3話 謎の訪問者

 放課後になり、拓はひとり校門の門を潜った。

 期末テストが近いために部活はない。こんな時はだいたい博と文也で遊んだり、テスト勉強をしたりするのだが、今日はそれもない。博は3年生になってから生徒会長になり、文也も副会長になったため、拓ひとりで下校することが増えていた。もう高校生なのだから、ひとりで帰るのが寂しいということはさすがにない。それに普段は拓も部活があるため、頻繁に3人で帰ることはそんなに多い事ではなかった。

 徐々に共有する時間が減っていることに関しては少しだけ物足りなさはあるが、この現状に拓は内心安堵していた部分もある。一緒にいる時間が長ければ長いほど、自分の病気に気付かれてしまう瞬間がやってくる確率が高くなるからだ。


(なんだか逃げてるみたいだな……)


 まるで友達を避けているみたいに感じ、拓は小さく溜息を吐く。そんな時、頭上から冷たい何かが落ちてきた。頬を掠めていった何かに気付き、拓は空を仰ぎ見る。先程までは雲一つないほどの晴天だった空が、今はどす黒い雲に覆われていた。

 そう言えば、今朝ニュース番組の天気予報で夕立があると言っていたことを今になって思い出す。それを聞いていたのにも関わらず、折り畳み傘は玄関の靴棚の上に置きっぱなしだ。降られる前に帰ろうと拓は歩く速度を速めた。

 学校から家まで徒歩10分程度で、走ればもう少し早く着く。急げば間に合う距離だと拓は走り出したのだが、夏の夕立はそう甘くはなかった。走り出して数秒も経たないうちに大きな雨粒が道路に水玉模様をつくり、気付けば稲光が走る激しい雷雨へと激変していた。

 逃げ込むように家の玄関前まで走り、急いでドアノブを回す。しかし、鍵が掛かっていた。


「あ、そうか……母さん遅番の日だった」


 鞄から鍵を取り出し、ようやく家の中へと逃れた拓は一度大きく深呼吸する。いきなり走ってしまったため、僅かに眩暈を起こしたせいだった。


「母さんが居なくてよかった」


 少しでも体調の異変に気付くと大袈裟なほど心配してしまう母のことだから、こんな格好で帰ってきた拓を見たら激怒していたに違いない。しかも具合が悪いなんて知れば、大丈夫とどんなに言っても大騒ぎしてしまう。それを分かっている拓だから、普段から体調には十分気を遣っていた。


「風邪なんか引いたら入院しろって言われそうだな……」


 眩暈が治まってきた頃合いを見計らって、拓は濡れた靴下のまま脱衣所へと急いだ。

 濡れた衣服を慌てて乾燥機へ突っ込み、お風呂場へと駆け込む。そして、雨で冷えた身体に熱いお湯を浴びせた。一気に湯気で包まれる室内で拓は黙ったまま排水溝に流れていく水を見つめる。


「……俺って、何のために生きてんのかな」


 友達に打ち明けられず嘘をつき、心配する母に気を遣いながら1日をやり過ごす日々。もしかしたら自分には何か決められた役目があって、病気は試練だったりするのではないかと考えた時期もあった。いつか誰かの役に立つような出来事があって、感謝されながら死を迎える。

 たとえ死んだとしても、そんな結末なら嬉しいとさえ拓は思えた。


「今の俺じゃ何のために生まれてきたのかさえ謎だわ」


 誰の役にも立てず、何をしたら役に立てるのかさえ分からない現状に拓は思わず笑ってしまう。


「ほんと……自分にがっかりするよ」


 こんな弱音はひとりの時にしか零せない。こんな孤独な環境を作ったのも自分だ。自業自得と言われても反論できない。

 手術を受け、友達にも病気のことを打ち明けたらこんなにも孤独な時間はなかったかもしれない。けれど、その先も孤独にならない保証はどこにあるのだろうか。寝たきりになれば友達は自然と離れていく。いつしか母も年を取り、父親のもとへ逝く日が来るだろう。



 ――そしたら、その後は……?


