第十七話 聖女の選択

 まず、カトライズ殿下が私を見上げてこう言った。


「大女神が聖女様を通して私たちに思し召しを下さった事は、重要な事であると考えます」


 華麗な容姿のカトライズ殿下は、こういう真剣な表情も絵になる。


「我が帝国は大女神様から授かったお力をで成り立っている国。その大女神様の思し召しを実現せぬわけにはいかないでしょう。私が皇帝になった暁には、私は必ずや軍を鍛え増やし、隣国へと攻め込んで滅ぼし、大女神フェレミネーヤの加護を大きく広げることを誓います」


 カトライズ殿下らしい、凛とした勇ましい誓いだった。周囲から思わず感嘆の声が漏れる。その凛々しさに私は心が熱くなったわよね。


 しかし、カティはそこで私の顔を見ながら表情を和らげた。


「しかるに、これは簡単な事ではありません。軍の増強には何年もの歳月が必要になるでしょうし、実際に軍事行動をするには費用も魔力も掛かります」


 帝国は強大だけど、他の大女神を信奉する国も大きい。これを滅ぼすなんてただごとで済むはずがない。


「あまりに性急に事を進めて、敗北するような事になれば、かえって帝国の勢威を損ねる事になりましょう。ですから私は時間を掛け、確実に帝国を強くしてから、大女神様のご要望にお応えして行こうと思います」


 ……これは……。私は気が付いた。


 言っている事は勇ましいのだけど、要するに帝国には現状、隣国と戦争して勝利する実力など無いので、すぐには戦争など出来ないと言っているのだ。


 時間を掛けて強くなってから、とは言うけど、この魔力不足により国土が荒廃している現状で、軍の増強に取り組めるのは随分と後になってしまう事だろう。


「平和を愛するエルファニア様のご希望に沿いながら、慎重に事を進めたいと思います。全ては聖女様の思し召し通りに」


 これは。私は感動した。カトライズ殿下は、私が戦争などしたくないことを察して下さっているのだった。


 フェレミネーヤ神のご要望なら隣国に攻め込む予定を立てるのは仕方がないけど、私は本音では戦争なんてしたくない。絶対に嫌だ。だからカティは戦争準備をゆっくりして、大女神様の思し召しに応える姿勢は見せながら、実際には戦争に踏み切る気などないという事を暗に匂わせたのだ。


 私の思し召し通りに、というのはそう言うことだろう。さすがはカトライズ殿下だ。私の事がよく分かっている。


「エルファニア様。私と一緒に平和な帝国を造っていきましょう。エルファニア様はその慈愛と聖女の魔力を帝国に満たしてくだされば良いのです」


 ほとんど完璧な、私の望む通りの答えだった、戦争を回避し、帝国の臣民と大地を癒す。私が聖女であること、皇妃になる事を許容するならこうしたい、こうありたいという希望が全て満たされていた。


 カティを好きになった私の目には間違いはなかった。彼は帝国の皇帝に相応しい人物で、私の事をよく分かってくれている人だ。


 そう確信する私の前に、今度は金髪の人物が進み出た。ルドワーズは一度深く頭を下げると、静かなグレーの瞳で私をジッと見上げた。


 凛としたカトライズ殿下に対して、ルドワーズは柔らかな雰囲気を持つ。しかし十分に緊張感を持った上での柔らかさだ、ルドワーズは最初から微笑んでいた。それは自嘲しているようにも、苦笑しているようにも見えた。


  ◇◇◇


 私と、その場の全員の注目を集めながら、若干十四歳のルドワーズは静かに言った。


「……戦争など、する必要はありますまい」


 私でさえ驚いた。それは大女神様の思し召しを真っ向から否定する言葉だったからだ。


「戦争など、今の帝国には不可能です。こんな荒れ果てた帝国の大地を癒しながら、軍事力を増強するなんて不可能だと思います。皇帝陛下にも聖女様にもお分かりの筈」


 それは……。私にもルディの言わんとしている事は分かった。帝国各地を旅したからこそ私にも分かるのだが、帝国は魔力不足の大地に魔力を奉納し、豊かさを回復させる事がまず急務だ。しかし同時に、魔力以外の方法でも帝国の大地の開墾が必要だと思われる。


