第十六話 聖女の質問

 ……困ったことになった。


 という自覚はあった。よりにもよって私は、カトライズ殿下とルドワーズ、皇帝候補にして私の婚約者候補二人に、同時に恋してしまったらしいのだ。信じたくないけどそうらしい。


 だって間違いなく、愛の女神クインチャーミの力が湧き出るのだもの。そんなバカなと思うけど、否定のしようがない。


 何とも節操がないとは思うけど、仕方がないじゃない、とも思う。あんな素敵な男性二人が、真剣に私の事を愛し求めてくれるのだ。こっちだって好きにならない方がおかしい。おかしいわよね?


 そんなわけで、私は認めた。二人とも好きだと。男性として愛していると。開き直ったと言っても良い。


 ただ、私が二人に感じる愛情には違いがあった。同じく恋心でも同じでは無かったのだ。


 カトライズ殿下に感じる恋心は、くすぐったいというか、恥ずかしいというかカティの事を思うと顔が赤くなる。悶えてしまうというような想いだった。


 それに対してルドワーズには、もう兎に角一緒にいたい。ベテベタしたい。ルディの暖かさに触れて、抱きしめて、抱きしめられたいという欲求だった。


 なんだろうねこれ。誰かに質問してみたいところだったのだけど、こればかりは流石にお母様にも相談は出来なかったわね。


 ただ、お母様には「ルディの事も好きになってしまった」事は匂わせた。お母様なら私の想いを正確に察して下さっただろう。でも、何も言わなかったわね。


 それにしても男性を二人同時に、同じくらい恋してしまうというのはどういうことなのか。そんな事があるのだろうか。私は恋愛経験があまりにも少な過ぎるため判断が付かなかった。


 そのため、ピアリーニに聞いてみたんだけど「そんな事私が知るわけないでしょう」とつれない返事が返ってきた。


「ニア様ほど私はモテませんからね。そんなモテ女の悩みは知りません」


 えらいこと言葉に棘がある。考えてみれば彼女は侯爵家の四女で、嫁に出る見込みがないから成人と同時に我が家の侍女になっているのだった。お屋敷内部で侍女と侍従や下働きとの自由恋愛は盛んらしいから、恋愛未経験という事はないと思うけどね。


 まさか他家の方に相談する訳にもいかない。大変な噂になってしまうだろう。二人の男性を同時に好きになってしまうなんて、誰がどう聞いても浮気性の戯言にしか聞こえまい。しかもその二人は皇帝候補だ。私の評判は暴落して大変な事になるだろう。


 それはそれとして、私はルドワーズにも恋してしまい、彼に会いたくて会いたくてたまらない状態になった。


 そしてなにしろ同じお屋敷に住んでいるのだから、気軽に会いに行けてしまうので、何かというと会いに行ったり呼んだりして楽しく二人で過ごすようになってしまった。


 姉弟だからという言い訳があるから、と思ったのだが、やはり側から見れば態度が姉弟のそれとは異なったのだろう。公爵家の侍女から私とルドワーズが親密になったという噂があっという間に社交界に広まったようだ。なにしろみんな実家は高位貴族家だからね。


 それゆえ、私がお友達の内にお茶会に呼ばれて伺ったりすると「ニア様はルドワーズ様をお選びになったのですか?」と遠回しに探りを入れられる事が増えてしまった。


 これは困った。私はまだ二人のどちらかを選んだわけではない。カトライズ殿下にも恋しているのだ。


 皇帝陛下からお呼ばれして帝宮に上がる機会があり、久しぶりにカトライズ殿下とお会いする機会が訪れると、私はもう朝からソワソワして大変だった。ピアリーニが呆れたような顔をしていたけれど、カティが好きだという気持ちにも嘘はないのだもの。こればかりは仕方がない。


 そして帝宮に上がって皇帝陛下と昼食がてら面会するために一室に入ると、そこに皇帝陛下と皇妃様、そしてカトライズ殿下のお姿があった。


 ぐわっ! 私は思わず仰け反ったわよね。銀髪を輝かせて微笑むカティが眩しくて直視出来なかったのだ。顔が赤くなり、心の中がクインチャーミ神の魔力で暖かに満たされる。


 昼食の最中も私は夢見心地で、フワフワして、カティの事がまともに見られない。お作法だからお話しする時には相手の目を見なければならないのに、恥ずかしくて目が泳いでしまう。


