第3章【変動する未来】
61話 涙を流したあと
誰もが目を見開き、拓のことをただ凝視し続けていた。その時間はきっと数秒程度だったが、拓にとっては何時間も経っているように長く感じた。アキだけは見守るような眼差しを拓に向ける。
「ずっと言えなかったんだ……病気だってこと」
沈黙に耐え切れなくなり、拓は呟くような小さい声を発した。返事はない。みんな、呆然と現実を受け入れられないまま、その場に立ち尽くしている。話すら聞こえていないのかもしれない。それでも拓は伝えておかなくてはいけないと、今度ははっきりした声で話す。
「俺の病気は脳腫瘍だ。このまま何もしなければ、本来の爆破テロが起きる筈だった日の後に俺は死ぬ運命らしい……本当は誰にも打ち明けず、その日を待つつもりだった」
「待ってください! そんなの信じられません……だって拓さん元気じゃないですか! 死ぬなんて冗談ですよね?」
震える声を絞り出し、満里奈が拒絶を述べた。
「ごめん、満里奈。本当のことなんだ」
博と文也は重く口を閉したままだ。拓が隠していたことに怒っているのか、それとも呆れてしまっているのか、表情からはあまり読み取れない。こんな大事なことを友達に黙っていたのだから、落胆されてもしょうがないだろう。
「俺の脳腫瘍は手術で取り除くことはできるけど、かなり難しくて……成功しても一生寝たきりになるような後遺症が残るかもしれないと言われた。だから、俺は生きることから逃げようとしてた」
先生から始めて宣告された日の事を思い返すと苦しくなり、拓は言葉に詰まりながらも懸命に話し続けた。
「母さんに一生苦労を負わせることが心苦しくて、惨めな自分の姿を想像するのが嫌で、手術を受けない選択をしてた。残された時間、少しでも人の役に立って死ねるんだとしたら俺にとっては本望だった」
拓はアキを見つめる。
「アキが俺の前に現れた日、これは俺に課せられた定めなんじゃないかって思えたんだ。満里奈を救って、世界を守って、俺はなんの悔いもなく死ねる……完璧なエンドだって思えた」
「アキさんは初めから知ってたのか? 拓が死ぬ運命だったって」
博が俯いたまま問い掛ける。アキはただ一言、うんとだけ答えた。その答えを聞いた瞬間、博の方が微かに震える。
「そりゃそうだよな。未来の満里奈さんと知り合いだったんだから知ってておかしくないもんな」
博が勢いよく顔を上げると、そのまま拓の前へと歩み寄る。何かを言う暇もなく、博の右手が振り上げられた。拓は殴られると思い、衝動的に目を強く瞑る。視界を遮った拓の耳に、満里奈が止めようと叫ぶ声が響き渡った。だが、いくら待っても痛みも衝撃も訪れない。拓はそっと瞼を持ち上げる。
「ずっと俺たちに嘘をついてて、楽しかったか?」
瞳の中に、博が写った。怒った表情でもなく、呆れた表情でもなく、博はただ悲しそうな瞳を拓に注ぐ。
「何にも気付かないで、気楽に進路の話をする俺たちを見て拓は何を感じてた? お前が死んで、俺たちが何にもなかったみたいにお前を忘れるような薄情な友達と思ってたのか?」
振り上げられた手は拓の肩を労るように優しく掴む。
「違うよな……お前はそんな人間じゃない」
予想と反する博の行動と言葉に、拓は声を失う。話す前はひんやりと冷たく静かだった心臓が熱を持ったように激しく鼓動を刻む。
「拓は俺たちが傷付くと思って、病気のことを知ったら俺たちが進路の話をするの遠慮するんじゃないかって、馬鹿な気遣いして言えなかったんだよな? どんだけ拓が優しい良い奴かは俺たちがよく知ってるからさ」
「博……」
「それでもさ、周り見えなさすぎなんだよ……小学生からの付き合いで、お前の悪いところも良いところもずっと見てきた俺がなにも気付いてないと思ってたのか? そもそも、拓が俺たちに何か隠してることぐらい気がついてたさ」
「気づいてたって……いつから?」
「1年前の秋ぐらいから……たまに学校休むし、隠れて薬飲んでるのも文也が見てたから」
どうしてと疑問に思うよりも、博と文也が知っていたという事実に拓はひどく納得してしまった。誰よりも友達想いのふたりが拓の異変を見逃すはずはない。それぐらい少し予想すれば分かっていたはずだった。そんなことにも気付けないほど、拓は周りを見ていなかった。いや、見ようとしていなかった。
「拓に直接聞こうと思ったこともあったけど、それを知る覚悟がなくて怖くて聞けなかった。だから待つことにしたんだ……拓が俺たちに打ち明けてくれる日を。その時はどんな真実も受け止める覚悟でいようって……けどさ」
今まで人前で涙を流したことのない博がみっともないくらいに顔をくしゃくしゃに歪ませ、拓にもたれ掛かりながら泣き始めた。
「拓が死ぬなんて……そんなの受け止める覚悟なんて俺、できてないって……何度ももしかしたらって頭で考えたりもしたけど、やっぱりこんなの納得できない。拓が居なくなるなんて想像できるわけないだろ!」
「ごめん……」
「しかも言わない気だったなんて、ひどいだろ! 俺たちは拓のなんだったんだよ? 友達だろ? 黙ったまま死ぬ気だったなんて……そんなのあんまりじゃないか」
こんなにも泣きながら弱々しい声で訴えかける博を見て、拓もいつのまにか涙を流す。黙ったままだった文也もいつの間にか博同様、声を漏らしながら泣いていた。満里奈も両手で顔を覆っている。この光景に、拓は改めて自分の決断は誤りだと気がついた。
「本当にごめん」
しがみつく博に拓は手を添え、囁きかける。
「俺の病気のことで博と文也が変に気遣って、将来の話やこれからの事を躊躇って話せなくなるのは見たくなかったんだ。ふたりから笑顔を奪うみたいで、俺が堪えられなかったんだ」
「そんな気遣い傍迷惑だから」
文也が鼻を啜りながら、顔を開けた。泣きすぎてひどい顔だ。
「拓がいない未来なんて俺は堪えられない。勝手に死ぬなんて許さない……話したからには意地でも生きてもらう」
見たことのない文也の有り様と、はじめての泣き顔の凄さに拓は思わず笑った。
「そうだな……意地でも生き長らえなきゃな」
静かな決意をそっと呟いた刹那、拓の目の前がパッと明るく景色を変える。世界の変動を全身で感じたとった瞬間だった。
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