 魔力が満ちても灌漑設備が無ければ水が引けない。木を切って大地を耕さなければ作物は育てられない。


 そして農民を入れて耕作させなければ作物は出来ない。農民を育むには用具や衣服を売る商人が村々を巡らなければならない。行商人が村々を巡るには道路を整備しなければならない。


 混沌を回復しても、それらの投資をしなければ大地に豊穣を蘇らせる事は出来ないのだ。それには多額の費用と人員が必要だ。それに費用を割いていたら、軍の増強など出来ないだろう。


 だが、そんな事はカティにだって分かっていた。しかし、皇帝となる身であれば、大女神様の地上での代理人、化身とすら見做される身であれば、大女神様の思し召しを実現するのは義務である。絶対にしなければならない事なのだ。


 だからカティは抜け道を探した。戦争を準備すると言いながら、実際には戦争を回避出来る道を選んだのだ。


 しかしルドワーズはこう言った。


「我が国がゆくゆく戦争をすると宣言する事自体が、隣国との不必要な緊張を呼び込みかねません。その不必要な緊張は本当に戦争を招いてしまうかもしれない。そんな事をする必要はありません」


「……ではどうするのですか? フェレミネーヤ神の神託を無視するという事ですか?」


 思わず口調に批難の色が混じってしまう。こんな公衆の面前で、フェレミネーヤ神のご意志を無視する事を公言するなんて、皇帝候補がやって良い事ではない。


 しかし、ルドワーズは悠然とした表情で言った。


「聖女様、大女神フェレミネーヤ様の神託をもう一度よく思い出して下さい。フェレミネーヤ様は帝国に『戦争せよ』と仰ったのですか?」


 それは……。私はもう一度あの意地悪女神のいけすかない顔を思い浮かべる。


 言われてみればあの時「隣国を滅ぼせ」とは言われたけど「戦争せよ」とは言われていない気がするわね。でも、それがどうしたというのか。戦争でも起こさないと、隣国を滅ぼすなんて不可能だろう。


 それとも、ルドワーズには他に隣国を滅ぼす方法があるとでもいうのだろうか?


「慈悲深き大女神フェレミネーヤが、隣国に戦争を仕掛け、隣国にも我が帝国にも多大な損害を生じさせる、戦争をせよなんて仰る筈がありません」


 あんまり慈悲深い感じはしなかった気がするけどね。あの女神。


「聖女様。聖女様は混沌回復のために旅をなさって、帝国の辺境についてどう思われましたか?」


 どうって、酷い状況だなと思ったわよ。魔力は薄れ、農民は逃散し、領地経営は瓦解してしまって領主は絶望していた。


「帝国の辺境があの有様なのに、隣国は攻め込んで来ません。それは、隣国も同様の状態にあるからです」


 ……それは、噂では聞いていた。帝国の隣国、赤と青の大女神の加護を受けし国でも、魔力不足が起こって国勢が衰退しているという話だった。ルドワーズはかなり辺境にも魔力援助に行っていたから、もっと詳しい情報を知っているのかもしれない。


「状況は我が国よりも悪いらしいです。混沌が大きくなって一つの地方が丸々混沌に消えたところもあるとか」


 ゾッとした。前回なんとか回復させた混沌より遥かに大きな混沌に国土が呑まれているのだとすれば、これは大変な状況である。隣国は滅亡の危機にあると言っても過言ではない。


 私は青くなり、貴族達も絶句する。それを見渡し、ルドワーズは言った。


「ですから、隣国にも戦争の余裕など無いでしょう。我が国に刺激され、戦争準備などを始めたら、それこそ国土全てが混沌に戻る事態にもなりかねません」


 そんな事になったら隣国は大変だし、我が国もただでは済まないのではないか。それは私にも分かった。


 でも、事は大女神の神託である。あの自己中女なら、そんな事は関係ない。隣国が弱っているならこれは幸い。今の内に攻め取ってしまえ、くらいの事を言ってもおかしくなさそうだ。


 私の思いを見透かしたように、ルドワーズは言った。


「フェレミネーヤ神なら今がチャンスだと言うでしょうね」


 そしてルドワーズは優しい笑顔で言った。


「隣国の魔力が不足し、女神の加護が衰えているのなら、聖女である貴女が魔力を奉じ、土地をフェレミネーヤの魔力で満たせば、その土地を奪えるのではないですか?」


 ……は?


