2話 友の存在

 まだ朝の7時半を過ぎたばかりだというのに、容赦ない日差しが頭部を照り付ける。気温はもう30度近いに違いない。袖からはみ出した肌がじりじり焼けるような感覚を感じ、拓は通学路にある僅かな日陰を添うようにして歩いた。あまり直射日光を浴びると立ち眩みを起こすため、細心の注意をはらう。


「おーい! 拓、おはよう」


 歩く方向の先で、待ち構えるように手を掲げている人物の声に、拓は答えるように手を上げた。


「おはよう」


 彼は一つ上の先輩・相田あいだ ひろ。清潔感のある短髪の黒髪、さわやかな笑顔、知的に見える眼鏡、そして色白で高身長。擦れ違う人が一度は目を向けてしまうイケメン男子だ。

 博とは小学校の頃から仲が良く、高校も同じなため、登校にこうして待ち合わせることが習慣のようになっていた。高校になれば人間関係は変化していくもの。いくら小学校からの付き合いであっても、自然と離れていく友も少なくないだろう。博の場合は年上なのだから尚更だ。しかし、いくら年月が経とうと彼の態度は変わらなかった。それが博の最大の魅力なのかもしれない。

 イケメンなのに誰に対しても優しく、友達思いで、尚且つ秀才ときた。

 男でも惚れてしまう。拓は博を見つめながら内心そんなことを思った。


「今日も暑いな。文也まだ来てないから日陰で待ってよう」


 交差点の直ぐ側にある歩道橋の陰に博は拓を誘導した。


「朝から参るよな」


「ほんとだよ」


 日陰にいても日差しの熱を吸収したアスファルトが鉄板状態で、湿度も高いから最早サウナ状態。手で顔を仰ぐも汗は滝のように溢れ出した。


「文也のやつ、まだかな……また寝坊したんじゃ」


「あり得るな。あいつ、朝が弱いから」


「拓も博も失礼じゃない? 寝坊したのなんて先月、一回だけじゃないか」


 いつの間にか拓の後ろに立っていた人物は少し不機嫌そうに言った。


「悪い、文也……けど遅いのが悪いんだぞ」


 博が先生みたいな口調で笑いながら言うと、不服そうに文也は頬を膨らました。


「仕方ないじゃん。朝が弱いんだ」


 彼は宮下みやした 文也ふみや。彼もまた小学校からの腐れ縁で、拓とはクラスメイトである。肩先まで伸びた寝ぐせの目立つ黒髪、目が隠れそうな前髪と一見暗いイメージを持たれがちな文也。表情もいつもどこか不機嫌そうに見え、言葉数も少ないために初めて会った人からは好印象を持たれないタイプだろう。けど、こう見えて文也はピンチの時には誰よりも早く駆けつけてくれるような男気溢れる熱いやつだ。こんな外見でも勉強はそこそこできるし、運動音痴でもない。これをギャップ萌えと言うのだろう。最近やたら文也に注目する女子が増えてきているのだ。しかし、当の本人は気付いていないのか興味がないだけなのか、そんな女子たちの目線を気にする素振りは見せない。

 拓は博と文也を交互に見てから溜息を漏らした。


「なんだよ、拓……人の顔見て溜息なんて」


「俺たちに文句?」


「違う……文句じゃないけど、なんかたまにふたりを見てると羨ましくて」


「羨ましい?」


「なにそれ……どこら辺が?」


「イケメンで勉強できて、運動神経もいい……から?」


 そう言って、拓はハッと気付く。


(そうじゃない……)


 勉強も運動も平凡の自分はふたりとはまるで違う人間のように思え、それが羨みという感情になってしまったのだと思っていた。けれども、これはそうじゃなかったのだと拓は知ってしまう。


「何言ってんだよ。拓だって俺たちにはないものもってるだろ」


「俺は絵とか下手だけど、拓めちゃくちゃうまいから逆に羨ましいけど」


 ふたりの言葉に拓は苦笑いを浮かべた。


「そうだよな。良さなんて人それぞれだよな」


「そうだよ。それにそんなの気にするなんて今更だろ……俺たちはなんだからさ。どんだけの付き合いだと思ってんだよ」


 屈託のない笑顔で博は言う。その瞬間、拓の心がざわつく。


「どんなに時が経ってもこの関係は永遠だ!」


「その台詞はさすがにくさすぎない?」


「え? そ、そうか?」


「それよりも遅刻しちゃうよ? 早く行こう」


「ほんとだ。急ごう」


 会話はそこで終わり、学校へ目指し小走りになる博たちの背中を見つめながら拓は聞こえないように呟く。


「俺は馬鹿だな……これは嫉妬だ」


 仲が良く、お互い信頼し合っている大切な友達。しかし、そんな彼らと拓には明らかに違うことがある。それは彼らには未来があって、自分にはないという大きな壁だ。


 ――置いて行かれる。


 取り残されたような疎外感が唐突に拓を襲う。なんで自分だけと暗い闇が心を蝕んでいく。


(……もう決めた事だろ)


 こんな現状をつくったのは自分自身。拓は改めて博と文也の背中を見つめた。


「……ごめんな」


 このふたりには病気のことを隠している。

 実は1年後に死ぬかもしれないと言っても、彼らなら変わらず拓の隣に居続けるだろう。けれど、こんな風に突如溢れ出す劣等感でふたりを傷付ける日が来るかもしれないと思うと怖くなった。

 そして、理由はそれだけではない。


「そうだ、拓! 文也!」


「なに?」


 急ぎ足で前を行く博が不意に振り返る。


「今年で俺の高校生活も最後だから、夏休みは思いっきり3人で遊ぼう」


 無邪気さを残した眩い笑顔。


「たくさん思い出残そうな!!」


 博の高らかに発せられた声が拓の胸を貫き、激しい痛みを引き起こす。

 もしも拓が病気のことを話してしまったら、こんな風に未来のことを自分の前で話さなくなってしまうだろう。


 ――ふたりは優しいから。


 ふたりに気を遣わせてしまうことが一番心苦しかった。だから、話せない。話したくない。

 騙しているような罪悪感もあるけれど、苦しむ友達を見ることが何よりも堪え難かった。


「当たり前だろ!」


 拓は満面の笑みで返す。

 精一杯の嘘を隠したまま、前を歩くふたりを目掛け駆け出した。

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