 皇帝陛下も皇妃様も、カトライズ殿下も怪訝な顔をしていたけどね。実はこの時、私がルドワーズを選んだのではないか、という噂がカトライズ殿下の耳にも入っていて、殿下は緊張していたらしいんだけど。


 昼食を終えて、色々打ち合わせも終わって、カティが私をお茶に誘ってきた。私は二つ返事で了承したわよね。


 テーブルを挟んで二人で向かい合うと、お互いしか目に入らなくなる。そうなるともうカティの事が眩しくて眩しくて、私は目を開けているのも大変だったわね。


 でも側にいられて。お話が出来るだけでも嬉しくて、私は妙にはしゃいでしまった。楽しそうな私の様子に、カトライズ殿下は表情を和らげていた。嬉しそうに微笑んでくれた。


 別れ際にカティはいつものように私を軽くハグして、髪を撫でてくれたんだけど、私はもうそれだけで夢見心地で真っ直ぐ歩けなくなったくらいだったわね。


 この日の様子は当然だけど帝宮の侍女や侍従たちの間から貴族界に広まったようだった。まぁ、あんなにあからさまに顔を赤くしたりはしゃいだりしたら分かるでしょうよ。私はカトライズ殿下を選んだのではないか? と全く逆の噂も流れ始めた。


 貴族界は大混乱だ。一体どちらが本当の噂なのか。聖女様は何を考えているのか。どうでも良いけど早く相手を、次期皇帝を決めてくれ。という具合に、私への不信や不満も湧き起こる有様だったようだ。


「いい加減、覚悟を決めた方が良いわよ。ニア」


 ある日のお茶会でアイマリーが私に言った。私は一瞬きょとんとしたが、すぐに何の話か理解した。渋面になってしまう。


「そんな事を言われても……」


「気持ちは分かるわ。二人とも素晴らしい貴公子で、どっちも選び難いのは。でもね。永遠に選ばない訳にはいかないじゃない」


 選ばない訳にはいかない。その通りで、どんなに二人が好きだって二人と同時に結婚する訳にはいかない。いくら聖女でも重婚は許されていないのだから。


 まして私の夫は皇帝になる。皇帝を二人並び立たせる訳にはいかない。


 そして私が選択を長引かせれば長引かせるほど、状況は混迷を深め、混乱は大きくなる見通しだった。なにしろ事は皇帝選びだ。単なる私の夫選びではない。今は全ての選択を私に委ねて大人しくしている二人の支持者だけど、長引かせると感情的な対立が起こらないとも限らない。


 そうなると私はもう間近に迫っている成人のお披露目において、少なくとも二人のどちらかを選んだと表明する必要があると思われた。


 ……そんな事を言われてもねぇ。


 そもそも私の、聖女とはいえ小娘の私の選択に、次代の皇帝という帝国の将来を決定付けるような決定が委ねられているのが無茶苦茶な話なのだ。なんで誰も疑問に思わないのよ。


 この数十日、二人を想って悶々と悩んでいる私が、僅か十日先に迫った成人のお披露目の際に、綺麗さっぱり一人の方を選び出せるとはとても思えない。無理に選んでも、どちらを選んでも後悔しきりになっちゃうんじゃないかしら。


 事は皇帝選びであり、私の生涯の伴侶選びでもある。どちらの意味でも失敗は許されないし、後悔はしたくない。


 もっとも、皇帝に相応しいという意味では、カトライズ殿下もルドワーズも拮抗していて、これは今の皇帝陛下も臣下の貴族達誰もがそう認めている。どちらが即位しても誰もすぐには不満を言うまい。単に自家への利益誘導のために派閥を組んでどちらかを推しているだけなのだ。


 ならば問題は私の生涯の伴侶としての適正という事になるんだけど、こちらもどちらを選んでも大満足になりそうなのよね。


 年上で包容力があり、私を恐らくは一生は優しく包み込んでくれそうなカティ。


 私を最優先に考えてくれて、私も彼のためには何でもしてあげたいと思えるルディ。


 どちらと結婚しても私はきっと幸せになれるだろうと思う。そして二人を想うと同じ様にクインチャーミ神のお力を感じるのだ。想いの強さも似たようなものなのだと思う。


 それだけに選択するのは難しい。というより、選びたくない。本音を言えば愛し愛される二人の間でずっとフワフワしていたい。そんな事を言ったら大変な事になるから言えないけど。


