第十五話 聖女と弟

 アルベルト兄様の結婚披露宴で、私は確かに愛の女神クインチャーミの力が湧き上がるのを感じた。同時に、カトライズ殿下を見ると顔が熱くなり、心がときめく様になったのだ。


 ……これは、明らかに恋だった。でなければ愛の女神のお力は感じられないだろう。私はカトライズ殿下に恋心を覚えたのだ。


 ヴィルヘルム兄様に恋した時には感動と喜びしか無かったが、今回はちょっと驚きと戸惑いを覚えた。それは、カトライズ殿下からは何度もそれとなく、あるいは露骨に愛を伝えられており、私は当然カトライズ殿下の想いを知っていた。


 それなのに、なんで今更、今回に限って、と思った訳である。カトライズ殿下はいい加減なお人ではなく、私への告白は毎回真剣で誠実だ。今回に限っての何かがあったようには思えなかったのだ。


 しかし事実として、私はカトライズ殿下の事を考えると心がふわふわして仕方がないし、ちょっと油断すると彼の事を考えるようになってしまっているのだ。


 そうなると、もう病気のようなもので、カティに会いたくて会いたくて仕方がないようになってしまう。しかしながら、私の立場ではそんな事は軽々しくは言えない。でも会いたい。


 私はベッドで頭を抱えて悶々とすることになった。そんな私の様子を見て侍女のピアリーニは呆れ顔だったわね。


「別に何か理由を付けて会いに行けば良いではありませんか。帝宮に上がる理由などいくらでもありますでしょう?」


 それは、ある。ヴィルヘルム兄様の婚約の取り決めは終わったので、年明けにはまた混沌回復を行いたい。その打ち合わせ皇帝陛下としなければならない。秋の大祭の報告という名目もある。年末の成人のお披露目式で聖女の私が何をするかも決めておかねばならない。そもそも聖女である私が別に理由もなく帝宮にぶらっと現れたって誰も文句は言うまい。しかし……。


「恥ずかしいじゃない」


「乙女ですか」


 乙女だよ! 私は紛うこと無き清らかな乙女だよ! でも、ピアリーニが言わんとしている事は分かる。私はこれまで、カトライズ殿下の前であんまり女の子らしい態度をした事が無かった。


 私はそもそも活発な性質で、それは教育の成果で淑女の振る舞いやお作法は身に付けたから、いくらでもそれなりには振る舞えるけど、素は子供で出来れば男の子と混じって外を走り回りたいような娘だったのだ。


 カティは仲の良い相手だったから、かなり素を出して応対してしまっていて、男の子みたいな気易い態度をしていたのだ。彼はそれを許してくれる懐の広い人だったし。


 それなのに今更カティに会いたいだけで理由をでっち上げてまで帝宮に上がるのが恥ずかしいなんて、どうかしている。今更乙女でございますと取り繕ったってどうにもなるものでもないのに。


 悩み悶えた私は、お母様に相談することにした。困った時にはなんでも相談に乗ってくれるお母様。私は世界で一番お母様の事が大好きだし、信頼しているのだ。


 そのお母様でも、どうやらカトライズ殿下に恋したらしい、という私の相談にはかなりの時間沈黙してしまった。それはそうよね。私の結婚相手、帝国の皇帝を決める重要な事だ。


 お母様はルドワーズを応援していると言っていたしね。お母様は難しい表情をして考え込んだ後、私の事を手招きした。


 テーブルを挟んでそれぞれソファーに座っていたのだけれど、私は立ち上がってテーブルを回り込んでお母様の前に行く。首を傾げているとお母様は膝を叩いた。


「座りなさい」


 お母様のお膝に座れ、というのだ。私はちょっと驚いた。


 それは、もっと小さな頃、養女になりたての頃は遠慮無くお母様の膝にしがみつき、よじ登り、お母様の太ももに跨ってお母様の胸に顔を埋めて甘えたものだ。大好きなお母様の香りに包まれて、そのまま寝てしまう事も多かった。今思えば、貴族令嬢はどんなに小さくてもそんな無作法な真似はしないので、お母様は面食らったと思うのよね。


