第12話 本屋1
「うわぁ……」
スミカは目を見張った。
「何これ……。ほんものの街だ……」
ため息まじりでスミカが驚いているのは、街のリアリティだった。
外観は中世ヨーロッパをベースにしながら、そこここに現代的なアレンジをほどこしてある架空の街。
赤っぽいレンガ色の屋根を基調として、壁は白やクリーム色で清潔に整えられている。それらの家並みの間から木々の緑がのぞいて、きれいなコントラストを形成している。石畳の街路は人が歩くとコツコツと鳴り響き、街なかの雑多な喧騒に心地よいリズム感をあたえていた。
そしておだやかに風が吹いていた。街の中を気持ちのいい風が吹き抜けていく。この流れが、街の雰囲気、気配といったものをやわらかく包みこんでいるのだ。
たとえば人がはじめての土地に旅行するとき。そこに広がっているのは、はじめて見る街、はじめて見る風景だ。そんなとき旅人は、新鮮な視点で視界に入るものすべてをとらえようと目を凝らす。今のスミカは、そんなはじめての旅行者の目になっていた。
ふとしたおりに、チチチ……と小鳥が行きかう。ブゥンと羽虫が耳もとをかすめる。「何かすみっこでちょろっと動いたかな?」と視線を走らせると、トカゲのしっぽが苔むした石垣のすき間に消えていくところだった。
ただの街なかなのに、街を構成しているモノ、コト、色、音、光——それらが圧倒的な現実感をもっている。洪水のような情報が、スミカの目に、耳にとびこんでくる。その量はあまりにも膨大だった。見るものをしばしフリーズさせるほどに。
ニケは、固まって動けないスミカをしばらくそのままにしておいた。自分がはじめてここに来たときも、同じような感動を味わったからだ。けれど、やっぱり話しかけてしかたなくて、ウズウズしてしまう。
「どう? すごいでしょ?」
結局話しかけてしまった。
スミカは風景を見つめたまま、うんうんうん、とうなずくことしかできない。
「しばらくいるとさ、ほんとにここに住んでる気になるんだよねー」
そう言って歩きはじめたニケのあとを、スミカはきょろきょろしながらついていった。
通りに面した家々のドアは、けっこういろんな色に塗られているのだけれど、どれも街になじんでいて、意外に統一感があった。窓のちょっとしたスペースに花が飾られたりしていて、住んでいる人のセンスの良さが伝わってくる。
(ん? 住んでいる人……?)
このゲームで、住んでいる人というのはいったい誰なのだろうか。プレイヤー? NPC? それとも他の誰か?
「ねえ。こういう家って誰か住んでるの?」
疑問を声に出してみる。
「住むっていうか……。ステージが上がると部屋が借りられたり、家が買えたりもできるよ」
ステージ。さっきの受付でのココネさんとの会話を思い出す。ブロンズやシルバー、ゴールドといったもので、ゲーム内の信用度をあらわす指標になると説明があった。スミカは一番下の〈ルーキー〉だ。
「わたしは〈レギュラー〉……ルーキーのひとつ上ね。それなんだけど、一応部屋は借りられるよ」
「ほんと!? じゃあ部屋持ってるんだ!?」
「いやいや……」
「なぁんだ」
「借りてみようとは思ったんだけどね。けど商業ギルドで聞いてみたらさ、毎月のお家賃がかなりの額に……とほほ」
「そうなんだ……」
「そうなんだよー。がんばってモンスター狩りまくればワンチャンあるかも? くらいだったかな」
「せちがらいね……」
「せちがらいよ……」
そんな会話をしながら歩く。
お店の前にテラス席が設けてあったり、道のちょっと広くなったところに椅子とテーブルを置いているカフェもあった。その席でくつろいだり、談笑している姿があった。
「カフェとかあるんだね。おしゃれだなあ」
「あとで行く?」
「行きたい! あ、でもお金……」
「ほれほれ、さっきもらった5000Gがあるじゃろ?」
「えー。いきなり散財するのはなあ……ん?」
周囲の明るさがかわったので、ひょいと視線をあげた。今歩いているところと平行して、もう一段高い並びに小さなお店が集まっているようだ。すぐそこに階段もある。そして――
「あ、本屋!」
本好きのスミカさんは、目ざとく本屋を見つけた。こぢんまりとした店構えながら、小綺麗にエントランスをまとめてある。雰囲気よさげな本屋だ。
「入ってみる?」
「……! いいの?」
「そりゃあ、もちろん」
二人で本屋の前に立つ。ニケがお店のドアを引く。ちりん……と小さな音が鳴る。どうぞどうぞとうながされて、スミカはおそるおそる店内に足を踏み入れた。
「ほわぁ……」
思わずため息が出た。
入ったところから、背の高い本棚がずーっと奥まで続いている。小さな店なので、てっきり本の数も少ないのかな、と思っていたが、ずいぶんと奥行きのあるお店のようだ。
「ほ、本がある……」
しかし、そこに本があるだけでコーフンできるスミカさんは、すでにコーフンマックスである。