 意外なルドワーズの言葉に、私は言葉を失う。それを変わらぬ穏やかな表情で見ながら、ルドワーズは続ける。


「元々、この世界は三柱の大女神によって創られました。三大女神の赤青緑の魔力が世界を満たし、生まれたのです。そして三大女神は自らの代理人に魔力を与え、勢力争いをさせました。魔力を大地に捧げ、より多くの土地を魔力で満たす競争をさせたのです」


 その言葉を聞いて、私はフェレミネーヤ神の言葉がようやく腑に落ちた。


 私は思っていたのだ。なんで大女神様が地上の覇権に拘るのか。信仰を広げ、魔力で大地を満たし、隣国を滅ぼせとまで言うのか。


 それは競争だったからだ。フェレミネーヤ神はおそらく、他の大女神お二人と競争をしている。この世界の大地を三人の誰が一番大きく豊かに魔力で満たせるかを争っているのだ。


 そうであれば、領域を増やす手段は戦争であるとは限らない。むしろ、聖女である私なら、魔力を奉納し、大地をフェレミネーヤの緑で満たす事で、フェレミネーヤの領域を拡大する方が正道という事になる。


 呆然とする私に、ルドワーズは淡々と言った。


「まずは帝国の地を回復させてからの事になるでしょうが、聖女様には隣国へ乗り込んで頂き、そこをフェレミネーヤの魔力で満たしてもらいます。そうすれば、そこは帝国の土地と言っても過言ではありませんでしょう」


 ……なるほど。これならば確かに戦争などする必要はない。私が行って魔力で、隣国が出来なかった混沌回復をすれば、その土地の所有権を帝国が主張しても隣国は文句を言えなくなるだろう。そうやってどんどん隣国の土地を癒して、奪ってゆけば、戦争する事なく隣国の制圧が可能になるかもしれない。


 そしてそこで、ルドワーズは私の事を見詰めて、ゆっくりとした口調で言った。


「そのようにするのであれば、聖女様は皇妃にならぬ方が良いでしょう」


「え?」


 何を言い出すのか。私は驚きに目を見張ったが、ルドワーズの視線は私から外れない。


「地方を回って混沌を回復して、さらには隣国の混沌まで回復せねばならないのです。帝都に常駐せねば務まらない皇妃は無理ですよ」


 これは……。ルドワーズはまだ諦めていなかったのだ。


 私を皇妃にしない方法を、彼は考えていた。そのために彼は私に求婚して。自分と結婚すれば私が皇妃にならずに済むように状況を誘導したのだ。


 それが上手く行かずに私が皇妃になることはもう確定だと思われている今の状況でも、ルディは一縷の望みを賭けて、ここで私を皇妃の座から解放しようとしているのだ。


「聖女様と、私は辺境を周り、その後は隣国に行って混沌回復に努めましょう。帝都はカトライズ殿下にお願いいたしましょう。それが、大女神フェレミネーヤ様の思し召しを実現する事になり、帝国にとって一番良いと、思います」


 ルドワーズが言い終えても、私も謁見室を埋め尽くした貴族達も、声を出すことさえ出来なかった。


  ◇◇◇


 皇帝候補二人の答えが出揃ったのだ。次は私の番だった。


 私が、二人の答えから、どちらが皇帝に相応しいのかを判断して一人を選ばなければならない。


 ……でも、これはちょっと反則だと思う。


 ルドワーズは、質問の前提条件を全く崩してしまった。


 私は「大女神様は隣国との戦争をお望みであり、貴方は皇帝としてそれにどう対処するか」を尋ねたのだ。


 その返答として、カトライズ殿下のお言葉は完璧だったと思う。皇帝として、大女神様のご意向に沿いながら、それでいて私が戦争などしたくないという思いも汲んで下さった。帝国の現状と行末を見据えた、流石は次期皇帝の自覚をお持ちのカトライズ殿下という返答だった。