「貴女が、どんな人と結婚したいか、で選んだらどうなの?」


 アイマリーは言った。彼女は侯爵家嫡男への嫁入りが決まっていて、成人のお披露目の時に婚約を発表するつもりだった。


「私はお相手の人が気に入ったのと、我が家としては最善のお相手だと思ったから結婚を決めたわ。私はそういう結婚がしたいと思っていたからね」


 アイマリーは恋に落ちた事がないし、結婚したい相手もいなかったからかなり理屈で相手を選んだのだそうだ。いくつかいた候補の中から、条件が良く、相手の男性が穏やかな方を選び出した。


 ……そういう考え方を、私の場合に当てはめて突き詰めると、結局二人の内どちらを皇帝にしたら、ヴェリトン公爵家、そして帝国のために良いのか? という話になると思う。


 しかし、これも難しい。ヴェリトン公爵家としては、二人のどちらが皇帝になっても皇妃が娘の私であるのなら、一定の影響力が確保出来る。無論、息子のルドワーズが皇帝になればヴェリトン公爵家は皇帝の実家になるのだから権威が高まるとは言えるけど、今度は高まり過ぎるので、逆に慎重な立ち回りが必要とされるようになるだろう。


 そして帝国のためにはどちらかが皇帝になった方が良いのか、となると……。これはなってみて、何年も実際にその彼の方針で統治してみないと分からないだろうね。


 私が、どんな人と結婚したいか、ねぇ。


 私がそこらの街娘だったら、暴力的じゃなくてまともな稼ぎがある旦那なら不満を持たずに結婚しただろうね。平民女性は結婚しないと生活し難いから、間違いなく結婚はしたと思う。


 普通の貴族だったら、アイマリーと同じで親の紹介で、お家のためになる相手と結婚しただろう。相手はあんまり悪い評判が無い男だったらそれで十分だ。


 今の私のように、私に結婚相手の選択権が全面的に委ねられ、しかもその相手に明確な恋心を抱けるなんて、考えてみれば贅沢極まりない話よね。世の女性は平民も貴族も恋愛と結婚は完全に別で考えているのだから。


 なるほどピアリーニが冷たい訳だわね。私は恵まれ過ぎだ。ならばこれ以上二人の間で恋心に浮かれ続けるなんて更なる贅沢は言っていられないわね。


 私は街娘でも貴族令嬢でもない。聖女として、皇妃候補としての夫の選び方はそのどちらとも違う筈だ。聖女なら、皇妃候補なら、夫をどうやって選ぶべきか。私は考えた。


 ……一つ、確かめたいことが思い浮かんだ。


 この質問に、カトライズ殿下とルドワーズはどう答えるのだろうか。


 私はこれを、二人に聞いてみる事にした。その答えは私の決定に大きな指針を与えてくれる事だろう。


  ◇◇◇


 しかし、二人にその質問をぶつける機会はなかなか訪れず、年末の成人のお披露目の日が来てしまった。この儀式の時に、私が結婚相手を、次期皇帝を発表すると帝国貴族界は期待しているらしいのに。私は一言もそんな事を言っていないのだけど、いつの間にかそういう話になってしまっているらしい。


 実際、さまざまな事情を鑑みても、このタイミングで決めてくれるのが望ましいと、皇帝陛下もお父様も、他の公爵家の当主の方々も異口同音に仰ったわね。


 当日は朝から身支度に大騒ぎだ。この日のためにあつらえた緑色のドレスを身に纏う。濃い緑と薄い緑が折り重なるようになっているドレスで、ハレの日だけあって思い切って聖女風の衣装だった。髪飾り、イヤリングはエメラルド。金細工で飾られたメインのネックレスは三大女神を表して大粒のエメラルド、サファイヤ、ルビーが並んでいる。


 成人すると髪を上げるようになるので、私の赤い髪はふんわりと結い上げられている。丁重にお化粧をされた私は、きっと過去最高に綺麗になっているだろう。


 お母様は仕上がった私の姿に感動してしまって、涙を流して下さった。私もお母様と抱き合ってちょっと泣いてしまい、お化粧をやり直す羽目になったわよね。


 お父様も、アルベルトお兄様とケティレイも感嘆の声を上げて祝福してくれて、この日は騎士として会場の護衛を担当してくれるヴィルヘルム兄様も手放しに褒めて下さった。


 そしてルドワーズはじっと微笑んで私を見ていただけだった。でも、視線を合わせて微笑み合うと、彼が誰よりも私を祝福してくれている事が分かるのだった。


 私はお父様お母様と馬車に同乗して帝宮に向かう、最初に大神殿で神殿長からの祝福をもらい、それから帝宮の大謁見室に入って皇帝陛下からの祝福を頂き、私たち新成人は皇帝陛下に忠誠を誓う、というのが成人お披露目の儀式の手順だ。


