だっただけなんだ。いがみ合って終わってしまうよりも、寄り添える今を大切にして欲しい。なんて、俺の勝手な意見なんだけどさ」


「拓さん」


「お父さんはこっちの病院に移れそう?」


「はい。年内にはこっちに戻ってこれそうだと母が知らせてくれました」


「なら、帰ってきたら思う存分わがままを言ったらいいよ」


「え? わがままですか?」


 満里奈はきょとんと目を丸める。


「これまで満里奈はひとりで頑張ってきたんだ。お父さんが病気だからとか、お母さんに迷惑掛けるとか、そんなことは一度取り払ってさ。満里奈が今まで両親とどんなことがしたかったのか、どんな話をしたかったのか、それを伝えたらいいよ」


 そう拓が言い終えると、満里奈は少しだけ涙を滲ませた。


「そうですね。家族なんだから思っていたことを伝えなきゃ後悔しますもんね」


 納得したように頷くと、満里奈は笑顔を向ける。今度は迷いのない良い表情をしていた。


「わたし、すっごいわがままな子になりますね!!」


「どんな宣言だよ」


「拓さんが言ったんですよ?」


 そう返され、拓は笑わずにいれなかった。満里奈もいつになく無邪気な笑い声を上げた。


「わたし、これから変わっていこうと思います」


 ひとしきり笑ったところで満里奈が告げる。今度はひどく大人びた顔になっていて、拓は思わず見いってしまう。


「今までずっと自分の気持ちを素直にさらけ出すことが出来ずにいました。それをしたら、その人を困らせてしまうんじゃないかって考えてしまって……周りに合わせてやり過ごす方が楽だって思ってしまっていたんです。けど、それは自分に壁をつくって逃げていただけなんですよね。そのせいで後悔することもあるんだって拓さんのおかげで気付けたんです」


 満里奈の瞳に強い決意が籠められる。


「わたし強くなります。もしもワクチンが必要とない世界になったとしても……いつか世界の役に立てるくらいの強い人でありたい。だから、もう自分の気持ちに壁はつくりません」


 あまりの豹変ぶりに拓は口を開けたまま呆然と立ち尽くした。見た目は頼りないいつもの彼女のはずなのに、目の奥は揺るぎない綺麗な輝きを放つ。拓はその時ようやく察することができた。どうして一時期、彼女に引かれる自分がいたのか何となく納得した。きっと無意識に彼女のも津強さに惹かれていたのかもしれない。けど、それに気付くのが遅すぎてしまった。


「俺ってほんと馬鹿だよな」


「え? どうして拓さんが馬鹿なんですか?」


「いや、満里奈がこんなにすごい女の子だって気付けなかったからさ」


 もしも自分が病気になっていなかったら、満里奈に恋した俺は素直に気持ちを伝えて、付き合う未来もあったかもしれない。そんな考えが浮かんだが、そっと心にしまい込んだ。だってそれは口にしても仕方のないこと。過去の出来事で、実現することのない想像。

 今、満里奈の全てを知ったとしても恋にはならないんだと拓は思い知った。もう通りすぎた恋。


「そうですね。拓さんは少し鈍いですね」


「え?」


 満里奈がいたずら気に微笑み、こちらを見やる。


「拓さんも自分の気持ちに正直になった方がいいですよ? じゃないと、本当に大切なものを手放しちゃうかもしれないですから」


 その一言は何となく心に引っ掛かっていたつかえを解してくれた。


「そうだよな」


 返事をした瞬間、拓のスマホがなる。アキからのメッセージだと、画面を確認しなくても分かった。


「満里奈、そろそろ帰ろうか」


 外へと出ると、いつになく冷たい風が頬を掠めた。

 家へと着き、玄関を開けるとすぐさま嗅覚を刺激する美味しそうな料理の臭いが漂ってきた。満里奈は単純にアキがお昼ご飯を作ってくれたんだと思っているようで、くんくんと鼻を動かしている。


「臭いを嗅いだらお腹空いてきちゃいましたね」


 そう言いながら、お腹を両手でグッと押さえ込む満里奈に拓は頷く。


「先に入っていいよ」


 靴を脱ぎ、拓よりも早く廊下にたった満里奈をリビングへと誘うように告げた。

 満里奈は疑うことなく扉へと近寄り、いつものように開け放つ。その瞬間、聞き覚えのある破裂音が連続的に耳に響いた。


「満里奈さん、誕生日おめでとう!!」


 音よりも大きな声がさらに聴覚を驚かせる。満里奈は目を見開いたまま、状況を把握できないでいた。


「え?」


「今日は満里奈の誕生日だろ?」


 後をついてきた拓がそっと耳打ちする。アキに、博と文也は飾り付けられた部屋で拍手しながら、何度もおめでとうと繰り返し叫んでいた。徐々に現状を理解し始めた満里奈の目には大粒の涙がたまっていた。

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