第9話 街の入口1:門

 森をぬけたスミカたちが立っているところは、やや小高い台地の突端だった。わきに小道があって、下の野原まで降りていけるようになっている。

 野原に降り立つ。

 ザザザザッと風が吹く。

 丈の低い草の葉がいっせいになびき、細やかな緑のさざなみがうねるように流れていく。その流れの先を目で追っていくと、ゆるやかな傾斜の丘が、幾重いくえにも続いていた。丘といっても大きな高低差があるわけでなくて、かるく登って、かるく下っていく程度のものだ。


「こういう丘をね、ドラムリン? っていうんだって」

 とニケが教えてくれた。それを聞きながら、スミカは何かを思い出すような顔で野原を眺めていた。

「ふーん……。何だろ? どこかの写真か挿し絵とかで見たことある……かも? あっ、あの黄色い花。たぶんエニシダっていうんじゃないかな? 枝に針みたいなトゲがあるならハリエニシダかも」

「そうなの?」

「……たぶんだけどね。ヨーロッパの絵本とか児童文学とかで出てくるんだけど。枝をほうきに使ったり。あとね、野原で転げまわってすり傷だらけになるのは、だいたいこの花のトゲのせい」

「お〜? さすが本好きのスミカさんは物知りですね〜?」

「む〜……」

 AIちゃんの口調をマネしつつ、ちょっとからかい気味に言われてスミカはムスッとした顔になった。けれど半分は照れていた。こういう知識を披露ひろうする機会は、そうそうあるわけではない。

「花、きれいじゃん」

「そうそう、でも……あ! トゲ!」

「うわっ、あぶな!」

 みたいな会話をしながら歩いていくと、前方の街がはっきりと姿をあらわした。


 さっき高台の上からも見えていた〈羽島里はじまりの街〉だ。

 手前に広々とした川が横たわり、川の幅がやや狭くなっている部分に石造りの橋がかけられている。

 たもとまでくると、スミカが物珍しそうに橋の造りをしげしげと見物しだした。

「ガッチリしてるね」

「そりゃあね、橋だからね」

 橋の中央まで来ると、さえぎるものが何もない。川がよく見渡せる。

 幅広の上流の流れに沿うように、街の外壁が切れ目なく続いている。

 壁は街全体をぐるりと覆っているらしい。

「あの壁はやっぱり……モンスター対策みたいな感じ?」

 とスミカが尋ねると、

「それもある。あとヨーロッパの古い町並みを参考にしてるから、というのもある……っぽい」

 街の成り立ちについての知識までは、ニケは持ちあわせていないようだった。

「そうなんだ。それにしてもこの川、大きいなあ。流れもおだやかだし。ちょっとした湖みたい」

「だねー」


 そのおだやかな川の中央あたりに中洲がみとめられた。小さな塔が建っている。

 そしてその塔と街の外壁とが、これも石かレンガでつくられた橋――というか連絡路みたいなものでつながっていた。

「あれは……何?」

 スミカがつぶやく。

「うーん……わかんない」

「わかんないの?」

「あそこって、まだ行けないんだよね。通路は閉じられてるし。場所の説明を見ようとしても――ほらね?」

 とニケがウィンドウ画面を出して、他の人も見られる状態に切りかえた。〈中洲の塔――川の中洲に建っている塔〉としか書いてない。


 すると、スミカの目が急に鋭くなった。

「あやしい……。これってさ、ゲームとかでさ、はじめに重要なポイントをわざとチラ見せしといて、あとはほっとくってやつじゃない? で、ゲーム進めてるうちに、みんなそのこと忘れてしまうでしょ? そしたらクライマックスで盛りあがってきたあたりで、『実はあそこに重大な秘密がかくされていたのだーっ』『な、なんだってーっ』みたいな展開になるやつじゃない!?」

「でしょでしょ!? いかにもって感じじゃんね?」

「よし。私ぜったい覚えとく」

「わたしもー」

 と話をしていたら橋を渡り終えた。


 街の入口である門が近づいてくる。

 街自体も現代の都市感覚からするとこぢんまりとしたものだし、外壁の高さもそびえるような、という感じでもない。とっかかりさえあれば、もしかしたら今のスミカたちの運動能力なら越えられなくもない——くらいのものだ。