 ただ、私は聖女なので、お祝いされる側でもあるけど祝福を与える側でもある。神殿長の次に聖女の祝福を与え、一番最初に皇帝陛下の祝福を受けた後は、階に上がって他のみんなへ祝福を与える立場になる。


 この日成人する貴族の若者は男子が十二人。女子が七人。貴族の子女が全員必ずお披露目に出るのかというとそうではなくて、家に残さない、平民落ちさせる子供はお披露目には出さない。子沢山のお家だと良くある事だとか。


 お披露目に出してしまうと一人前の貴族として扱わなければならないので、お家でそれなりのポストを用意しなければならないし、結婚もさせないわけにはいかない。その費用が捻出出来ない家は子供全員を貴族にしないのである。平民落ちさせた場合、男の子なら軍隊に入れて、女の子は他所のお家の侍女にする事が多い。


 帝宮の神殿には帝国の高位貴族が着飾って大集合していた。例年の成人のお披露目は、成人する子供のいる家が集まるだけなので、今年は異例だ。やはり私がお披露目式の場で自分の結婚相手を発表するという噂が影響しているのだろう。確かにそれなら全貴族の将来に関わりのある事だからね。


 アイマリーを始め今日成人する子供達は例年との違いに目を丸くしていたけどね。私たちはお互いの装いを褒めたり揶揄ったりした。その辺はまだ子供だったわね。なにしろまだ十四歳。来年に十五になるのだ。


 大神殿での儀式は何事も無く終わった。神殿長の祝福の後、私がみんなを祝福する。緑色の光を浴びてみんな嬉しそうに目を細めていた。神殿を出て馬車で帝宮本館に移動して、控え室で服装やお化粧を整えながらしばらく待つ。


 そして時間が来て控室から大謁見室に向かう。男の子はお母様と、女の子はお父様と手を繋いで入場するのだけど、アイマリーは見慣れない若者に手を引かれていた。婚約者なのだという。セプリズ侯爵次期侯爵だそうだ。年齢は二つ上。


 婚約済みの場合は婚約者との入場が許されるのだそうで、今年はアイマリーだけがその権利を行使したようだ(婚約済みでも父親と最後の思い出作りをしたいからと、権利を使わない場合も多いらしい)。


 実はお父様曰く、ルドワーズが是非に私の入場をエスコートしたいと願ったのだけど、お父様が却下したそうだ。まぁ、当たり前よね。


 大謁見室の大きな扉が内側に開き、私たち十九人はエスコート役の方に手を引かれて歩き出す。もちろん先頭はお父様に手を引かれた私だ。


 お父様は私の着飾った姿を見て満足そうに頷いたわよね。


「うむ。聖女に相応しい装いだな。綺麗だぞ、ニア」


 お父様は口数が多い方ではないし、私が聖女で皇妃候補になってからは、皇帝陛下の側近として私にあまり親として声を掛ける事がなくなっていたが、今日ばかりは親の愛情をたっぷり感じさせる、嬉しそうな笑顔だった。


「ありがとう。お父様」


「ニア。周りの者は何かとうるさいかも知れんが、私はニアを信じておる。自分の信じるままに進みなさい」


 お父様には立場があって、皇帝陛下やカトライズ殿下に遠慮して私にもルドワーズにもアドバイスや励ましの言葉を掛けられなかったのだろう。そのお父様からの精一杯のお言葉に、私は嬉しくなってお父様に抱き付いた。


 階の前で跪く。皇帝陛下、皇妃様は既にお席に座ってお待ちだ。普通は私たちが入場してからお入りになるものなのだけど、今回は聖女の私がいるので出迎える形を取ったのだった。


 私は跪いて一礼して。それからお父様に笑いかけると、五段ある階を静かに上がった。すると皇帝陛下も皇妃様も立ち上がる。


 私はまた跪き、宣誓の言葉を述べる。


「世界の太陽。東西南北を統べるお方。大女神より帝都を託されしアガルージャの末裔。帝国そのものである麗しき皇帝陛下に、ヴェリトン公爵家のエルファニアが成人のご挨拶に参りました。これよりエルファニアは帝国貴族の一員として、誠心誠意帝国と皇帝陛下を支えて参る所存でございます」