 今の私は、同年代の娘達に比べれば小さいとはいえ、もうほとんど大人だ。重いだろうし、流石にもう気恥ずかしい気持ちもある。


 でも、優しく微笑むお母様を見ていると、断り難くまた嬉しくもなって、私はお母様の膝に恐る恐る腰掛けた。


「重くない? お母様?」


「そうね。随分重くなったわね」


 お母様はそう言うと、私を抱き寄せて、私の頭に頬擦りした。


「大きくなったわね。あんなに小さくて細かったニアがね」


 お母様の言葉に、私はちょっと目が潤んでしまった。その言葉には嘘偽りのない愛情が確かにこもっていた。


 平民出身の養女を、お母様は実子以上に可愛がってくれた。例えばルドワーズと私が何が争った時に、ルドワーズの方が優遇されたことなどない。むしろ私の方が贔屓されていたのではないだろうか。


 それでいて、聖女だから特別に扱われる事もなく、怒られる時はきちんと怒られた。でも、ちゃんと理由のある事で怒られたんだもの、私は怒られたってお母様の愛情を微塵も疑わなかった。


「こんなに大きくなって、好きな人ができて、大人になって嫁に行ってしまうのね。寂しいわ。でも同時に誇らしい」


「お母様」


「ニア、貴女は他人のために必死になれる娘です。帝国のために我が家のために、貴族や人々のために、我が身を捨てて護り助けようと考える事が出来る、本当の聖女です」


 お母様に褒められて私は思わず頬が緩んでしまう。でも、褒められるような事をした覚えはない。私は助けたいと思ったから助けたのだし、護りたいと思ったから護ったのだ。


 お母様は私の頭を撫でながら更に続ける。


「でもね。私は貴女に幸せになって欲しいのです。帝国や我が家のために身を捨てて欲しくないのです。私は貴女を幸せにするために、娘にしたのですからね」


「お母様……!」


 ぐっと胸が詰まる。なんと答えれば良いのだろう。私はもう十分幸せだし、この幸せをくれたお母様にこの上なく感謝いている。でも、そんな事は言葉には言い表せない。


「カトライズ殿下と結婚してニアが幸せになれるならそれで良いのです。貴女は貴女の幸せのためにだけ、将来の伴侶を選びなさいね。それだけが私の望みです」


  ◇◇◇


 私はこの時点で、カトライズ殿下を選ぶ事をほぼ決めていた。というより、私はカティへの恋に舞い上がっており、彼に恋を打ち明ける事が出来る日を心待ちにしていた。この時に、私が無理に理由を作って帝宮に突撃していたなら、私はカティと相思相愛になってそのまま彼と結婚していただろうね。


 しかしながら、この時たまたま、私は帝宮に上がる用事も無く、カトライズ殿下も公務で帝宮から出掛ける事が多くて、二人で会う機会がなかったのだ。私も成人のお披露目に向けてちょっと忙しかったし。


 そうやってカティに会えずにお屋敷で悶々としている内、ふと、ルドワーズの事が気になったのだ。


 ルドワーズは今や押しも押されぬ皇帝候補、私の婚約者候補だ。彼を支持する貴族は多い。


 そしてルドワーズは真っ直ぐに私との結婚を望んでいる。子供の頃からそのためだけに努力と研鑽を積み重ねてきたらしいのだ。


 もしも私が彼ではなくカトライズ殿下を選んだとしたらどうなるだろうか。ルドワーズや彼を支持した貴族は納得してくれるだろうか? 貴族達は聖女の選択だからと尊重してくれるかもしれないけど、ルドワーズが納得せずにゴネる可能性は高いように思われる。


 そう考えると私は不安になってきた。私の選択で帝国が内乱になるなんて嫌だし、ルドワーズが騒いで我が家が不和になるのも嫌だ。


 私は結婚して家を出ても、家族と仲良くしていたい。もちろん、ルドワーズとも仲の良い姉弟でいたいのだ。


 私はカティに想いを伝える前に、ルドワーズと話をすることにしたのだった。


  ◇◇◇


 ルドワーズとは、お屋敷にいる時は夕食は毎回共にするし、時間がある時には一緒にお茶することも多い。もっと子供の頃は自由時間に一緒に庭園を駆け回って遊んだものだ。


 姉弟なのだもの。会うのに別に緊張するような関係ではない。


 が、今回ばかりは私はちょっと緊張していた。なにしろこの時、私はルドワーズを振るために、彼からの好意を拒絶して自分はカティと結婚するから諦めて欲しいと伝えるために彼と面会したのだ。