 それに対してルドワーズは、ある意味大女神様のご意向を私以上に理解した返答をした。確かに、性悪とはいえ大女神様が、人々が殺し合いすることなどお望みにならないだろう。それに、奇跡を起こして自分の威光を見せつけよというのは、帝国の大地を救えという意味だった。隣国を滅ぼせというのも、隣国の窮状を救えという意味だった可能性もある。


 そして、ルドワースは私に皇妃になるな、と言った。そして自分も一緒に辺境を回るというからにはルディも皇帝にはならないつもりなのだろう。二人で帝都から離れて帝国各地を旅しながら混沌を回復して大地を癒して歩く。


 それはなんというか、理想的な未来だった。私は社交界になんて出たくないし、旅するのが好きだし、そして混沌で戦ってそれを回復して、大地が魔力で満たされるのを見るのも好きだ。


 出来るならそうして旅して歩きたい。それが大女神様の御心に叶うのであれば、私は皇妃にならずにそうして暮らしても良いのではないか。そして側にはいつも、愛するルディがいる……。


 あまりに都合の良過ぎる想像に、私は思わず笑みが漏れてしまった。カトライズ殿下の返答が期待通りなら、ルドワーズの返事は予想を超えてきたのだった。


 だけどルドワーズの提示したそれは、私にはちょっと選び難いものでもあった。


 だって、ここにいる皆様は、私が皇妃になると、もう決めつけている。そしてルドワーズかカトライズ殿下のどちらかが、皇帝になると期待しているのだ。


 帝国の根本への魔力奉納の問題もある。私は皇妃にならなければならない。今ではそう思っている。皇妃になんて柄じゃない。そんな大それた地位になんて上りたくない。今でもそう思ってるけどね。


 でもね。嬉しかったのは確かだ。ルドワーズはギリギリまで私の本当の希望を、叶えようとしてくれた。聖女でも皇妃候補でもない、私自身の望みを知っていてくれた。


 私は目を閉じて、自分の心に問い掛ける。本当に良いのか。それは本当に私の嘘偽りのない気持ちなのか。


 私はどうしてもこれまで、自分が聖女であり、ヴェリトン公爵家の養女であり、皇妃になるべき人間だという枷で自分を締め付けていた。だってそうよね。私は平民の丁稚から、聖女になったおかげで現在の身分に成り上がったのだから。


 でも、ここでは一度そういう身分やしがらみから自分を解放しようと思う。肩書きや重い責任を剥ぎ取った後に、私の本当の望みが現れるだろう。聖女エルファニアではなくただのニアは何を望むのだろうか。


 帝都に来た時、私は何の希望も持ってはいなかった。捨てられるように父母に売られ、サンド商会でいきなり厳しい仕事の只中に放り込まれた。もっと酷い職場はいくらでもあったとはいえ、失敗すれば飯を抜かれ下手をすればムチで打たれ、明るい内には休みは無く、ろくに寝る暇もなく暗い内から働いた。


 その頃のには望みなんて無かったと思う。厳しい仕事が嫌だとも辛いとも思っていなかった。これが普通だと思っていたから。だからここから抜け出したいとも思っていなかったのよ。


