第8話 世界のはじまり

『それじゃ、おたっしゃでー。しくしく……』

 チュートリアルAIに名残惜しげに別れを告げられながら、スミカとニケは〈中鳥実在チュートリアルの森〉の広場から先に進むことにした。林道へ入りかけたところで、

『二人とも〜? またいつでも戻ってきていいからねー? ずっとここで、この場所で、ワタシは待ってるわー? いつまでも……いつまでも……』

 妙に後ろ髪を引かれるようなことを言っている。けれど二人は、さっきAIが「チュートリアルばっかりするの飽きた」的な発言をしていたことを、しっかり憶えていた。なので、演技なのがバレバレだ。


「あーはいはい。じゃあね」

 とニケは雑な感じで背後に手を振りつつ、「じゃ、行こうか」とスミカをうながす。

「うん。AIちゃん、またいつかね」

『そんなっ! スミカさぁぁぁぁぁ〜ん! それにワタシの名前は、実在ミアよぉ〜? 忘れないでぇ〜』

 AIちゃんの最期の絶唱が森の奥から追いすがるも――森と林道の境が、ふんわりと閉じた。


 背後が閉じられた。

 開いているのは、前だ。

 ならばあとは前へ進むだけである。

 先へ、先へと。二人は歩いていく。

 おだやかな木漏れ日の光が射しこむ林道を。

 なんとか並んで歩けるほどの細い道幅。道の先はまだ見えない。


「この先には何が……あるのかな?」

「森を出たらね、街があるよ」

「よくある、はじまりの街……的な?」

「それは行ってのおたのしみ〜」

「もったいぶるなあ……」

「一応チュートリアルのお伴の役のつもりだからね。先回りしてよけいなことを言わないよう、これでも気をつけてるつもりだよ?」

「それは……たすかるかもだけど」

 あまり細かいことは気にしてないようにみえて、実はちゃんと考えてくれてるんだなあ、とスミカはちょっとうれしくなった。

 ニケときちんとしゃべったのは、今日の(現実世界の日付が変わっているとすれば昨日の)昼間が初めてだ。どんな性格かとか、どんな考え方をするのか、好きなものは何か、みたいなことをスミカはほとんど知らない。見た感じ明るい性格かなとか、絵を描くことが好きっぽい? というのはわかる。あとは少しだけ従姉妹いとこさんのこと。その人がこのWBCのゲーム開発に関わっていること、くらいだ。


「あ、そういえば。ニケ……ちゃんの従姉妹さんってこのゲームつくってるんだっけ?」

「そうだよー。スタッフの一人っていうか……おっとあぶない」

 飛び出していた小枝をちょいと押しやりながら、ニケがこたえる。

「すごいね。こんなリアルすぎる世界をつくれるなんて……」

「あー……。詳しくは聞いてないんだけど、ゲーム内の世界描写はイチからつくってるんじゃなくて、人の描く夢? みたいなのをうまいことつなげて、ニューラルリンクして? で、整理してつくってるんだって。よくわかんないけど」

「へええ……」

 スミカもよくわからない。けれど何だかすごそうに聞こえる。


「でもねえ、従姉妹おねえちゃんねえ……ケチなのよ」

 ニケさんの口調がちょっと不満げだ。

「ケチ?」

「そうそう! そもそもわたしにこのゲームを勧めてきた理由がね? あ、若い子がほしいっていうのは言ったよね? それからもうひとつ! 『テストプレイのサンプルがとにかくもっとほしいから』だったんだから! サンプル! わたしはサンプル! 実・験・体!」

「ははは……」

「だから最初はわたしのやることなすこと全部ツツヌケよ! さすがにプライベートなところはオプトアウト……だっけ? 拒否できるって知ってからガッツリ拒否してるけどさ!」

「それはちょっとイヤだねえ……」

「そうなんだよ! 昼間スマホでやりとりしてるとさ? 昨日はずっとスケッチしてたねとか、あのクエストあっさりやられてたけど攻略のコツは……とか、はては『ちょっとニケちゃん? その格好は年ごろの女の子としてはどうかと思うよ?』みたいにファッションチェックまでしてくるし!」

 ニケさんのグチが止まらない。あと呼ばれ方が「ニケちゃん」らしいのが判明して、スミカは心の中でにっこりした。


「でね? だからね? テストプレイしてやってるんだから、かわりに何か特殊なレアスキルとかちょうだい? って言ってみたら――」

「言ってみたら?」

「そんなズルは認めません〜、ってさ」

 やれやれ……とニケが肩をすくめる。

「あはは。けれどそこがフェアなのは、逆に信頼できるかなって思うよ?」

「まぁ正しい運営としては、そうなんだろうけどさ。でもさー。ちょっとくらい期待するじゃん? 誰も持ってないユニークスキルとかをこそっと持ってるとかさぁ。いざというとき仲間のピンチを颯爽さっそうと! それは幻のレアスキル! とかさぁ。そんな特典があってもいいじゃんよぉ……」


