45話 知らない彼女

 その日はどうも寝付きが悪く、拓はたまらずベッドから起き上がる。

 昼間の満里奈のことや、陽子のことを考えると睡魔はなかなか訪れてくれなかった。


「なんか飲もう」


 喉の乾きを覚え、誰もいない静まり返ったリビングへとやってくる。コップに水を注ぎ、そっとリビングのカーテンを開けた。部屋は暗いが、外は月明かりのせいかひどく明るく見える。


「どうせ寝れないなら散歩でもしようかな」


 寝るときはTシャツにジャージのズボンだから、このまま外へ出てもなんの問題もない。拓はそっと玄関から出ると、宛もなく歩き始めた。風が吹いているおかげで蒸し暑さが日中よりも軽減している。

 不気味なほど静かな住宅街を歩いているだけだが、不思議とざわついていた心が落ち着ていく。程なく十字路に差し掛かり、どっちへ行こうかと内心楽しみながら考えていると、急に背後で人の気配を感じた。もしや幽霊、または組織の人間かと、拓は恐る恐る振り返る。だが、そこにいたのはどちらでもなかった。


「ま、っ!?」


 日中に来ていたノースリーブのワンピースに、白いレースのカーディガンを羽織った満里奈が立っている。目はたくさん泣いたせいか腫れぼったく、ひどい顔をしていた。


「どうしたんだよ……こんな夜道ひとりで出歩いたら危ないだろ」


「ごめんなさい。窓から狭山くんが歩いていくのが見えて……追いかけてきてしまいました」


 いつもツインテールにしている髪は下ろされ、どこか大人っぽく感じる。ただ、その姿は誰がどうみてもか弱い少女のようで、あまりにも痛々しかった。


「なら、散歩に付き合うか? 片倉も寝れないんだろ?」


 そう問いかけると、満里奈は静かに頷いた。先に歩いたら置いていってしまいそうで、かといって後ろを歩くのも不自然で、拓は躊躇いながら隣を歩いた。さっきは迷っていた道だったが、満里奈が居ることもあって迷いなく左へ曲がった。そっちには公園があるし、自販機もある。なにか飲み物を飲みながら時間を潰そうと拓は考えたのだ。

 公園へ着いてすぐ、ポケットに押し込んだ小銭を取り出し、自販機の前へ行く。下駄箱に誰かが置いた小銭をなんとなく持ってきたのは正解だったと、拓はその誰かに感謝した。満里奈を待たせてはいけないと、適当な飲み物を買った。ペットボトルのお茶と缶のフルーツジュース。ベンチへと座らせた満里奈に、拓は缶のフルーツジュースを手渡した。


「ありがとうございます」


 小さな声でお礼を言うとそのまま俯き黙り込んでしまった満里奈に戸惑いつつ、拓は隣に座り、空を見上げた。こんな日なのに、月は今までにないくらい大きく綺麗な満月だった。

 さっきからなにを話しかけるべきか考えるが、どの言葉もふさわしくないように感じてしまう。どんな慰めの言葉も今の自分には言う資格なんてないのではないかと思えてきてしまい、浮かぶ言葉をすべて飲み込んでいた。


「あ、寒くない?」


 時おり吹く風は夜が更けるほど冷たさを増して、肌を冷やしていく。身体を気遣い訊くと、満里奈の瞳がゆっくりと拓へと向けられた。


「お父さんが倒れました」


 返事の代わりに返ってきた言葉に、拓は息を飲む。再び満里奈は視線を拓から外し、今度は空へと向けられる。その横顔があまりにも悲しげで、ドキリとするほど儚げで、いつもの満里奈とは別人のように写った。

 どうすれば彼女に寄り添えることができるのだろうか。いくら考えても分からない。答えが浮かばないまま、満里奈がまた小さく声を出す。


「明日、お母さんがお父さんのいる病院へ向かうと教えてくれたんです。いつも仲が悪いのに、珍しくお母さんの声が震えてて……」


「片倉は行かないの?」


「お母さんが今は来なくて良いと……今来ても何もできることはないし、明日先生にこっちの病院へ移れるかどうか確認を取ってくれるみたいなので……それまでは待っていなさいと」


「そっか」


 気の利いた言葉をかけてあげたいのに、こんなにも辛い状況の満里奈を前にしたらものだと思えてきた。


「わたしアキさんから教えてもらったとき、どこか他人事のように聞いていました……お父さんがいなくなることなんてもっと遠い未来の話だと思っていたから、あの話を聞いてショックだったけど実感がなかったんです」


 拓からもらった缶ジュースを力一杯に握り締める。


「いつかわたしが結婚して、子供ができて、お父さんが孫は可愛いなって抱っこしてくれる未来が当たり前に来るんだって思ってたのに……どうしてっ」


 いつの間にか満里奈の目から溢れんばかりの涙が溢れ落ち、頬を濡らしていった。


「あんなワクチンをわたしに託すよりも、もっと生きることに一生懸命でいてほしかったです!!」


 父・健也がワクチンを満里奈に託したからこそ、未来で起こる危機から世界を救うことができたのかもしれない。自分が未来をどうこうなんて知り得なかったが、それでも自分の未来よりもそれを託すことに命を懸けた健也の気持ちは今の満里奈には理解しがたいに違いない。早く治療を受けていれば、命だって落とさず、研究もできていたのかもしれないのだから。

 だけど、もし治療を受けても命を落とす運命だったとしたら、世界はウイルスによって終わっていた。そう考えると、健也の判断を否定できない。拓は複雑な心境の中で、今の満里奈に何をしてあげるべきなのかを必死で考えた。


「生きてれば……今は仲が悪くても、いつかお母さんとだって仲直りして、昔みたいに一緒に暮らせたのかもしれないのに。もうそれも叶わないなんて」


 拓は言葉の代わりに、満里奈の手を握る。言葉が駄目なら、こうして側に居続けよう。満里奈の心の底からの言葉をすべて聞いてあげるのが自分なりの寄り添い方だと拓は考えた。

 それから満里奈はいろんな事を話した。幼い頃は仲がよかった両親の様子、喧嘩のきっかけが満里奈の教育方針だったこと、擦れ違い離れてしまったのは自分のせいだと感じていたこと。

 いつもおっとりして、危なっかしいお嬢様みたいなイメージで満里奈を見てきた拓は気が付く。

 クラスも部活も一緒で、関わることの多かった彼女の内面を見ていなかった。自分のことで精一杯で中身なんて知ろうともしていなかった。


(なにが……だよ)


 アキに言ったことを思い出す。そして、自分の愚かさを知った。

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