44話 悲しむ人

 拓は家へ向かい歩く。看護師からは答えをもらえたのだが、その表情は浮かないものだった。

 看護師に訊いたのは、雛梨の名字だけでも教えてもらえないだろうか、それだけだ。しかし、名字でも個人情報には変わりなく、相手を悩ませた。とても申し訳ない。それでも、このチャンスを逃すわけにはいかない。


「あとはなにも詮索するつもりはないんです。ただ知り合いかどうか確かめたくて……」


 拓はすがるように懇願した。根負けした看護師は、ついに固い口を緩める。


「名字だけなら……」


 そう言って、辺りを気にしつつこっそりと名字だけ教えてくれたのだが、それは拓の求めていた回答とは外れていた。それ故、期待はずれに肩を落とす。


金森かなもり……雛梨か」


 聞き覚えは全くないし、スマホ検索しても金森名字で引っ掛かる人はどうみても一般人だった。もしかしたら、ドリーム・レボリューションズ社と関わりのある人の子供かもしれないという淡い期待は拓の勝手な妄想で終わりを告げた。けれど、アキへの手懸かりがすべて消え失せたわけでもない。

 もしも金森 雛梨がアキだとしたら、組織とは無関係な一般市民だということになる。だとすれば、本当に未来で満里奈と知り合い、その関わりからこんなことに巻き込まれただけの平凡な女の子。そう仮定すれば、アキは信頼できる人物だと確信できる。

 ーーの筈なのだが、やはり拓の中にあるモヤモヤは解消されずにいた。


「一般人がただ巻き込まれただけなら、なにも隠す必要なんてないし……」


 自分の名前すら伏せるのは余程の事情がない限りあり得ないし、未来へ来た目的もどこか曖昧。アキの素性は謎のままで、これ以上調べる方法は現時点ではなにもない。お手上げだった。

 そのまま自宅につくと、アキと満里奈が帰りの早い拓に驚いた顔を向ける。


「おかえりなさい、狭山くん」


「なんだ、夕方まで掛かるって言ってたからお昼ご飯作ってないよ」


 帰宅した時間はちょうど正午で、テーブルにはふたり分のパスタが用意されていた。


「この間の検査入院で検査はしてたから、予定よりも早く終わったんだよ。お昼はコンビニで買ってきたから大丈夫」


 そう言って、テーブルにコンビニ袋を置く。


「連絡くれれば作ったのに……ほら、わたしがそっち食べるから」


 コンビニのお弁当なんて体に悪いでしょと、アキはコンビニ袋を自分の方へ避けると、パスタを盛り付けたお皿を変わりに差し出す。


「魚介たっぷりのペペロンチーノ! こっちの方が栄養満点だし、身体に良いわよ」


「そうです! 狭山くんがまた倒れたらお母さん心配しちゃいますから」


 そう言われると断りづらく、拓は素直にその好意を受けとることにした。


「ありがとう」


 お昼を済ませ、拓は後片付けをするためにキッチンに立つ。すると、どこからか着信音が鳴り出した。


「あ、ごめんなさい」


 布巾でテーブルを吹いていた満里奈が手を止め、近くに置いてあったスマホを取る。


「母から電話なんで部屋にいきます」


 後片付け中途半端にしてごめんなさいと、満里奈は足早にリビングから出ていってしまった。その姿を何気なく見届け、拓はお皿洗いに移る。


「満里奈さん、大丈夫かな」


 満里奈のやり残したテーブル拭きを代わりにやり出したアキがポツリと呟く。


「なんで?」


 そう聞き返した瞬間、拓はハッと目を見開いた。

 が経っていることに気づく。それは満里奈にとって辛い現実を受け止めなければならない日だった。


「もしかして……お父さんが」


「たぶんその知らせだと思う」


 満里奈の父親が倒れて入院し、病気がもう手遅れなことを宣告されるとアキは告げた。前から忠告を受けていて心構えができていたとしても、やはり自分の親の死が迫っていると言われればショックを受ける。


「何をしてやればいいだろう」


「何もできないよ。満里奈さんが頼ってきたときに寄り添えば良いと思う……それまでそっとしておきましょう」


 アキはどこまでも冷静で大人だった。拓はただ自分の不甲斐なさに落胆するしかできない。


「心配しなくても満里奈さんは立ち直れる……お母さんもいるし、友達も……寄り添ってくれる人がたくさんいるから満里奈さんは前を向ける」


 アキがまるで独り言でもいうように庭を眺めながら言った。


「けど、拓がいなくなったら誰がお母さんに寄り添って上げられるんだろうね」


 その言葉があまりにも衝撃的で、思わず掴んでいたお皿を手放してしまった。シンクに落ちたお皿が衝撃でひび割れる。


「わたしも部屋にいくから」


 アキはそっとリビングを出ていき、拓は何も言えないままひび割れてしまったお皿を片付けた。


「俺、自分勝手だったのかな」


 自分のみっともない姿を見られたくないから、ひとりになってしまう最後が嫌だからと、残される人のことを全く考えてこなかったことを痛感する。


「なにが少しでも人の役に立てる生き方がしたいだよ! 誰の役にだって立ててないし、逆に苦しめようとしてるじゃないか」


 行き場のない気持ちをどこにぶつけたら良いのかもわからず、きつく握りこぶしを作るしかできない自分にただただ腹が立った。虚しさが心を重くさせ、呼吸を浅くさせる。

 その日の夕食、満里奈は自分の部屋からは出てこなかった。拓もアキもお互い口を利かないまま、いつもより静かな夕食を済ませ、各自の部屋へと戻る。拓がまた部屋から出たのは陽子が帰宅した頃だった。


「おかえり」


 リビングで疲れたように椅子に座る陽子に声をかけると、にっこりと嬉しそうに微笑む。


「ただいま、拓」


「母さんはそのまま座ってて。俺がご飯用意するから」


「ありがとう。助かるわ」


 アキと作った野菜の煮物と、焼いておいたアジの開きを並べていく。


「わあ、アキちゃんと満里奈ちゃんが来てからお母さん楽させてもらって……なんだか申し訳ないわね」


 そう言いながらも笑顔をこぼしながらご飯に箸をつける。


「ごめんな、俺なにもしてこなかった」


「なに言ってるの。拓は頑張ってるよ」


 優しい陽子の言葉にどれだけ自分は慰められてきたのか実感し、思わず泣きそうになった。


「ありがとう」


「早くお風呂に入っておいで。夜更かしはだめよ」


 分かったよと、拓は陽子に背を向け、リビングを後にした。


「まだ8時だって」


 どこまでも子供扱いの抜けない陽子の過保護さに笑みを漏らす。そっと涙を拭い、拓は言いつけ通りに風呂場へと向かった。

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