 いうなればこの時、私は初めて彼と「姉弟」ではなく「男女」しかも「縁談が取り沙汰されている男女」として会ったのである。妙に落ち着かない、ソワソワした気分がしたのはそのせいだろう。


 私が呼ぶとルドワーズはすぐやってきた。彼も色々忙しい身の筈だけど、私がお屋敷に滞在している時は大体お屋敷に彼もいたし、私が呼べばすぐに飛んでくるのはいつもの事だった。


 用意させた庭園に面したサロンに入ってきたルドワーズは柔らかに笑っていた。こうしてみると背はだいぶ伸びたけど、まだ表情には子供っぽさが残っている。


 でもふわふわの金髪には少し張りが出てきた様だし、顔立ちもスッキリしてモチモチだったほっぺはもう無い。


 ルドワーズはテーブルを挟んで私の向かいに腰掛けた。もう少し子供の頃は同じソファーに座って仲良く同じお皿からお菓子を食べたものなのだけど、ルドワーズが正式に皇帝候補に名乗りを挙げた時から、彼は私との間に一線を引くようになったのだ。


 もし、ルディと結婚出来ないという事になったら。ルディはまた私と姉弟の距離感に戻ってくれるのかしら? 無理ね。そういう感じではない。


 私とルドワーズはまずお互いに、最近している事などを話した。私は成人のお披露目のためにドレスを何着も仮縫いした話をした。ルドワーズは久しぶりに子供の友達のお屋敷に遊びに行った話をした。ルディは最近、乗馬の練習をしているそうで、屋敷ではヴィルヘルム兄様に教わっているとの事だった。


 ヴィルヘルム兄様とルドワーズは一時険悪だったけど、関係が修復されたのなら何よりだ。私は兄弟と私とでずっと仲良くしていきたいのだ。


 話し終えて、一息吐くためにカップを上げてお茶を飲む。……どう切り出したら良いのだろう。


 私がカトライズ殿下を選んだと言ったら、ルドワーズは悲しむだろうか。怒るだろうか。


 私にとってルドワーズは大切な存在で、大事な弟で、それに私とヴェリトン公爵家を結び付けてくれた恩人でもある。傷付けたくない。失うなんてもってのほかだ。


 どう言えばルドワーズは傷つかないだろうか。悲しまないだろうか。私は少し俯いてそれだけを考えていた。


 すると、ルドワーズはポツリと言った。


「ニア姉様は優しいですね。相変わらず」


 私が顔を上げると、ルドワーズは苦笑していた。静かな口調で言う。


「姉様がカトライズ殿下に恋心を抱いたようだ、というのは聞いていますよ」


「な! な、なんで!」


「侍女の噂が流れてきました」


 それは、そうかもしれない。私はなるべく自室だけで悶えていたつもりだけど、それだってピアリーニは黙っていても他の侍女だって垣間見るくらいはするだろう。お母様とお話ししていた時だって、お母様付きの侍女が何人か立っていた。高位貴族にはプライバシーなどあって無いようなものなのだ。


 まさか話すまでもなくルドワーズに知られてしまうなんて。私は申し訳なくてちょっと背中を丸めてしまった。どうしよう、ルドワーズはどう思ったのだろうか。


「ニア姉様は優しいです。それは私の大好きなところですけど、同時に欠点でもある」


 ルドワーズの言葉に私は驚いた。ルドワーズの言葉には厳しさが混じっていたからだ。ルドワーズは微笑みながらも、真剣な視線を私に向けていた。


「姉様は皇妃になるのでしょう? 皇妃になるのなら、優しいだけではいけません。皇帝夫妻は、時に臣下に対して非情な決断を下さなければならないこともあります。どこまでも優しく、他人を最大限助けたいと常に考えているニア姉様は優し過ぎる。姉様には、皇妃は勤まらないでしょう」


 誰もが私が皇妃になるべきだと言い、その事に疑問を持たない中で、ルドワーズだけが私は皇妃に向かない、と言った。


「姉様も、皇妃になんてなりたくないのでしょう? 自分には向いていないと、思っているから」


 ……私は返事が出来なかった。そう、私は、自分が皇妃に相応しい、向いているなどと全然思ってはいなかった。フェレミネーヤ神の言いなりになりたくないという事もあったけど、所詮は平民生まれで十分な教育を受けておらず、帝都の社交界に出たがらず、旅が好きで混沌回復という理由を付けて帝都から逃げ出してしまう私は、多分皇妃どころか伯爵夫人にすら向いていない。


