57話 監禁者

 ドアを叩く音が消え去る。反論の声はもう聞こえない。

 浬は目線を下げ、そのまま背を向け歩き出した。

 研究室の前まで行くと、ちょうど扉が開き、鴇が出てくる。


「姉さん、任務完了」


 軽く笑顔を作りながら報告すると、鴇は怪訝そうに眉を潜めた。


「そう……やっぱり姫は気持ちが幼すぎるのね。バカな親にまだ同情する心があるなんて、本当に愚かな子」


「まぁまぁ、監禁したんだからいいじゃない。頭を冷やせば、また考えも改めるさ」


「どうかしら……救世主の仲間に会いに行ったぐらいよ。最初から裏切るつもりだったとしか考えられない……で?」


 話を切って、鴇は浬になにかを求めるように目で訴える。姉弟だから、多くを言わなくても相手が何を求めているのか直ぐに分かった。浬はあくまで明るい口調で続ける。


「会いに行ってたのは救世主の同級生。名前はだけど、見るからに普通の男だ……特に俺たちの計画に支障をきたすような人物には見えなかったよ。ウイルス開発の日が早まったことで救世主に危険が及ぶ日は近いと忠告に行ったみたいだ。それほどこっちに不利になるような話題じゃない……相手は普通の学生だし」


「不利じゃない? 外に情報が漏れたのは大きな問題なの! ただの学生だからって何も出来ない子供じゃないんだから、油断は許されないのよ! その男の素性を調べなさい……ウイルス完成までにはまだ時間がかかるの。危険と感じるものは芽のうちに摘んでおかないと、あとで大きな災いになる」


「了解」


 感情の高ぶった鴇に浬は静かに答えた。これ以上、冗談混じりなことを返すと余計に機嫌を損なうと察したからだ。


「俺はあっちの3人に食事を運んでくるよ」


「そろそろ爆弾の配置場所や操作方法を知っておきたいから、聞き出しておきなさい。それを把握しておかないと計画が成り立たない」


「爆破は起こさないなら、別に聞き出す必要はないんじゃないか?」


 鴇がまた目付きを鋭くし、浬を睨む。


「わ、分かったよ。聞き出せばいいんだろ?」


「多少手荒な事をしてもいいわ。あなたも親への情に惑わされず、しっかり任務を遂行しなさい……いい? 裏切りは許さないわよ」


 念を押すように鴇は浬に告げる。浬は真面目な表情をして頷いた。


「分かったよ、姉さん」


 返事をした浬を数秒見つめたあと、鴇はまた研究室の中へと入っていく。その瞬間、浬は大きく息を吐き、ゆっくりと歩き出す。


「バカな真似しやがって……」


 吐き捨てるように言うも、浬はほのかに笑みが浮かんでいた。


 閉じ込められてから数分、姫はただ暗闇でぼんやりと立ち竦んでいた。


(どうしよう……)


 スマホは手元にあるものの、拓の連絡先を聞き忘れたことを思い出し、後悔の溜め息を漏らす。ただ、拓とのやり取りを浬が一部始終監視していたのであれば、連絡先を交換していた時点で確実にスマホは没収されていただろう。どのみち、行き止まりということだ。

 姫は電気を付け、部屋を見渡す。家具はない。キッチンの冷蔵庫を覗くと、何日分かの食料が入っていた。わたしが監禁されることを見越して浬が用意したのだろう。ユニットバスはスルーし、和室を見渡す。年期の入った畳、布団を収納する普通よりも小さめな押し入れ。とりあえず、生活はできそうだ。


「なんとか狭山さんに会いに行かないと……」


 再び扉に目をやる。

 鍵は外側からしか開かない。道具があれば壊すこともできただろうが、きっと機転の利く浬のことだから部屋に工具の類いは置いておかないだろう。


「一体どうすれば」


 そう呟いた瞬間、和室から物音が響く。姫は肩を上げ、体を強ばらせた。


「だ、誰ですか!?」


 不意に浬が言った台詞を思い浮かべる。


(世話役って……わたしを監禁する口実じゃなかったってことですか?)


 恐る恐る和室を覗くと、さっきはしっかり閉まっていた押し入れの襖に隙間だ出来ていた。


「そこに誰かいるんですよね? わたしは敵ではありません……あの、仲間です。なので、出てきてお話ししませんか?」


「怖いことしない?」


 聞こえてきたのは明らかに子供の声だった。たぶん女の子だろう。


(子供……そんな子をなんで監禁なんて)


 考えたが分からなかった。


「怖いことなんてしません、約束します。なので、あなたがどうしてこんな場所にいるのか教えてくれませんか?」


 襖が少しだけ動く。だけど、姿は見えない。姫は和室にゆっくり足を踏み入れ、襖の前に座り込んだ。


「えっと、相手が誰だか分からないと怖いですよね」


 かつて誘拐され、ひとり狭い場所に閉じ込められた記憶が蘇る。その時の恐怖と心細さは誰よりも理解できた。


「わたしは樋渡 姫です。15歳です……特技はそうですね、運動でしょうか? あとはかわいい服が好きです」


「ほんとだ。お姉ちゃんの着てる服かわいい」


 押し入れの中からはこちらの事は見えるようで、姫のファッションに共感する声が返される。さっきのように怯えた様子はない。


「あなたもかわいいものが好きですか? 良かったら、そこから出てきてあなたの好きなものをわたしに教えてくれませんか?」


 沈黙が流れる。きっと戸惑っているに違いなかった。


「冷蔵庫にお茶や食べ物がたくさん入ってましたよ? お腹空きませんか? もしお菓子が食べたいなら、あとで貰えないかお姉ちゃんが聞いてあげます!」


 暗い雰囲気はつくってはいけないと、姫は楽しくなるように明るく振る舞う。


「ジュースも頼んでくれる?」


 そう言って、襖がゆっくりと開かれた。姫の瞳に幼い少女の姿が写り込む。表情にはまだ不安が滲んでいる。


「もちろんです!」


 任せなさいと胸を叩くと、少女はようやく笑顔を見せた。


「ありがとう」


 四つん這いの状態で少女が押し入れから出てきてくれたところで、姫は質問を投げ掛ける。


「名前を聞いてもいいかな?」


「わたし……雛梨」


「雛梨ちゃん、どうしてここへ来たのかな?」


 組織とは無関係な社員の子供だとしたら、なんのために監禁などしたのだろうか。それを知りたかったが、姫という存在で緊張感が解けたのだろう。不安と寂しさが込み上げてきたようで雛梨は泣き出してしまった。姫は仕方なく、正体不明の監禁者を抱き締めた。

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