 すると皇帝陛下と皇妃様が頭を下げた。本来はお二人は座ったまま挨拶を受ければいいのだけど。


「成人、おめでとうございます聖女様。これからもそのお力と大女神フェレミネーヤのご加護で、帝国をお守り下さいませ」


 皇帝陛下のお言葉に私は静かに頭を下げた。


「必ずやそのようにいたします」


 誓いの言葉が終わると、私は階の上、皇帝陛下の右に用意された聖女用の椅子に腰を下ろす。


 今日この時より私は成人した聖女として、公的な場では皇帝陛下と並んで座らなければならないのだ。畏れ多いのだけど、聖女であるからには仕方がないことらしい。これでは、皇妃になんてなりたくないと言っても聞いてはもらえないわよね。婚約前に一足先に皇太子妃になってしまったようなものだ。


 そのまま、他のみんなの成人の挨拶を受ける。みんな面白そうに私の方を見ていたわよね。何よその顔は。今日成人する子供達とはみんな一緒にふざけ合って遊んだ仲なのだ。私のお転婆な本性を知っているから、すまして座っている様が滑稽に見えるのだろうね。


 そんな感じで、私以外の十八人分のお披露目は進んで行って、身分的に最後の男の子のご挨拶も終わった。


 皇帝陛下は立ち上がり、階の前縁部に進み出て、成人した子供達への祝福を行なった。


「帝国の子らよ! 汝らは素晴らしい親達に育まれ、成長し、ついにこのめでたき成人の儀を迎えた。誠に重畳である。これより汝らは誇りある帝国貴族の一員となり、父母に代わってこの帝国の大地を慈しみ、育て、大女神より頂いた魔力でもって癒さねばならない! 帝国に栄光あれ、汝らに大女神の祝福あれ!」


 皇帝陛下がフェレミネーヤの祝福の魔法を放った。綺麗な緑色の光が新成人の上に降り注ぐ。新成人のみんなは誇らしげに陛下に向けて跪いた。


 本来であれば、これで成人の儀式は終了なのだが、今回は聖女である私がいる。聖女の祝福はさっき神殿で行なったので、今度は私が大貴族の皆様の前で成人するにあたっての決意表明をする事になっていた。


 なんだってそんな大それた事をしなければならないのかと思うのだけど、成人した聖女となれば神殿や儀式の度に説法を行う必要もあるのだし、皇妃になったならそれこそ貴族達に向けて演説する機会もある、ということで、いい機会だから最初の一回をここでやれいうことらしい。


 そして、この時に、私がカトライズ殿下とルドワーズのどちらを選んだか発表することが、どうも望ましいらしい。何という恥ずかしい事をさせるのかと思うけど、貴族達が集まった機会に大々的に発表しておかないと、陰謀だの何だのと後でクレームが付くから、という事らしい。


 はっきりと言われた訳じゃないけどね。周囲からのそういう期待がヒシヒシと伝わってきたのだ。そして私もこれはいい機会だと思えた。ここで、二人にあの質問を投げ掛けてみよう。そして、その答えによって、私は二人の内のどちらかを選ぼう。


 皇帝陛下が席にお戻りになると、私は立ち上がって、入れ替わりに階の前縁部に出た。


 平民出身の小娘が皇帝陛下と皇妃様しか登ることが許されない階の上に立って、かつては顔を見ることすら許されなかったお貴族様にむかって演説しようというのだから、笑っちゃうわよね。