 私がそんな事を考えていた、という事は、誰も知らない筈だった。私は誰にも言わなかったから。言ってはならない。公爵家の一人娘として、聖女として、皇妃確定である身として、そんな事は言ってはならないと思っていたのだ。


 しかしルドワーズは事もなげに私の心を言い当てた。白日の元に晒してしまった。私は絶句して、微笑む彼を見ているしかなかった。


「姉様は優しいから、そういう本心を抱えながら、周囲が期待するから、帝国に魔力が足りないから、臣民が苦労するから。そういう理由で自分を殺して聖女として、皇妃の座に上ろうとしている。そんな事では上手くいくとは思えませんよ」


 沈黙する私を見ながら、ルドワーズはカップを手にして優雅にお茶を口に含むと、私ではなく庭園の方を眺めた。


「……私はニア姉様には感謝をしているのです。姉様は全てを私に与えてくれた人ですから。……姉様、知っていましたか? 私は養子に出されるところだったのです」


「え?」


 初耳だ。驚愕する私の方を見ず、ルドワーズは続けた。


「子供が無い伯爵家の養子になる予定だったのです。……悪い話ではありません。私がヴェリトン公爵家にいて、そのまま成人しても、継げるものがありませんから」


 貴族の家は基本的には嫡男が何もかもを相続するものだ。次男三男は親から引き継げるものは何も無い。それでも公爵家ともなれば次男のヴィルヘルム兄様を分家させて新たな家を興させたが、三男であるルドワーズは家を興すなど許されなかっただろう。良くて伯爵家辺りに婿入り、下手をすると行く先が無くこの屋敷で部屋住み、神殿に神官として入ることになってしまったかもしれない。


「あの日、お父様お母様、そして私は帝都郊外の別邸に向かっていました。そこで養子入りのために先方の家族に引き渡される予定だったのです」


 いつの事を言っているかはすぐに分かった。私がルドワーズを助けて大女神様に魔力を授かったあの日だ。ルドワーズの言うことにはあの時、最後のお別れだからとお母様は初めてルドワーズを自分の隣に座らせたのだという。


 しかしあの事件で、別邸に行けなかったルドワーズは養子に行かず、その後私の事で色々大騒ぎをしている内に話は立ち消えになった。私を甘やかしている内に子供の可愛さに気が付いたお母様はルドワーズも直接可愛がるようになり、ルドワーズはお母様の愛情を受けられるようになった。


「私が今皇族でいられるのはニア姉様のおかげです。そして、私の魔力は姉様のおこぼれでしょう? 大魔力が評価されなければ私が皇帝候補になる事など絶対になかった」


 ルドワーズは満足そうに微笑むと、私の方を見た。穏やかな表情。その顔を見て、私の心がチカっと光った気がした。


「何もかも、ニア姉様のおかげです。ありがとうございます」


「……ルディ……」


「今度は、私がニア姉様を助ける番だと思ったんですけどね」


 ルドワーズの言葉を聞いて私は目が丸くなる。


「どういう意味?」


「姉様は皇妃に向いていないし、なりたくないんでしょう? 私はそれが分かっていたから、姉様がカトライズ殿下と結婚しないで済むように、皇帝候補に立候補して、姉様に求婚したのです」


 ルドワーズは、公爵家の三男坊でありカトライズ殿下よりも三つも年少の自分は皇帝にはなれないだろうと最初から踏んでいたのだそうだ。


「私と結婚すれば、姉様は望み通り皇妃にならずに済む筈でした」


 次期皇帝の有力候補となったルドワーズが、立候補を取り下げてカトライズ殿下の立太子を認める事と引き換えに、私を自分の妻にする事を認めさせるつもりだったのだという。


 皇帝陛下もお父様も、他の皇族も、当初はカトライズ殿下を圧倒的に推していた。なので、たとえ多くの貴族の支持を集めたとしても、ルドワーズの即位が認められる筈がない。


 しかし無視できない勢力となったルドワーズの矛は収めさせなければならない。そのために立候補の取り下げと引き換えに、私との結婚を認めるだろう、という計算がルドワーズにはあったのだそうだ。