 今考えると、忙しさで心が麻痺していたんだと思う。何も考えず、必死で働く。何かを強く望む事もなく。日々は瞬く間に過ぎていった。


 思えば、あの衝動が全ての始まりだったのだ。


 橋から落ちて行く金髪の少年。それを見て、私の心には爆発的な衝動が生じたのだ。


「助けたい!」


 そして私は橋の上から飛び出した。手を伸ばした。それは、きっと……。


 私は目を開く。階の下には二人の男性、銀髪と金髪の若者が膝を突いている。心がジリっと痛んだ。


 しかし、私は確信を持って手を伸ばす。あの時と同じように。


「ルドワーズ」


 その瞬間、ルドワーズは信じられないというように目を見開いた。私は彼を安心させるように微笑み掛ける。


「ルドワーズ様。こちらへ」


 私は、彼を弟扱いしないという意味を込めてルドワーズ様と呼んだ。その声に導かれるように、ルドワーズは立ち上がり、静かに五段ある階段を登り始める。帝位への、階段だ。


 そして私のいる最上段の一歩下で立ち止まる。不安そうな表情。本当に良いのか? とそのグレーの瞳が語っていた。私は自分の右手を伸ばす。


「さあ。ルドワーズ様」


 ルドワーズはその瞬間、ギュッと目を閉じ表情を厳しくすると、私の手を取って、一気に最上段へと上った。勢い良く私にぶつかる。けど、ダンスをするかのように私の腰を抱いて、大きくぐるりと回転して衝撃をきれいに逃がしたから痛くは無かった。私のドレスの裾と、彼のマントが大きく宙を舞う。


「……本当に、良いのですか? ニア姉様?」


 私は笑う。心から笑顔を浮かべる。


「ニアと呼んでよ。ルドワーズ」


 私の言葉に、ルドワーズはなんというか、泣きそうな表情になってしまう。そして私をその胸にぎゅっと抱きしめてくれた。


「一生大切にします。ニア!」


「よろしくお願いね。ルディ」


 私の心から愛の女神クインチャーミの魔力が溢れ出す。それは触れ合っている部分からルドワーズにも浸透していっているようだった。いえ、違うわね。ルディの方からもクインチャーミの魔力が溢れ出しているに違いない。それが溶け合っているのだ。


 身を寄せ合う私たちを見て、観衆から大歓声が上がった。私の、聖女の選択が成されたのだ。今ここに次期皇帝が決定したのである。


 私は階の下で盛り上がり、歓声を上げている人々を見る。そして、彼がゆっくりと立ち上がった。


 銀髪の貴公子。カトライズ殿下は俯いていたが、ゆっくりを顔を上げ、私の方を見た。静かな、それでいて彼らしい闊達な表情だった。そして、ゆっくりと手を叩いた。


 覚悟はしていた。しかしその胸の痛み、喪失感は想像以上だった。愛するカティ。彼を自分の決定によって切り捨てることは、文字通り自分の心を削り落とす行為だった。痛むだけではなく傷口から血が流れ出て失われるような気がした。


 その時、カトライズ殿下のそばに一人の女性が歩み寄ってきた。長身の金髪に緑の瞳というお姫様然とした美貌。イルコティアは無言でカトライズ殿下の袖を掴んだ。


 イルコティアは私の事を見上げる。自分に任せろ、というのだろう。カトライズ殿下の幼馴染であり、殿下のことを深く愛しているイルコティアなら、彼を慰められるかもしれない。


 私が言い知れぬ痛みに耐えていると、後ろから声が掛かった。


「聖女様」


 皇帝陛下と皇妃様が立ち上がって私とルドワーズを見ていた。私は身を固くする。私は今、このお二人の息子であるカトライズ殿下を差し置いて、ルドワーズを次期皇帝に選出したのである。お二人が怒っていても当然だと思った。


 しかしお二人は静かに頭を下げた。


「聖女様の選択に異を唱えることなど致しません。ご配慮に感謝いたします」


 皇帝陛下のお言葉に私は居た堪れなくなった。配慮も何も、私は公衆の面前で言い訳の余地無くカトライズ殿下の事を振ってしまったのだ。仕方が無かったとはいえ、本来であれば儀式の前に、こういうことは話しておくべきだったのに。


「あの答えを聞いては、誰もが納得したでしょう。ルドワーズの方が、皇帝に相応しいと」


 私はそうは思わなかった。皇帝になるのなら、カトライズ殿下の答えは満点だった。ルドワーズは皇帝にはならないつもりで、私を皇妃にしないつもりだったから、あの答えが出たのだ。


 だけどそんな事はもう言えない。私は黙って頭を下げるしかなかった。


 すると、ルドワーズが皇帝陛下の方へ進み出て、優雅に跪いた。この瞬間、次期皇帝の内定を得た彼が、一体現皇帝陛下に何を言うのか。


 私も、貴族達の誰もが息を呑んだ。その異様な静けさの中、ルドワーズは言った。


「皇帝陛下に申し上げておかねばならないことがあります」


 意外な言葉に皇帝陛下が戸惑いの表情を浮かべる。


「聞こう」


 するとルドワーズは大きな声で、とんでもないことを言った。


「私は『英雄』の資格を持っています」


 ……はい?


