35話 行き先不明の外出

 それから数日は図書館で過ごす日々が続き、気がつけばカレンダーは8月に変えられていた。

 朝起き抜けの拓がリビングに来るなり、8月に切り替えられたカレンダーをぼんやりと眺める。


「あら、おはよう」


 今日はパートが休みのはずなのに、陽子はいつもと変わらない時間にエプロン姿で現れた。アキと満里奈が家に住み始めてから、仕事の日も休みの日もこうして4人分の朝食を作ってくれる。


「手伝う」


 フライパンを暖める陽子の横に並び、拓は器に入った卵を丁寧に箸でかき混ぜた。


「あら、ありがとう。なら、卵焼きは任せるわね」


「別に俺だって料理ぐらいはできるんだから、休みの日ぐらいゆっくり寝てても良いんだからな」


「楽しくてやってるんだから気にしないの。こうしてふたり分以外の食事を作るのはお父さんが亡くなって以来だしね。賑やかに食卓を囲めるのっていいわ……アキちゃんも満里奈さんもずっと家にいてくれたら良いのにって思っちゃう」


 嬉しそうに笑うも、どこか寂しそうな陽子の横顔に、拓は何も言えなかった。


「そうそう、拓……もうじきでしょ? ひとりで出掛けるときは体調に気を付けて、もし何かあったときは必ず連絡いれるのよ」


「うん」


 拓は小さく頷く。その様子を廊下側からアキが黙ったまま見つめていた。


 またいつも通り図書館へ集合したところで、何の気なしに拓が切り出す。


「ごめん、相談がある」


 神妙な面持ちの拓の表情に、みんな不思議そうなに目を合わせる。注目を浴びた瞬間、拓は言いづらそうに目を逸らした。


「なんだよ、言ってみろ」


 博の声で拓はゆっくりと視線を戻す。


「その、一日……用事があるから出掛けたいんだけどさ。片倉のことみんなに頼んで良いかな?」


「それってひとりで行かなきゃいけないの?」


 今朝のやり取りを見ていたアキが真っ先に訊く。


「ああ、うん」


 拓はどこか気まずそうに答える。アキが難しい顔を浮かべていると、黙っていた文也が口を開いた。


「一日ぐらいなら別に問題ないんじゃない。今は組織が襲ってくる心配はなさそうだし、拓が抜けても俺と博も居るし、アキさんだっているんだから大丈夫でしょ」


「けど、拓だって狙われてる可能性だってあるのに単独行動はちょっと」


「それはそうだけど、拓だけを狙うってことはないんじゃないかな。組織の狙いはあくまで片倉さんな訳だから、拓ひとりを襲うっていうのは確率的に低い気がする」


 文也の言ったことは正論だったが、アキはどうも納得いかないという顔を浮かべる。


「たった一日なんだし、俺は反対しないよ」


「わたしは大丈夫です! 絶対にひとりにならないようにしますし、狭山くんは安心して出掛けてきてください!」


 博と満里奈も拓に助け船を出す。


「あ、ありがとう」


「分かった。でもちゃんと連絡はとれるようにしてね」


「わかった」


 アキも観念したように出掛けることを承諾した。


「いつ出掛けるんですか?」


 満里奈が興味津々に拓に訪ねる。


「明後日、夜には帰れると思うから」


「夜に帰るってことは、遠いところへ行くんですか?」


「新幹線で2時間ぐらいかな」


「親戚のおうちとかですか?」


「そんなところ」


 満里奈が次々に投げる質問に答える度に、拓はなぜだか表情を曇らせていく。その変化にアキは気づくが、博と文也はなにも感じていないようにその会話を黙って聞いていた。

 いや、感じていないのではない。知っていて、知らないふりをしている。

 アキは微かにそう感じ取った。


「ちょっとお手洗い行ってくる」


 会話も途切れ、黙々と勉強を進めている最中、拓が席を立つ。


「なら、飲み物ついでに買ってきてくれない?」


 アキがすかさず頼むと拓は苦笑いを浮かべた。


「分かったよ。何が良い?」


「お茶でいい」


「オッケー。博とか文也もいるだろ? 片倉もなにがいい?」


「俺もお茶」


「悪いな拓。俺はコーヒー」


「わたしは、じゃあ……レモンティでお願いします!」


 みんなの注文を聞き終えた拓はそのまま席を離れていった。拓の姿が見えなくなったのを確認したアキがここぞとばかりに身を乗り出し、博と文也に顔を寄せる。


「あの、聞きたいんだけど……拓がどこへ行くのかふたりは知ってるんだよね?」


 アキの真面目な顔に、博と文也は困ったように顔を見合わせた。そのようすを満里奈はキョトンと目を丸くしながら見つめる。


「いや、ごめん。どこに行くのかは知らない」


「行き場所は分からないけど、毎年決まって同じ日に拓はひとり出掛けるんだ。いつも遊びに誘うと、その日以外はって言われるから……なにか特別な日なのかもしれない」


「そうなんだ」


 ふたりの会話に少し残念そうにするアキに、文也がボソッと呟く。


「俺の予想だけどさ……拓は女に会いに行ってると思うんだ」


 文也が真顔で言い切った刹那、アキと満里奈が同時に驚き、声を漏らしそうになる。


「さ、狭山くんって彼女がいたんですか!?」


「そんな素振りなかったのに!」


 小声だがその声が焦っていると分かり、博が違う違うと手でジェスチャーする。


「これは文也が勝手に言ってることで実際はどうかは分からないんだ」


 確信もないのに勝手に話をしたらダメだろ!と、博が文也にお説教をし始めたがアキはスルーして話を進めた。


「けど、文也さんは拓が女の人と会ってるかもって思わせるきっかけみたいなのがあったんでしょ?」


「まあ、そうだけど」


「そうだけどって、あれぐらいじゃ分からないだろ? それに、拓がいないところでコソコソ話すのは良くないと思う」


 博の一言に、アキではなく、満里奈が落ち込んだような顔をする。


「ごめんなさい」


「いや、満里奈さんに怒った訳じゃないから」


「いえ、わたしもどこか聞きたい気持ちがあったので同罪というか……そうですよね。狭山くんのこと知りたいって思ってても、狭山くん本人が話してくれなきゃ意味ないですよね」


 明らかに肩を落とす満里奈の様子を見かね、博が参ったなと頭を軽く掻く。


「だったらさ、本人に聞いてみよう。それならいいだろ?」


「え? 聞いていいの?」


「たぶん」


 変な空気が漂ってしまった直後、なにも知らない拓がジュースを抱え戻ってきた。こんな話題になっているとは思っていなかった拓の表情は笑顔だった。

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