「誤算は、思った以上に帝室への不満が高まってしまった事と、全ての選択が聖女に、ニア姉様に委ねられてしまった事でした」


 これではあまりに期待を集め過ぎた自分は皇帝候補を降りられないし、私も皇妃の座から逃れられない。


 ルドワーズは頭を下げた。


「すみませんでした。私の考えが甘かったです。姉様を、助けられなかった……」


 ルドワーズの口調は苦かった。彼は、自分のためではなく、本当に心底私の為に皇帝候補になってくれたのだろう。そのために、お母様が心配するくらいに頑張って、努力をしてくれたのだ。


「大好きなニア姉様を皇妃だとか聖女だとか、窮屈なところから解放して、一緒に仲良く伸び伸びと暮らしたかったんです」


 それは、私の望みでもあった。


「でも、私の力が足りずにそうなりませんでした。皇帝としての力量なら、確かにカトライズ殿下の方が上でしょう。姉様が皇妃になるのなら、殿下を選んだ方がいい」


 寂しそうな声でルドワーズは言う。それは皇帝候補としての敗北宣言であり、私との結婚を諦める、という意味に取れた。


「……それで、良いのですか?」


「……よくは、ありませんけど、仕方がありません」


 無念の想いの詰まったルドワーズの言葉。彼がどのような想いでこのセリフを絞り出したのか、涙を堪えて、それでも私のために笑ってくれているだという事が、私には分かっていた。私はルディの姉だから。子供の頃から一緒に遊びまくって、可愛がって、ずっとずっと大好きだったから分かるのだ。


 ルディだって人のことは言えないのだ。彼はいつも私には遠慮をする。一歩譲る。どんなにか自分がやりたい、欲しい事であっても、必ず私に譲ってくれる。姉である私はいつも気を付けて、彼が遠慮し過ぎないように気を付けねばならなかった。


 だから、最初から違和感があったのだ。あのルドワーズが欲望を剥き出しに、皇帝位と私の婚約者になるという野望を明らかにする事に、私は違和感を覚えていたのだ。あの心優しい、無邪気なルドワーズが、自分の意思と野望のためだけにそんな事をするわけがないと。


 実際、その通りだった。彼は私の為に帝位を望み、そして私の為に諦めようとしている。


 ……。


 ……ふざけんじゃ無いわよ!


 私は怒った。頭に血が登って魔力が全身を駆け巡ると同時に、胸の奥で何かが開いた。


「ルディ! 貴方、弟のくせに生意気よ!」


 私は叫びながら立ち上がった。ルドワーズはびっくりしていたわね。私は胸の奥から迸る衝動のまま更に叫ぶ。


「なんでもかんでも私のためって! 私を守るなんて! ルディのくせに! いつも私が守って助けてあげるルディのくせに! そんなの許せないわよ!」


 私はルディのお姉ちゃんなのだ。守るのは私の方だ。最初に、橋の上から飛び込んだ時から、ずっとそうだったじゃないの。ルディを助けるのが守るのが、私の役目なのだ。


 そう。ルドワーズが皇帝になるのなら、私が助けなければならない。姉である私が、間近から彼の統治を助けなければならないだろう。皇妃として。私は、私はルディを一生守り助け、支える定めなのだから……。


 そう思うと、私の胸に大きな力が一気に湧き上がってきた。色のない、しかし暖かく大きく、そして眩しいような力。愛の女神クインチャーミの魔力である。


 驚きは無かった。私がルディの事を好きなのは、愛してるのは当たり前の事だったから。私は立ち上がり、ルドワーズのところにツカツカと歩み寄り、がっしりと彼の頭を胸に抱き締めた。


「ルディの事は、私が守ります! お姉ちゃんに任せなさい!」


「ね、姉様?」


「私はルディの事も大好きなんだから!」


 ルドワーズの戸惑った様子が分かる。それはそうだろう。


 私だって自分の想いにびっくり仰天だったわよ。私はカトライズ殿下に懸想した筈だった。それが、ルドワーズの事も、どうやら同じように愛していると気が付いたのだ。心の中から無限に湧き出るクインチャーミの魔力が何よりの証拠だろう。


 私はルドワーズを抱き締め、その暖かさにこの上ない幸せを覚えていたのだけど、同時に、これはちょっと大変な事になってしまったぞ、とも思っていたのだった。

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