 一生誰かの手助けを借りながら、孤独な日々を過ごすのかと思ったら、背筋に寒気のようなものが走った。


「……俺、ひとりになるのが怖いんだな」


 誰にも知られることのない涙をお湯で流しながら拓はまた小さく笑う。その切なさは虚しく湯気の中へと消えていった。





 身体も温まり、部家着に着替えた拓はコップに注いだ麦茶を片手に二階にある自室へと向かう。


「……駄目だな、悲観的になると」


 そう呟き、ドアを開ける。その瞬間、拓は違和感に目を見開いた。


「……え?」


 思わず声が漏れる。

 そこは確かに自分の部屋だった。すっかり色褪せてしまった長年付けっぱなしのカーテン、傷や落書き跡が残る愛着ある机や本棚。毎日目にしてきた見慣れたものに囲まれた自分だけの空間がそこに広がっていた。ただ、ひとつを除いて。

 この家にいない筈の人物が拓のベッドで足組をしながらこちらを見つめていた。あまりに予想反する出来事に、幻覚でも見ているのではないかと拓は目を擦ってみる。だが、その人物が消えることはなかった。


「君は……?」


 その人物は年の近い見知らぬ少女だった。見た瞬間、一番に目を引いたのは眩しいぐらいのブロンドヘア。肩下まで伸びた長い髪はふわふわとカールしていた。そんな髪色にも関わらず、服装はかなり乙女チックな純白のワンピース。瞳は奇麗なライトブラウン。海外の人なのか、それともハーフなのか、それはぱっと見では区別はつかない。

 しかし、彼女の外見よりも今はもっと重大な問題が拓を悩ませた。


「どうやって家の中に入ったんだ? 鍵、掛かってたよな?」


 その問いに彼女は動じることなく、余裕の笑みを浮かべる。


「鍵はちゃんと掛かってたわ」


「まさか泥棒?」


 しかし、彼女が泥棒というのはおかしい。何かを盗むためにこの家へ侵入したのだとしたら、見つかったらもっと動揺するはずだ。それなのに彼女はそんな素振りを全く覗かせない。


(……母さんの親戚の中にこんな子がいるなんて話に出てきたことないし)


 彼女は疑惑の目を向け続ける拓にまたにっこり微笑んだ。


「安心して。わたしは泥棒じゃないわ……付け加えて言うと、あなたの親戚でもなければ、知り合いでもない」


「……は?」


 思わず首を傾げた。


「親戚や知り合いでもない君が俺の家の中に居るってことは、やっぱり泥棒ってことじゃないか!」


「あなたはわたしを知らない。けど、わたしはあなたをよく知ってる……だからここへ来たの」


「どういうことだよ」


「自己紹介するわ。わたしはアキ……これで今から知り合いになったわ。よろしくね……狭山 拓」


 ドキッとした。いきなりフルネームを言われたことに驚いたわけではない。彼女が右手で髪を耳に掛ける姿が妙に色っぽかったからだ。耳に目立つように光り輝く赤いピアスを見つめながら、拓はなんとか今の疑問を言葉にした。


「アキ、さん……君が俺を知ってるのは分かったけど……この状況の説明になってない」


「あら、これだけじゃ不十分だった? なら、生年月日や星座も言う?」


「そうじゃない! 勝手に家に侵入したした目的はなんだって聞いてるんだ。はぐらかすなら警察を呼んだっていいんだ」


 少し強気に言うと、アキは少し悩んだ仕草をする。


「それは困るな。警察が来たら、ややこしい事になっちゃうし」


「ほら見ろ。やっぱりやましい理由で家に上がり込んだんじゃないか」


「違うわ。警察を呼んで困るのは拓……あなたの方なのよ」


「俺? なんで俺が困るんだよ!」


 拓は徐々に苛立ちを感じ、アキに一歩近付き問い詰めた。


「さっきから俺をちゃかしたようなことばかり言ってるけど、どう考えたって警察が来たら困るのは君ひとりだ!! これ以上、訳の分からないことばかり言うなら警察を呼ぶ!」


 ポケットに入れたスマホを取り出し、脅すようにアキに見せる。


「分かったわ。ちゃんと話しましょう……けど、約束して」


「なんだよ」


「わたしの話を最後までしっかり聞くこと……途中でやめたら後悔するのは拓だから」


 今までと違い、アキの目は真剣だった。そこに嘘はないと判断した拓はスマホを持った手をゆっくり下ろす。


「約束する」


「ありがとう」


 素直にお礼を言うアキに拓は複雑な面持ちで髪を軽く搔いた。

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