第10話 街の入口2:受付の謎の美女

 薄暗い通路の壁に、窓口が開いていた。

 ひとくちに「窓口」といっても、その形態はさまざまだ。銀行や役所などで、受付や事務作業をしてもらうところを窓口というし、「窓口」という名前なのに窓がついてなくて、ただのスペースなときもある。

 けれど今、目の前にある窓口は正真正銘「窓口」だった。そこに窓の口が開いている。

 むかし見た古い映画のことをスミカは思い出していた。患者さんが街のお医者さんで薬をもらってるシーンだ。病院の会計のところでお薬も一緒にもらっている。時刻は夕方で、傾いた陽が射しこんでいた。

(あのシーンにこんな窓があった気がするなあ。ちょっと古ぼけてて、黄色いガラス? みたいな感じで……)

 と、ぼんやりした記憶を思いかえしていると、

「すみませーん」

 とニケが窓口に声をかけている。しかし応答がない。

「あれ? すみませーん」

 とふたたび呼びかけるも――反応がない。

「す、み、ま、せーん!」

 三度目になったところで、

「……! ああ、ごめんなさーい」

 窓口にひょこっと顔があらわれた。

 くしゅっとした感じの、きれいなゆるふわピンクブロンドの髪。前髪だけをパッツンしている、柔らかい感じのおねえさんだ。

「また本読んでたんでしょー。読みふけってたんでしょー」

 というニケのからかいに、

「はい、読んでました。読みふけってました……うふふ」

 ほんわかと応じている。


(本……)

 スミカが心の中で「本」というキーワードにピクンと反応していると、

「そちらは、ご新規さんね?」

「そうそう。生まれたてほやほやのスミカちゃんです」

「うふふふ」

 にんまりとした表情の二人がスミカを見つめてきた。

「う……」

 美女と美少女に見つめられて、生まれたてほやほやのスミカちゃんは、ちょっとモジモジしてしまう。


「スミカちゃん、はじめまして。ここは街の通行許可と、新規ユーザーさんの場合、受付の手続きもするところです。担当のココネといいます。よろしくお願いしますね」

「あ、はい。どうも、こちらこそよろしくお願いしま……す」

 ココネさんのしっとりと落ち着いた所作の一礼に、スミカもしどろもどろながら、おじぎをかえす。

 おじぎをしながら考えた。

(この人もNPC、なのかな?)

 顔を上げながら、ちらりとココネさんの頭上を見ると――さっきの門番さんたちのようなホログラムは見当たらない。ということはココネさんは、プレイヤーなのだろうか?


「はい。じゃあまず登録ね。これをのぞきこんでもらえる?」

 スミカの顔の前に小さな魔法陣があらわれた。文字を装飾したような——かなり複雑な意匠のものだ。陣の内側と外側で、回転の速度が微妙に異なっている。

(なんだか検眼するときのアレみたいだなあ)

 と思いながらスミカはのぞきこんだ。

「はい。ありがとうございます。次は名前を登録しますので、こちらにサインをお願いしますね。ゲームのサインインのときと同じお名前をお書きください」

 今度は手もとにポンと書面のウィンドウが浮かぶ。わかりやすく空白の署名欄がある。

 書き書き。

 返却。

 それからココネさんは何やら作業しながら、

「スミカちゃんには、頼もしいニケ先輩がいるからだいじょうぶよね? いろいろ教えてもらってね」

「ふっふっふ。大先輩ニケさまを頼るがよい」

 とニケは尊大な態度をとっているが、小柄な背とスレンダーな体型なので、いまいち迫力に欠けるのが難点でもある。


「スミカさんの魔法職の〈カテゴリ〉は、さっきのチュートリアルの森で選択したとおり〈読み手リーデル〉。それから〈ステージ〉というのがあるんだけど、初心者なので〈ルーキー〉です。ステージが上がっていくと、ゲーム内でのプレイヤーの自由度や信用度が上昇します。簡単にいうと、できることが増えていきます。詳しくはニケ先輩に聞いてね」

「ふっふっふ。ニケ先輩におまかせあれ」

「この世界では、プレイヤーの実力度の目安となる〈ランク〉があります。これも詳細はニケ先輩に聞いてね」

「ふっふっふ。ニケ先輩に――」

「あ、そうそう。ランクには〈ソロランク〉と〈パーティランク〉の二種類があるけど……。それもニケ先輩、お願いね?」

「ふっふっふ――って説明役をわたしに丸投げしてませんか?」

「うふふふ。そんなことないわよ? それからもう一つ、この世界には〈スキル〉があります。これはモンスター討伐で獲得することもありますし、日常生活で一定の条件をクリアすると取得できることもあります。詳しくは――」

