9話 動き出した組織
夜も更けた頃、寝付けることができず、拓はひとりベッド上から窓を眺める。
静寂とした漆黒の空にぼんやりと浮かぶ三日月。所々で鈍い光を放つ都会の星空。
平和と信じていた景色が今日は違って映り込んだ。
アキもまた、別室の窓から拓同様、空を切なげに見つめる。
その眼差しはどこへ向けられているのか、今は誰も知らない。
ただ、ふたりが抱える不安は静かにこちらへと忍び寄ろうとしていることだけは確かだった。
社員たちはもう誰一人残っていないビルの最上階の一室に、今だパソコン画面に目線を注ぐ人物。
険しい表情をしていたが、ほどなく溜息をつけながら背後にある窓へと目を移す。
紺色のスーツに、ワインレッドのネクタイ。少しズレた眼鏡を直しながら、彼もまた空を仰ぐ。
ドリーム・レボリューションズ社・社長室。
広い部屋の中央にはお客をもてなす高級感あふれた革のソファに大理石のテーブル。壁際には難しい本や資料が並ぶ本棚。それを見渡す位置に彼の座っているデスクがある。
彼こそがここの社長・
「あと一年……時間がない」
孝太朗は独り言のように呟き、窓からデスクの上に飾られた写真立てへと目を向けた。
その時、誰もいないのに社長室のドアが静かに開けらる。音もなく開いたドアだったが、孝太朗は人の気配を感じ、すぐさま異変に気付く。
「誰だっ!?」
セキュリティは厳しくしている。誰もいないと言っても警備室では24時間モニターを監視している警備員が待機しているし、誰かが無断で侵入すればすぐに警報が鳴るようになっているはずだった。もし社員が残っていたとしても、社長室へ行くにはエレベーターでパスコードを入力しなければ最上階へ上がれないようになっているため、一般社員はやすやすと来られないようになっている。
それにも拘らず、社長室へと入ってきた人物はあまりにもミスマッチな3人組だった。
「騒がないでください、須波社長……わたし達は敵ではありません」
先頭に立つのは20代前半の高身長の女性。真っ赤なスーツ、膝上10センチと短いスーツと同色のタイトスカート。服装と濃いめの化粧が彼女にきつい印象を抱かせている。足元は15センチはあるであろうハイヒール。色はもちろん赤。高身長に見えるのはヒールのせいだろう。そんな派手な格好ではあるが、髪型はポニーテールとシンプル。色は漆黒。そのためかやけに赤色が目立っていた。
片方の口角を釣り上げ、嫌な笑みを見せた彼女は鋭い眼差しを孝太朗に向ける。
「自己紹介しましょう。わたしは
「未来? 一体君は何を言っているんだ?」
孝太朗は椅子から立ち上がり、警備室に繋がるダイヤルボタンを押そうと手を伸ばす。だがしかし、それは瞬時に躊躇われた。
「逆らうなら殺してもいいんだぞ?」
鴇と一緒に入ってきた男がこちらへと拳銃を向け、孝太朗の額に狙いを定めている。それを見て、伸ばしかけていた手をゆっくりと下ろした。
男は20歳かそれより下か、とても若い。耳元にシルバーのリングピアスが光り、ジーパンにTシャツ、そして黒のパーカーを羽織った今どきの青年。だが、拳銃を構えることになんの躊躇もなさそうなところを見ると、こういう場面には慣れているようだ。
質の悪い不良で片付けるには、彼女はその部類ではない。強盗とも考えたが、それにも違和感がある。
3人目の人物を見て、更に彼らの関係性の謎が深まった。
「殺したらだめです。生かさないと面倒なのはこっちなんですよ?」
優しい口調で男に制止を求める彼女。いや、彼女ではない。少女だ。
年齢は10代前半と幼さの残るあどけない子供だ。肩先まで伸びた艶やかな黒髪、純粋無垢という言葉がぴったり合う可愛らしい容姿。白い襟付きのブラウスに、フリルのついた黒のスカート。
その少女が不良や強盗に見えるはずもなく、孝太朗は動揺を覚えながら訊く。
「……何が目的だ?」
「理解が早くて助かります。こちらも乱暴なことは控えたいので……あなたに頼みたいことはただひとつ。簡単なお願いです」
鴇と名乗る女はますます口角を上げて微笑む。
「この会社を一年間わたし達に貸してほしいのです……ただ社長の座を少しの間変わっていただくだけの話です。難しい事ではないでしょう?」
「そんなの無理に決まっているじゃないか! 社員になんて説明すればいいんだ!! 得体の知れない君たちが会社を仕切るなんて、誰も認めないぞ!?」
彼女の表情が一気に冷たさを増す。一歩一歩孝太朗へと近付き、向かい合った瞬間に勢いよくネクタイを掴まれ、引っ張られる。孝太朗はネクタイが締まった息苦しさに呻き声を発するも、瞳に映る鴇の冷酷な眼差しに息を止めた。
「社員を黙らせて、命令に従わせるのがあなたの役目でしょ? そんな簡単なことも出来ないのなら、明日この会社が血の海に変わるわよ?」
それは本気だと瞬時に伝わった。軽い脅し文句ではないことを悟った孝太朗は大人しく従うことを選んだ。
「分かった……社員たちはうまく説得する。要求はそれだけか?」
「助かります、須波社長。あとは大人しくわたし達の指示に従ってくだされば危害は加えません」
「この会社を乗っ取ってなんの得がある?」
「得なんてものじゃありません」
鴇はゆっくり掴んでいたネクタイを手放す。そして、丁寧にネクタイを直しながら怖いほど落ち着いた口調で告げた。
「わたし達の目的が成功すれば未来を守ることができる」
「未来を守る?」
またも“未来”という単語が孝太朗の頭に引っ掛かる。
「……本当に未来から来たとでも言うのか?」
「初めからそう言っているではありませんか。わたし達は10年後の未来から来た正義の味方といったところかしら? わたしはあなたにとって救世主なのよ?」
「救世主?」
「今あなたが必死に開発しようとしているものがあるはずよ」
「わたしが見付けた物質のことか? あれはまだまだ未完成で、実用性なんてない。その上、動物実験もしていない状態のもので性質すら分かっていないものだ。あんなものが目的なのか?」
「社長は頭の回転がお悪いのかしら? わたし達は未来から来たと言っているのよ? その物質がどんなウイルスを作り出すのか、どんな性質なのか、あなた以上によーく理解している」
鼻で笑う鴇に対し、須波は高まる鼓動に身震いしていた。それは恐怖が原因ではなく、喜びと期待が最高潮に達したための震えだった。
「あれが完成したのか!! ウイルスと言ったがどんなものなんだ!!」
「あらあら、そんなに焦らなくても明日うまくいけば、ちゃんとご説明いたしますわ。だから、いいですね? わたし達にすべてを任し、協力してくださると……約束できますね?」
「もちろんんだ。あれが完成できるなら、なんでもいうことを聞く!」
「交渉成立ですね」
鴇はにっこりと笑顔をつくり、孝太朗に手を差し伸べる。孝太朗は迷わずその手を掴んだ。
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