10話 隠し事
孝太朗は寝付けないままデスクの椅子で朝を迎えた。町中に朝日が降り注ぐ様を窓越しで見つめ、昨日起きた出来事を思い返す。
未来から現れた自分の跡を継いだと名乗る謎めいた女性。彼女の言ったことが正しければ、周りから無謀だと言われ続けた研究に光が差したことになる。それは孝太朗にとっては希望だった。
「おはようございます」
社長室にノックもせず入ってきたのは鴇だ。
「そろそろ、社員たちが出勤してくるでしょうから準備していただきます」
後ろには昨日いた男と少女の姿はない。
「準備をする前に訊いてもいいだろうか?」
「なんですか?」
彼女は嫌な顔はせず、うっすら笑みを浮かべた。
「君は隼と名乗ったが……うちにいる隼研究員となにか関係があるのか?」
薬品開発をしている社員の中に、同じ隼という名字の人物がふたり存在していた。そのふたりは夫婦で、確か幼い子供がふたりいると以前言っていたことを思い出す。
「いずれ分かることですからね……ここの研究員、隼夫妻はわたしの両親です」
鴇は動じる様子もなく、冷静な口調で言った。
「やはり……けど、なぜ君が未来で社長を? 10年後、わたしはこの会社にはいないのか?」
「くだらないおしゃべりは時間の無駄ですよ。今は大人しく指示に従ってください」
急に冷たい目つきをした鴇に、孝太朗は慌てて口を噤む。彼女の手には拳銃が握られていたためだった。
「わかった」
孝太朗はデスクの写真立てに目を向けながら席を立つ。写真には優しく微笑む女性が映っていた。大切そうに大きなお腹に手を添えている。
「行ってくる」
写真に向かって、鴇に聞こえない程度の声で言うと、孝太朗は鴇の方へ足を向けた。
「それでは須波社長、輝かしい未来への一歩を踏み出しましょう」
そう言った鴇の目が怪しく光る。
信用したわけではない。どこかで踏み止まれと誰かが言う。
それでも孝太朗はその先にある希望だけを見つめ、彼女とともに歩む道を進み出した。
同時刻、アキと拓は朝食を囲みながら作戦会議をしていた。
「きっと、組織はもう動き出していると思うの。だから一刻も早く、協力者である相田さんと宮下さん、そして救世主の満里奈さんにこの事態を説明しなきゃいけない。朝一で集まれないかしら?」
「そうだな……授業サボってどこかで話し合うしかないよな」
「屋上とかなら誰も来ないわよね? 今日会ったら早速屋上に連れ出しましょう」
やる気満々のアキに対し、拓の表情は強張る。序盤でアキが言った、組織はもう動き出しているがどうも気になって仕方がなかった。
どんな手段で満里奈を狙ってくるのか、武器も持たない高校生がどう立ち向かえるのか、未だ作戦も解決策もない。組織が襲ってくる前に対策を立てれればいいが、手遅れになる状況も考えておくべきだ。
「……拓、大丈夫よ」
アキの声が耳に響く。
「わたし達ならきっと乗り越えられる。それに組織のやつらも学校にまでは乗り込んでこないと思うから……ここへ来た目的はきっと満里奈さんだけが狙いじゃないはず」
意味深なことを発したアキに訊き返そうとした拓だが、母の存在で躊躇われた。
「ほら、ふたりとも! ゆっくり食べてたら遅刻しちゃうわよ」
「ああ……ごめん」
拓は背後からの母の視線を感じ、慌てて朝食を口に運んでいく。その姿をアキが不思議そうに見つめていた。
「なんだよ」
「いや……なんで拓の朝ごはん、お粥なのかなって」
拓の顔が一気に無表情になる。すっかり気を抜いてしまっていたことに内心焦った。
朝はどうも体調が不安定になりがちで、頭痛や吐き気を起こしやすい。そんな拓の体調を気遣って朝食は消化のいいお粥と、いつからか母が始めたのだ。それが長く続いたせいか、当たり前の光景になっていた。
きっとアキは怪しんでいる。朝食に自分だけお粥を出されるなんて、はたから見たら不自然に決まっているからだ。
「わたしは普通に食パンなのに」
必死に言い訳を考えるのに、どうも頭が回ってくれない。それが寝不足のせいなのか、朝からあるお決まりの頭痛のせいなのかは分からないが、うまい言葉が口から出てくることはなかった。
「拓ってもしかして……」
もうバレてしまったら、潔く認めようと考えた拓にアキは告げる。
「胃腸が弱い人?」
「へ?」
思いもしなかった言葉に、漫画のような腑抜けた声を出してしまった。脱力しつつも、バレていないことに心底安堵した。拓はぎこちない笑みを零しながらアキに頷き、肯定の意を示した。
「そ、そうそう……朝に食べるとダメなんだよ」
「そうなんだ。でも朝にお粥っていいかもね……わたしもそうしようかな」
「母さんに言ってみたらいいよ」
そう返した途端、アキは母にさっそく朝食の変更を頼み込み始めた。
(……けど、アキにはいつかバレるだろうな。その前に打ち明けないと)
アキは博や文也のようにはいかない。だったら、知られてしまう前に告白した方がいいのではないか。
(その方が楽になるかな)
今まで友達にも言えなかった隠し事を打ち明けられる人ができる。それは、抱えていた罪悪感から少しだけ解き放たれるのではないだろうかと感じた。
――アキなら。
もう一年後に死ぬことを知っている彼女なら受け入れてくれる。拓は密かに告白する決意をした。
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