「あーはいはい。あとはわたしにおまかせあれーっ」

「うふふ。よろしく。今のところはこんなところかしら?」


(カテゴリ、ステージ、ランク……あとソロランク、パーティランク? それからスキル……)

 いきなりたくさんの用語が出てきて、スミカはかるく混乱してしまった。そんな様子を察したのか、ココネさんが優しい口調で話しかけてきた。

「だいじょうぶよ? 今はよくわからなくても、だんだん感覚的にわかるようになってきますから。楽器の演奏と同じです。とりあえずやってみて、楽しんでみて、ね?」

「はい……」

 楽器の演奏かあ……。私楽器弾けないんだけどなあ、とスミカが思っていると、ニケが妙な顔になっていた。何か言いふらしたいけど、それを必死に我慢して、うずうずしている顔だ。

「ふっふっふ。スミカ? ココネさんの顔に見おぼえないかな〜?」

「あっ、ニケちゃんったら。もうっ」

 たしなめるような口調ながらも――ココネさん、微妙に照れている?

 ココネさんの……顔?

「じー……」

 スミカはココネさんをよく見てみた。じっくり観察してみた。じっとりと熟視じゅくししてみた。そしてスミカのねっとりとした視線が……。

「やだ……。スミカちゃん、あんまり……見ないで……」

 ポッと頬を染めるココネさんの表情がかわいいなあ、と思っていると記憶の中からポッと浮き上がってくるものがあった。


〈肉のにくよく〉。

 それはWBC内でなくて、現実世界でのお肉やさんだ。近所の商店街にあるその精肉店は店先でメンチカツを売っていて、これが魔性の味がすると大評判。スミカもお店の前を通ると、つい……足が……そっちのほうに……引き寄せられていって——「はい、まいど〜」のおばちゃんの声を背中に聞きながら、熱々のメンチカツをハフハフしながら帰宅することになるという、おそろしいお肉やさんだ。げに人の肉欲とはおそろしいものだ、ということを身をもって実感・体感することができる、おそろしい精肉店である。


 今スミカが思い出しているのは、そのおそろしい肉欲の店の、おそろしくうまいメンチカツ……ではなくて、笑顔のかわいいおばちゃん……ではなくて、おばちゃんの笑顔のすぐ後ろ、お店のウィンドウガラスに貼られているポスターだ。そのポスターからこちらに微笑みかけている、きれいなおねえさんだ。ようやく記憶の焦点が合致した。

虎堂こどう心音ここね、ピアノ・リサイタル〉と、演奏会のポスターに写っている癒やし系美女――


「あーっ!」

「ほほぅ、スミカさんよぉ、とうとう気がついてしまったのかぁ……」

 叫ぶスミカに、なぜか芝居がかった口調のニケ。

「え!? でも髪の色が……あ、でもやっぱり虎堂さん……!?」

「たはは……知られていたかー」

 虎堂心音さんこと、ココネさんは苦笑している。


 有名なピアニストさんだった。

 彼女の可憐かつ端正なルックスとたたずまいは、それだけでも人の目を引くものである。彼女の演奏スタイルは優美だとばかり評されがちだが、装飾音符のひとつひとつにも気配りする理知的な側面もある。優美さと知性、ロマンティックさとインテリジェンス、くわえて譜面を奥深くまで読みこむ真摯しんしな姿勢。それらをベースにして絶妙なバランスで構築された高度な音楽性に陶酔し、心酔してしまった熱心なファンも多くいるらしい。

 そこにドラマとのタイアップがあって知名度が上がり、人気爆発。あっという間に売れっ子ピアニストになった人で、演奏会ものきなみソールドアウト。今話題の時の人でもある。そして本人ができるだけ小さな箱を好むらしく、演奏会場に選ばれるのが小規模なところが多くて、そうすると必然的に席数が少なくなるので、なかなかチケットが取りにくい――そんな話も耳にする。


「まさかそんな……有名人に会えるなんて」

「いやー、それほどでもー」

 ココネさんは照れながら謙遜けんそんしているけれど、その姿もさまになっている。今までそういう話を多く振られてきたんだろうな、というのがわかるしぐさだった。そして本人はそれを本当にたいしたことに思っていなくて、彼女を持ちあげる周囲の喧騒けんそうの中にあって、しん、と静かに落ちついている――そんな雰囲気の人だった。


 するとスミカの頭の中にひとつの疑問が浮かんでくる。

 そもそもそんな有名人が、どうしてゲームの街で受付の仕事を?

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