54話 本当の計画

 いつのまにか拓は大粒の涙を流していた。胸がひどく苦しくて、どうしようもない虚しさで悲しくて辛くて、嗚咽混じりに泣いていた。


「ごめん……俺が泣くなんて間違ってる」


 話で聞いたのはごく一部に過ぎない。もっと過酷な道のりを歩いてきた姫に何も言ってあげられない上に、みっともなく泣いてしまった自分を恥じる。拓はごしごしと手の甲で目を擦った。すると、姫の手がそっと拓の手を止めるように触れた。


「土……目に入りますよ」


 そっと、自分が持っていたハンカチを拓に差し出す。レースのついたピンクの可愛らしいハンカチ。


「ありがとうございます。こんなわたしを思って泣いてくれて……」


 お礼を告げた姫は切なく微笑んでいた。


「ただ救世主を守ってほしいことだけをお伝えして帰るつもりだったのに……狭山さんは不思議な人ですね。とても心を暖かくしてくれます」


 姫はそっと立ち上がった。


「あなたに会えて良かったです。この世界はやはり滅びるべきではありません……あなたのような優しい人もたくさんいるのだから、自分たちの恨みを晴らすためだけに他の人の幸せを奪うなんておかしいですね。それを確かめられてよかったです」


「待ってくれ!!」


 歩き出そうとした姫をなんとか引き留めようと手を伸ばし、細い手首を掴む。


「樋渡さんがひとりで何かやるつもりなら危険すぎる!! 他の仲間に怪しまれれば大変だ……それに、そんな酷いことをしてきた連中のところへ樋渡さんを帰すのは嫌なんだ!! 俺の家で匿うよ。樋渡さんが仲間になれば組織の作戦に対抗する計画が立てられるかもしれないだろ!?」


 もしかしたら姫が仲間になってくれれば浬も、そんな淡い期待もあった。


「違うんですよ、狭山さん」


「え?」


 姫は繋がれたまま、また拓の目の前に座り込み、笑みをこぼす。しかし、その笑顔は先程の少女の笑顔ではなかった。暗い闇を感じる、影のある笑顔。


「わたし達は確かに組織に洗脳されていました。長い間、監禁され続け、救世主を悪だと信じた……けれど、それはわたし達がの話です」


 掴んでいた手を思わず離すと、今度は姫が拓の手を優しく包むように握る。


「とっくに洗脳なんて解けてるんですよ」


「それは……どういう意味?」


「確かに過去へ行く計画は組織が考えたものです。当初は、過去へ行き爆破の阻止、爆破に関わった人間と救世主の始末、ワクチンとウイルスを未来に持ち帰る……これがわたし達に与えられた任務でした」


「ちょっと待ってくれ、組織は自分たちの親を殺すように命じたのか!? そんなの……」


 狂ってると言ってやりたかった。だが、拓はその先の真実を知りたい衝動から言葉を飲み込む。


「誰かがタイムマシンを開発したと知らされた時、わたしも浬さん達も洗脳からとっくに抜け出していました。親たちは被害者で、あの日起こった爆破テロは危険なウイルスを汚いお金に変えることしか脳のない外道な大人たちがもたらした当然の末路。それなのに自分たちの犯した罪にも気付かず、彼らは自分の欲を満たすためだけに、もっと悲惨な未来を歩もうとしていた……」


 姫は真っ直ぐ拓を見据える。


「だから……


 その言葉に思わず喉を鳴らした。自分の頭から血の気が引いていく音を拓は初めて聞いた。


「わたし達は研究員としてだけでなく、暗殺者として殺しの訓練もされていたので……たった数名の大人を殺すことは容易いことでした。そもそも自分達が裏切られるなんて微塵も考えてなかったのでしょう、最後は呆気なかったですよ」


 軽く笑い飛ばすようにした姫だったが、表情には苦痛が滲み出ていた。そんなの当たり前だ。彼女はまだ子供で、本来なら家族や友達に囲まれ、幸せに暮らしていなくてはならない。大人の身勝手な欲と陰謀によって振り回されてきた彼女には、こんな道しか選択肢がなかった。拓の胸に鋭い痛みが走る。それに堪えるように手で押さえ、姫に問い掛けた。


「それなら……姫や浬が過去へ来たのは何のため? 世界をどうするつもりなんだ?」


「わたし達が過去へ来たのは復讐のためです。鴇さんや浬さん、わたしをこんな風にした現況を全て消すためにやってきたんです」


 姫が握られた手を離し、一歩後ずさる。


「過去で爆破テロを起こした親を監禁し、爆破を阻止しつつ、ウイルスを完成させる。そして、完成したウイルスを世界にばらまく」


「ばらまくって! それじゃなにも変えられないじゃないか!!」


「わたし達がこうなった現況、ウイルスを悪用とする世界の人間全てを鴇さんは……いえ、わたしも恨んでいたんです。だから、はじめから世界が滅びてしまえば、人類が滅亡してしまえば……わたし達の長年の苦痛はその日で終わってくれる。わたし達の狙いは世界の終末だったんです」


「けど……」


 姫は優しく微笑む。心配いらないと拓に伝えるように、安心させるように笑顔を見せる。


「心配いりません。わたしはそれを止めるために狭山さんに会いに来たんです。どんなに周りの大人たちを恨んでいたとしても……あなたのような優しい人まで巻き込むようなことはしてはいけない」


「樋渡さんは何をやろうとしてるの?」


「今、わたしの両親たちは監禁されていますが、爆弾は既にビルの中に設置された状態です。だから……両親の代わりにわたしが爆破テロを起こします」


 姫の瞳には迷いが一切含まれていなかった。

 もしかしたら拓たちが手を下さなくても、満里奈もワクチンも守ることができるかもしれない。危険なことに飛び込むことなく、運命の日を迎えられる兆しが見えた。なのに、拓の胸の痛みは治まるどころか痛みを増していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る