 眼下に集まっている貴族の中にはお父様お母様、アルベルト兄様、ヴィルヘルム兄様が見えた。思わず手を振りたくなっちゃうわよね。みんな心配そうな顔をしている。


 そして、階に一番近いところに、カトライズ殿下。少し離れたところにルドワーズの姿が見える。私は二人がいる事を確認すると、一度目を閉じた。


 ……あの時、私は確かに大女神フェレミネーヤと会ったのだ。


 助けてやるから聖女になれと言われたのよね。ルドワーズを人質に取られたようなものだったのよ。酷い女神もいたものだわ。


 もう記憶が薄れてしまったそのお姿と、お言葉を出来るだけ思い出す。そして私は目を開くと、貴族達に語り掛けた。


「私は、今から四年前。大女神フェレミネーヤ様にお会いして、魔力を授かりました」


 皆の間からどよめきが起こる。大女神と直接会った人なんて、私以外にはいないのだ。神様と会った話なんて滅多に聞けるものではない。それは興奮するだろう。


「溺れかけた私を助けるのと引き換えに、私に聖女となって大女神様のお力を使い、奇跡を起こして帝国の土地と臣民を救えと、フェレミネーヤ神は仰いました」


 おおー。という感激したような声が聞こえる。帝国は大女神フェレミネーヤの恩寵篤き国である事を、再認識したのだろうね。そう。帝国はフェレミネーヤが初代皇帝に魔力を授けて創らせた国だ。


 それゆえ帝国内における最高神はフェレミネーヤ神で、他の二人の大女神よりも崇められているのだ。


「大女神様は帝国の繁栄をお望みです。皆様、偉大なる大女神フェレミネーヤ様に感謝を」


「「大女神フェレミネーヤ様に感謝を」」


 全ての貴族が一斉に跪いて感謝の祈りを唱和する。聖女の祈りに導かれて、帝国の全貴族がフェレミネーヤ神への信仰を新たにする。大女神様もご満悦でしょう。私を聖女にした甲斐があったと思っているかもね。


 でもね。私としてはそれだとちょっとつまらないのだ。


 私はちょっと綺麗にまとめて言ったけど、あの時フェレミネーヤ神は私の命とルドワーズの命を人質にして、私を無理やり聖女にしたのだ。あの強引さ、人を人とも思わぬ傲慢さ、性格の悪さ溢れるやり口を、私はいまだに忘れていない。


 少しはあの性悪具合を、帝国貴族の皆様にも分かって頂きたいのだ。


 私は言った。


「……ですが、私は大女神様に他にも命じられた事があるのです。これを皆様に伝えた方が良いものか、随分と迷いました。ですけど事は女神様の思し召し。私は聖女として、それを皆様に伝えなければなりません」


 皆様がざわめいた。ちょっと不穏な気配を感じたのだろう。私はざわめきが収まるのを待って、言った。


「フェレミネーヤ神は仰いました『帝国の領土を広げ、隣国を打ち倒し、そこにも我が信仰を広めよ』と」


 謁見の間に集まった人々から驚きの声が上がる。それはそうだろう。大女神様が隣国に戦争をふっかけろと言ったなんて信じ難いよね。


 でも、帝国の隣に二つある国は。それぞれ帝国とは違う大女神を強く信奉していると聞いている。その国を滅ぼして信仰を広めよとフェレミネーヤ神が言うのは、神々に勢力争いがあるとするなら実に納得出来る事なのだ。


 しかしながら事は重大である。隣国、大女神の加護のある別の国に戦争を仕掛けるような事は軽々しく出来るような事ではない。しかしながらこれは聖女の語る神託なのだ。冗談では済まない。


 ざわめいていた広間が、次第に静かになり、ついにはシーンと静まり返るまで私は待った。そして私は静かな声で続けた。


「残念ですが、大女神様のお言葉は事実です。私は聖女として、フェレミネーヤ様のお言葉を実現しなければなりません」


 今度は人々の間から呻き声が上がる。とんでもない事だ。隣国に戦争を吹っかけるなど、魔力不足で喘いでいる帝国に、簡単に出来る事ではない。数人が口々にその無謀性を口にした。


 私は頷いた。そしてなるべく聖女らしくを意識して微笑んだ。


「隣国を滅ぼすなんて大変な事です。一代では済まない大事業になるでしょう。そこで、私は聖女の名の下に、次期皇帝候補の二人、カトライズ殿下とルドワーズ公子に質問したいと思います」


 突然名前を出されて二人は驚きの表情を見せた。周囲の視線が一気に二人に集まる。私は二人を等分に見ながら、祈るような気持ちで問うた。


「大女神様の思し召しを実現するために、二人が皇帝になった時に何をするつもりか、教えてくださいませ。そして、私はそのために何をすべきでしょうか?」


 私の言葉を聞いて。二人は呆然と立ち尽くしていたわね。しかし、さすがは皇帝候補。二人とも表情を引き締め、決意を現して視線を厳しくする。


 そして二人は私の正面、階の下にやってきて、跪いたのだった。私は思わず息を呑んだ。

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