46話 告白は、またいつか

 どのくらいの時間を過ごしたのか分からない。いつしか風は止み、感じていた肌寒さは消えていた。満里奈の話はいつの間にか途絶え、ただ手を握り合い、空を見上げる。買った飲み物も口を付けることなく、ベンチの上に置いたままだ。


「……そろそろ、戻ろうか?」


 時計がないから分からないが、もう日付はとうに変わっているだろう。誰かが気付くことはなくても、深夜の公園に居続けるのは明らかによくない。こんな時に組織の人間が現れたら大変なことだと考え、拓は意を決して話しかけた。

 満里奈の瞳からもう涙は出ていない。泣くだけ泣いて、気持ちを吐き出したからか横顔は落ち着いたように見える。それでも泣き腫らした顔は変わりなく、話しかけても反応が鈍かった。


(……泣き疲れたかな?)


 そこでやっと、満里奈の手を握り続けていることに気が付き、慌てて手を離した。


「ごめん!」


 もしかして、手を握られていることに不満があり、それを言い出せなくて黙ったままなのかと急に焦りが込み上げる。だが、満里奈は嫌な顔をすることなく、虚ろな目を拓に向けた。


「狭山くんは優しいですね。わたし、狭山くんがどうしてこんなに優しい人なのか……あの旅行に行くまで知りませんでした。ただ誰にでも優しくできる狭山くんを見ているだけでした」


「片倉?」


 拓が呼び掛けると、満里奈はなぜか小さく笑い声を漏らす。


「思ったんですけど、どうして狭山くんとわたしって名字呼びなんでしょうね。さっきみたいに、満里奈でいいですよ」


「え? 俺、満里奈って呼び捨てた? 気付かなかった」


「だから……」


 満里奈が少し目線を逸らしながら小声で言う。


「わたしも拓、さんって呼んでいいですか?」


「さん付けなんだ」


 拓はおかしそうに返した。満里奈は照れたように髪をいじった。


「いいよ。俺もこれからは満里奈って呼ぶから……これだけ一緒にいるんだし、名字呼びも変だもんな」


 そんな軽いノリで返すと、満里奈がそっと立ち上がる。


「拓さん、今日はありがとうございました。話を聞いてもらえて少しだけスッキリしました……あと、ジュースも」


 結局飲まず、すっかり温くなった缶を持ちながら満里奈は笑顔を見せた。先程よりも吹っ切れた顔で笑う満里奈に拓は安堵する。


「いや、いいんだ。それに俺だって満里奈のこと全然見てなかったって知ったよ……きっとアキが現れなかったらこんな風に話したり、自分の過去を打ち明けることなんてなかったと思うから」


「アキさんのおかげですね。お父さんのことは今もまだ何もできないことが悔しくて悲しいですけど……残された時間で自分なりにできることを探そうって思えるようになりました。ワクチンを使わない未来であれば嬉しいですけど、お父さんから託された意思をちゃんと守っていこうって今は考えてます」


「満里奈はすごく強いな。満里奈がそんなに強いって知ったのも最近だけど……未来の救世主っていうのは今は納得できる」


 満里奈を褒めたつもりで拓は言った。しかし、さっきまでの笑顔は薄れ、どこか浮かない表情へと変化する。


「満里奈?」


 どうしたのだろうと拓は立ち上がり、覗き込む。


「ごめん、俺なにか変なこと言ったか?」


「……あの、拓さんはわたしのことどう思ってますか? わたしの未来を聞いてどう感じましたか?」


「え?」


 いきなりの問い掛けに拓は戸惑った。満里奈の瞳がまっすぐ拓へと向けられる。

 躊躇いながらも揺るぎない眼差しを送ってくる彼女に戸惑い、どう返すべきなのかと困惑するも、拓はゆっくりと息を吐く。一瞬跳ね上がった心臓が少しずつ落ち着き、冷静に満里奈の瞳を見返した。


だと思ってる……だから、未来で必要とする人がいる未来を守ってあげたいと今はそれだけが俺の願いだよ」


「そう、ですか」


 静かにそう答えた満里奈に、拓は帰ろうと再度告げる。しかし、背を向けようとした拓の服を満里奈が掴んだ。


「わたし、未来の話を聞いてショックだったことがひとつだけあるんです」


 決意を固めたのか、満里奈の眼差しに強い光が帯びる。


「わたしの未来に拓さんがいないことです。どうして宮下くんと結婚することになったのかは分かりませんが……わたしは、未来のわたしが拓さんの隣にいられたら良かったと思っています」


「満里奈……」


「わたしは……わたしが好きなのは拓さんなんです!」


 拓は何も答えられず、ただ目を見開き、満里奈を見つめた。なんて答えていいのだろうと迷ったせいもあったが、自分の未来を今の満里奈に言っていいものなのか分からなかったからだ。父親のことでまだ立ち直りきれていない満里奈に、果たして自分の未来が受け止めきれるだろうか。そんなの考えなくても分かる。

 そもそも、答えなど決まっていた。


「ごめんな、満里奈……俺は満里奈を友達以上には考えられないんだ。確かに満里奈をいいなって思ってた時期もあったんだけど、それは満里奈の上部だけを見ていた頃の自分で、今の俺の心は別の方向を向いてる」


「それは他に好きな人がいるってことですか?」


 拓はそっと首を振る。


「そういう訳じゃない。今は恋とかじゃなくて、自分と向き合う段階なんだ……自分のことで精一杯な俺が誰かを好きなったとしても、きっと幸せは与えてあげられない。笑顔の未来を保証することもできない……だから、満里奈の気持ちは受け取れない」


「それはつまり、わたしが嫌いとかじゃないってことですか? 宮下くんを気遣ってとかでもなく?」


「違う! 満里奈が嫌だとか、文也に対して遠慮してるとか、そういう意味で言ってるんじゃない。ただ、自分の心に整理がつかない問題があって……今はまだ言えないけど、いずれ答えを出さなきゃいけないとは思ってる」


 満里奈は僅かに考え込むと、また目線を上げた。


「それなら、保留にしてもらえませんか?」


「え?」


 意外な申し出に拓は目を見開く。


「拓さんが今抱えている問題が解決して、私たちが平和な未来を守れたとき……わたしはもう一度、拓さんに告白します。その時に改めて返事を聞かせてくれませんか? それまでこの告白を保留にさせてください」


 缶を握り締める手がわずかに震えているのに気がついた。こんな懸命な彼女を振り払えることなどできるはずもない。拓は諦め、満里奈に微笑みかけた。


「分かったよ。保留でいいよ」


「ありがとうございます!!」


 やっぱり満里奈は強いと、拓は内心思う。


「帰ろうか」


 拓は背を向ける。その一瞬、満里奈の瞳から静かに涙が溢れ落ちた。


「優しい人ですね……本当に」


 拓の聞こえない声が静かな公園に消えていった。

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