 すぐさまその言葉の意味が理解出来た者は皆無だっただろう。それだけ唐突な言葉だったのだ。


 えーっと。英雄というのは……。今から百年前、サズリードという剣士が大女神フェレミネーヤから魔力を授かり、そのお力で帝国に沸いた巨大な魔物を倒して帝国を救った。そのサズリード様に捧げられた称号だ。つまりフェレミネーヤ神とお会いして魔力を授かった男性。聖女の男性版が英雄という事になる。


 ……え?


「私は四年前。エルファニア様が大女神フェレミネーヤ様とお会いした時に、同時に大女神様にお会いして魔力を授かっております」


 えー! 私も仰天したけれど、貴族の皆様、そしてお父様お母様、お兄様達はもっと驚いただろう。


 そ、そんな話聞いてないわよ! というか、前に聞いた時にはフェレミネーヤ神には会っていないって言ってたじゃない! 嘘を吐いたのね!


 考えてみれば、ルドワーズの魔力は多過ぎたし、かなり純粋な緑に近かった。ルドワーズは元々皇族で、大きな魔力を持っていたから、フェレミネーヤ神の魔力をもらっても完全には色が上書きされなかったのかもしれない。


 愕然とする私、驚愕に目を見開く皇帝陛下に、ルドワーズは静かに畳み掛けた。


「これまでこの事を申し上げなかったのは、確信が無かったからでございます。しかし、今、私は思い出しました。私は大女神様とお会いして魔力を授かった、英雄であると」


 絶対嘘だ。嘘よね。どう考えても今思い出して言い出すような事ではない。これまでは意図して隠していたに違いないのだ。そんな事はおくびにも出さず、堂々と「今思い出した」と言ってのけるのはルドワーズならではだわね。


「そ、そうか……。それは帝国にとって良いことではある。それで、今それを言い出した理由はなんだ?」


 皇帝陛下は混乱しながら仰った。そうよね。別に今ここで言うべき事じゃないんじゃないかしら。今彼は次期皇帝に内定したのだ。言うべきはそれに対する誓いと決意の言葉であるべきだろう。


「はい。私は英雄の資格があります。すると、百年前の英雄、サズリード様の事例を思い起こす必要があります」


 皇帝陛下の表情が唖然としたものになる。え? 何? なんなの? サズリード様の事例って?


「サズリード様は英雄と認定されました。しかし、彼は一騎士として生涯を全うされました」


 ……それが何?


「つまり英雄は皇帝にならなかったという前例がある事になります」


 ……はい?


「ですから、私は皇帝になるわけにはいかないと思うのです。前例に照らせば、私は英雄の称号のみを帯びる事になるでしょう」


 後から聞いたけど、サズリード様はあらゆる爵位、縁談を蹴って、一騎士として帝国中で魔物を討伐する一生を過ごし、天寿を全うなさったのだという。かなり偏屈な方だったようで、困り果てた当時の皇帝陛下が「英雄」という称号を与えて、帝国内の自由通行権などの特権を許可したらしい。


 しかしながら、元々伯爵家の四男だったとかいうサズリード様とそもそも皇位継承権のある皇族であるルドワーズは同列には語れまい。まして彼は多くの支持を集める皇帝候補ではないか!


 私は慌てた。ルドワーズに今更皇帝候補を辞退されたら困る。私はもう今更ルドワーズ以外と結婚する気はない。


 私はルドワーズの肩を掴もうと手を伸ばした。すると、ルドワーズは私のその手を掴み、私を引き寄せると、立ち上がって私の腰を抱いた。その密着した姿勢で、彼は皇帝陛下に向けてこう、堂々と言い放ったのである。


「英雄と聖女が夫婦になるのです。これはもはや、皇帝と皇妃の地位でも追い付かない、神々に匹敵するくらい権威ある存在ではありませんか?」


 呆然とする皇帝陛下と皇妃様と私を尻目に、ルドワーズは愛おしそうに私の髪に頬擦りしたのであった。

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