鼻息荒く本棚を眺めていたが、ここで疑問点がひとつ。
「あれ? でもここって電脳世界だよね? この本は電子書籍?」
「まあ、そだね。デジタルはデジタルなんだけど、こんなふうに――」
とニケが適当な一冊を選んで抜き出すと、パラパラとめくってみせた。
「おぉっ! 本物の本だ!」
スミカさんの目がきらりと輝く。
「ちなみに、購入すれば所持アイテムの一覧に並ぶからね。そこから出し入れ自由だよ。いってみればデジタルの紙の本、っていう感じかな。ほらっ」
と手渡してきたので、スミカはわなわなと手をふるわせて本(物理)を受け取った。
「か、紙の本……。この重さ、質感……手ざわり、におい――くんかくんか。あれ、微妙? あ、まだ完全実装前か。残念。でもでも! ここのほら! 表紙と小口の段差! 指先にページをめくる感じがちゃんとくるの! 一枚一枚ページが動いていって、最初は薄かったのがだんだん厚くなって、逆に厚いほうが薄くなっていって、それと一緒に物語が進んでいって……これだよ! 本っていうのは、これなんだよ!」
急に早口になったスミカの力説を、
「あ、あはは……」
となかばあきれつつ、それでもうれしそうなスミカを見てうれしい、といった様子のニケだ。
やがてスミカは「あっちの方、おもしろそうなのがありそう」と、ファンタジーや物語が充実している棚を見つけた。
どんどん本に夢中になっていく。
その集中力は相当なものだった。彼女の周囲には「本に集中してます」オーラがどんどん広がり、濃くなっていく。一人の世界に没入していくのだ。
「――あーっと、そうだ。わたしちょっとスケッチブックのところ、見にいってくるね」
とニケに声をかけられても、「ん……、ぅん」くらいの生返事。
それからスミカはしばらくファンタジーの世界にひたっていた。
知っている話は、「これおもしろかったよなあ」とパラパラ見返してから一行目に戻り、味わうように読む。
知らない本は、「どういうのなんだろ?」と思いながら冒頭を読み始めたら――気がついたらけっこうなページまで進んでいたりする。
今読んでいるのは、女の子が冒険の旅に出る話。
冒頭は、おだやかな冬の日のシーンから始まっていた。
夕食後、暖炉の
それから場面が変わって、寝静まった家。暖炉の火は消えているが、まだ熱を持っているのか、わずかにあたたかい。すると暗い居間でコソコソと動く影があった。
その影はブラウニーという妖精の一種で、誰もいないときにこっそり部屋の掃除をしてくれたりする。家屋に住みつくという点では、日本の座敷童と共通点があるだろうか。
ただしブラウニーの容姿には、伝承によってブレがある。エニシダでつくった箒を持つ小さなゴブリンのような姿で描かれるときもあるし、大きな
この物語では前者の方だった。
やがておだやかな暮らしをしていた女の子の家に、不穏な気配がただよいはじめる。それは遠縁のおじさんを名乗る人がときおり訪ねてくるようになってからで……。それからいろいろな出来事が起こるけれど、とうとう女の子はひとりで旅に出なくてはならなくなった。
あとに残された家に灯りはなく、暖炉に火がともることもない。暗く寒い冬の夜に、しん、と静まりかえっていた。そしてこの描写で、おそらくこの家からブラウニーも去っていったことが示唆される。
スミカは、このあたりまで読みすすめて、どうにも本が手に吸いついて離れてくれないのを感じていた。そもそもこういうタイプの本は、はじめから妙にしっとりと手になじむから困ってしまう。本棚のもといたところに戻そうとしても、なぜか戻ってくれない。
ちらり……と、お値段を確認すると――
(うぉっ、3600G!?)
スミカの手持ち5000Gのうち、かなりを消化してしまう。
(高い。でも欲しい。でも高い。でも……。うー……)
迷い迷いしながらも、彼女の足は徐々にレジと思われる方向にむかっていった。本棚の上を見上げると、天井から吊り下げられているプレートに「お会計」の表示がある。おそらくそっちの方がレジだ。
買う、買わないを考えながらのゆっくりとした足取りで、のろのろと狭い棚をぬけると通路に出た。すると棚の列の並びの奥に、小さなレジカウンターが見える。
カウンターの向こう側に座っているのは、ひょろん、とした感じの男の人だ。
ちょうどニケが買い物をしているようで、何かしらの金銭的なやりとりをしているのが遠目に見えた。
そして決済が終わったらしい。
ニケが手に持っていたスケッチブックらしきものが、シュンッと消える。
それから、お店の人と何やら
(知っている人……なのかな?)
そう思いながらスミカはレジの方へと歩いていった。
その手にしっかりと、本を持って。
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