 隣から垂れ流される嘆きの声を聞いているうちに、スミカはあることを思い出した。

「あれ? 『特典』……?」

「ねー? ちょっとくらい欲しいよねー?」

「ええと、ニケ……ちゃん、招待コードくれたよね?」

「うん」

「そのことをチュートリアルちゃんに言ったら、たしかあとで特典もつけてあげるって……言われたような?」

「ほんと!? いつ?」

 ニケが食いついてきた。


「えっと……。名前を決めたとき、だったかな? だからアバターつくる前」

「もらった?」

「だからあとであげるって言われて……あれ? そのまんまだ」

「AIちゃん〜っ。もしかして忘れたな〜?」

 ニケが背後を振り返ってにらみをきかしていたが、急にひらめいた顔になった。

「そうだ、所持品リストに入ってるかもよ? 見てみた?」

「ううん、まだ……」

「じゃあ、ウィンドウ出してみて。視界の端をタップね。ふつうは他の人からは見えない仕様から。だいじょうぶ」

「おけ。えっと、タップ」

 フォン……。ウィンドウがあらわれた。

 装備品リストや、所持品リストのある窓を開く。


「ええと、ふつうのブラウス、ふつうのスカート、ふつうのロングブーツ、ふつうの……全部ふつうだね。それから――『幸運のブレスレット』? さっきつくってもらったブレスレットだ」

「タップしてみて?」

 タップ。説明が出てきた。

「『虫の知らせ的な直感力がちょっぴりアップします』だって」

「へえ。よさげだけど『特典』ってほどじゃないなあ……」

 リストをさらに下まで見ていくと――特に何もない。

「ないね……。チュートリアルちゃん、ほんとに忘れちゃったのかなぁ?」

 と言いながらスミカが何気なくスワイプを強くしてみたら――リストの最下段に、ひょっこり新しい項目があらわれた。

「あ、何か出てきた」

「え?」

「なんだろ、魔法創……むずかしい漢字」

「漢字?」

「うん。創ナントカニシコリ? 最後がへんさんの「篇」の字かな? たぶん。本のアイコンがついてる。だから本とかじゃないかな。ニケ……ちゃんはこういうの持ってる?」

「ないよ。何だろうね、ニシコリって?」

「わからないけど……」

 言いながら、開いてみようとスミカがタップするも、


 ――エラー。現在は開く権限がありません。


「『権限がない』って」

「無理かあ。何か開く条件があるのかな。クエストクリアとか、ボスを倒すとか」

「ボス!? そういえば、バトルとかもあるんだよね……? だいじょうぶかな?」

 ゲーム世界である。当然エネミーと戦闘の可能性もあるわけだ。ここにきて急に不安になるスミカさん。

「あー、だいじょうぶだいじょうぶ。何とかなるもんだよ」

「ほんと?」

「ほんとだよ。じゃあ、森の出口まで走ってみようか?」

「う、ん……?」

 走る?

「はいお先〜」

「あっ!」


 ダッ! とニケが走り出した。

 けれど……何かおかしい。

 スピードが変だ。

 


「え? え?」

 とまどいながら、スミカも足を動かす。すると――

「わわ!? わっ?」

 ふだんの実生活からすると、およそ考えられないスピードで自分が走っている!


「速い! 速いよ! 待ってよ!」

「ひゃっほー!」

 ニケは速度をゆるめることなく、むしろさらに加速した。

 遠ざかる背中。小柄な子の背中が、さらに小さくなっていく。

「待って! 待ってよ! ――ニケ!!」

 叫びとともにスミカの足が地面を蹴った。


 さぁっと落ち葉が舞い上がる。

 視界の端を、新緑がきらきらと輝く。

 風に服のすそがはためく。

 スカートがひるがえる。

 耳もとを、キレッキレの気持ちのいい緑の風がビュウビュウ流れていく。

 この風をつくっているのは、私だ!


「お先! っと!」

 ひと足先にニケが森を駆けぬけた。

「あっ、ずるい!」

 すぐにスミカも追いついた。

 ザザァッと森の大きな枝たちが揺れる。

 彼女たちを祝福するかのように。


 森をぬけると光があふれた。

 高台たかだいに出て、視界が一気にひらけたのだ。

 さわやかな風になびく草原のみどり。

 なだらかに続く丘。

 日にきらきらと輝く小川。

 のんびりと草を食んでいるのは羊だろうか。


 ずうっと先に見えるのは鬱蒼うっそうと繁った森。

 さらに遠くにある山脈はちょっとかすんでいて、上の方は雪が積もっている。

 それから、空。そして、青空。絵筆でサッとなでたような白雲。さらに遠くの空に、ぽつんぽつんと飛んでいるのは――


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