 さっきチュートリアルの森を出たあと、林道の中を駆け抜けた爽快感がスミカの体の中に残っていた。

 およそふだんの身体能力では実現不可能な、体力、速力、持久力、動体視力。ゲーム内の彼女の体は、あきらかにトップアスリート並みにまでスペックアップしていた。

 今もそれなりの距離を歩いてきたのに、息一つきれていない。


 けれどスミカはちょっとだけ自分の呼吸が浅くなっていることを自覚していた。

 というのは、門のところに人影があったからだ。左右にひとりずつ。男性と女性。どことなく鋭い視線をこちらに送っているように感じる。

 門番だろう。

 この世界に来てはじめて会う、未知の人々。明らかに年上だ。

 そして二人が持っている長いモノ。それでスミカは少々緊張していたのだけれど、

「おーっす。こんちはー」

 慣れた感じでニケがあいさつしているので、ちょっと拍子抜けしてしまった。

「おっす。おかえり、ニケちゃん」

 まず口を開いたのはおじさんの方。どっしりがっちりとした体格で、いかにも門番です、という風情だ。

 そしてもう片側に立つおねえさんも話しかけてきた。こちらは、はんなりえんな雰囲気の人だ。

「あら? 今日は同伴出勤?」

「ふへへへ……。ご新規さんです」

「あらあらあらっ!」

 という二人の会話。

「?」

 純情なスミカちゃんは、おねえさんとニケの会話の意味がわからない。けれどひとまず、「どう……も?」と頭を下げた。


「ほいじゃ、そこの受付で手続きしてな」

 おじさんが体を開くようにして門の奥をしめす。

「はーい。じゃあね」

 ニケが返事をしながら「行こうか」とスミカをうながした。

 門からは、トンネルのような通路がつながっていた。入ったら、もう向こうに出口が明々あかあかとしている。なので、街の中の様子もちょっとだけ見えるのだ。けれど通路内に入っていくにつれ、やっぱり多少は薄暗くなって、空気もひんやりしてきた。


「……」

 歩きながらスミカは考えていた。

 さっきから妙な違和感が胸の中にある。二人とも「槍」を持っていた……?

 リラックスした顔をしているとはいえ、大人の人が武器を持って、こちらを見ていたのだ。ふだんの実生活ではそんな光景を見ることはない。襲われることはなさそうとはいえ、ちょっとした威圧感があったのも確かだ。そして、気づいたことがある。

(あれ? このゲームって魔法使いばっかりのはずだよね? あの人たちは槍使い? 武器を持っている人が普通にいるんだけど……)


 そしてもう一つの違和感。

 彼らの頭の上に、ホログラム状のリングが浮かんでいたことだ。あれは何だったんだろう……。ファッション? 何かの特殊アイテム?

(よくわからない……)

 と思っていると、ニケが尋ねてきた。

は、あの人たちどう思った?」

 スミカんとは? と思いつつ、

「うーん? ふつうの、人?」

「え〜? ほんとは、何か変だなって思ってるでしょ〜? 頭の上とか、頭の上のとか、頭の上のやつとか!」

 ニケの意図するところが、まあわかりやすい。

「……うん。で、あのホログラムみたいなのは何?」

「NPCのあかし

「……え?」

「NPC、すなわちノンプレイヤーキャラクターであることをしめすもので――」

「ちょっとちょっと! あの人たちがNPC? ウソでしょ!?」

 思わず振りかえる。門の柱に半分隠れているが、二人の頭の上にリングが浮かんでいるのが見えた。


「ウソじゃないよ〜」

「えー……。めちゃくちゃ人だと思ってた。ふつうに大人の人だと思って緊張しちゃってた……」

「にゃはは。そうでしょそうでしょ」

「それにあの槍。ここは魔法の世界なんだよね?」

「そうだよ。でも魔法が使えるのは、わたしたちプレイヤーだけ。NPCの人たちは使えない。だからモンスターに対抗するためには武器が必要」

「ん? じゃあ別に私たちが使ってもいいんだよね? 剣とか槍とか」

「それがねえ……」

 とニケさんがやれやれ……といった表情になって、

「ダメージ少ないんだわ、これが。ふつうゲームとかじゃ物理攻撃も魔法攻撃と同じような効果があるでしょ?」

「うん」

「ところがです! ところがなのです! このWBCにおいては、魔法の方がだんぜんラク! そういうふうにシステムができているわけなのデス! ――あ、こんにちは、すみませーん」

 演説口調だったニケが最後にあいさつしたのは、通路の一角にある小さな窓口にむかってだった。

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