第十一話 混迷する事態

 私が十四歳になる年。新年の儀礼が終わってすぐに、私はまた混沌回復の任務の為に帝都を出発した。


 ……今回はカトライズ殿下が同行した。断り切れなかった。


 無理も無い事である。去年の秋くらいからルドワーズのせいで沸き起こった皇帝候補乱立騒動。あれのせいでカトライズ殿下にも実績が必要だ、という事になってしまったらしい。


 皇帝候補は結局、三名に事実上絞られていた。


 まず、ラルバイン次期公爵は推薦されたが直ぐに辞退した。ケティレイのお兄様であるサンミーデン様は、自分が皇帝になる気など全然無く、一族の都合で推薦は受け入れたものの、皇帝陛下と話し合って直ぐに辞退したのだ。それなら最初から推薦を受けなければ良いとも思うのだが、一族の推薦を断ったら一族の結束を割ってしまうし、推薦を皇帝陛下の要望で辞退した、という事になれば皇帝陛下とカトライズ殿下に貸しを作る事が出来るという計算もあるのだろう。


 ヤックリード次期公爵であるバラジーニ様。私の一つ下でルドワーズと同い年のこの方も辞退した。これはご本人の希望というよりは、お家の都合によるらしい。ヤックリード家には男子がバラジーニ様しかおらず、彼を皇帝にしてしまうとお家が続かなくなってしまうという事情があった。ヤックリード家は辞退と同時に、カトライズ殿下とイルコティアの結婚か、イルコティアを皇族に残すために皇族の誰かと結婚した上で公爵家を興させるよう引き換え条件を出したそうだ。


 ちなみにバラジーニ様はルドワーズと同い年なのだが、完全にまだ子供で、私と仲は悪くなかったものの私との結婚など全然考えてもいないようだったわね。まぁ、普通十二歳の男の子ならそうよね。ルドワーズがおかしいのだ。


 他にも可能性がある候補はラルバイン公爵家の男の子が二人いて、私のアルベルト兄様も可能性はあったのだけど、彼らは推薦の段階で拒否をした。なので結局、皇帝候補は三人、つまりカトライズ殿下、ヴィルヘルム兄様、ルドワーズに絞られていたのだった。


 この中で最有力候補はもちろんカトライズ殿下だった。去年までは完全に事実上の皇太子だったのだから当たり前だけど。


 皇族の中でも、ラルバイン公爵家、ヤックリード公爵家が推しているし、ヴェリトン公爵家だって本当はカトライズ殿下を推している。ヴィルヘルム兄様とルドワーズの実家なのに、二人を推薦していないのだ。この状況なら本来は、カトライズ殿下は皇族会議で問題無く推薦され皇帝になれる筈なのよね。


 ところが、公爵家以外の侯爵以下の貴族達の支持が意外にカトライズ殿下に集まっていなかったのだ。


 理由はカトライズ殿下に何の実績も無いからだった。いや、殿下も成人されてから皇帝陛下の命で政務に携わっていて、無難な成果を残されているのよ? でも、それはあまりにも帝国の中央での地味な政務に偏っていて目立たなかったのだ。


 それに比べて、帝国各地を混沌回復の為に聖女と巡り、多くの魔物を屠ってその土地を絶望させていた混沌を回復させてくれているヴィルヘルム兄様。


 大女神の強い加護を持つ魔力を輝かせ、多くの土地で魔力を注いで土地を元気にしているルドワーズ。


 それに比べればカトライズ殿下の実績は確かに見劣りする。まぁ、中央での政務も大事なんだけど、自分の領地を直接助けてくれたヴィルヘルム兄様やルドワーズの方を、貴族達が支持するのはある意味当たり前ではある。


 特に不毛の地どころか魔物が湧き出す災厄の地であった混沌を払ってくれたヴィルヘルム兄様へ集まる支持は絶大だった。ついでに言えばそもそも混沌を回復させる力を持つ聖女への評価は高まるばかりで、フェレミネーヤに捧げる神殿がここ数年で倍に増えているというのだからあの性悪女神の企み通りなんでしょうね。


 自分を皇帝にと望む貴族達の熱い支持にヴィルヘルム兄様はもの凄く困っていた。兄様はカトライズ殿下の親友で、殿下が皇帝に相応しいと信じていたので。


 だけど、ヴィルヘルム兄様を支持している人がこれほど多いという事は、逆に言うとカトライズ殿下、ひいては皇帝陛下への不満を持っている貴族がこんなに多いのだという事でもあるのだ。これは結構深刻な事だった。


 この二十年くらい、帝国の皇族、貴族の魔力は減る一方だった。血が薄まっているという事の他に、神々への信仰心が薄れているからでは無いかと言われている。お陰で貴族達は土地に魔力を満たすことが出来ず、混沌に自分の領地を喰われてしまっていた。しかし一方、帝室や皇族は高い魔力を維持していたから、直轄地や公爵領は魔力不足にギリギリ悩まないで済んでいた(それでも近年は魔物の発生が増えているんだけど)。一見するとこれは不公平に見える。


 皇帝陛下と皇族は自分たちの土地にばかり魔力を注いで、帝国全土の事、貴族領の事を蔑ろにしているのではないか? そういう不満が貴族の間には渦巻いていたらしい。実際には皇帝陛下は一生懸命「帝国の根本」に魔力を注いでいて、余裕が無くなったために直轄地の収穫も下がり続けていた。ルドワーズが最初に直轄地で魔力奉納していたのはそういう事情による。


 しかし、ヴィルヘルム兄様と私が直接混沌を回復させているのに比べれば、皇帝陛下の尽力は分かり難い。この貴族達の不満が今回の騒動で、ヴィルヘルム兄様とルドワーズへの支持拡大に繋がっていたのである。


 この不満が理解出来たヴィルヘルム兄様は、その不満を持った貴族達をまとめ、穏便な形でカトライズ殿下が即位した時に忠誠を誓わせようと考えた。それで即座に辞退はせず、自分を推薦した貴族達と話し合って段々とカトライズ殿下の魅力を分かってもらい、殿下を支持してもらおうとしたのだった。そのため、お父様お母様にも、皇帝陛下にも、もちろんカトライズ殿下にもその旨を伝えて、自分は皇帝になどならないと断言していたわね。


 もちろん私にも「私は皇帝にはならないから、ニアとは結婚しないからな」と言っていたわよね。


 正直に言ってヴィルヘルム兄様の気持ちは良く分かったのだけど、私としては自分は皇妃になりたくないし、カトライズ殿下と結婚する事の問題の多さも考えると、ヴィルヘルム兄様が皇帝にならないのならむしろ兄様と結婚したかったのよね。でもヴィルヘルム兄様は「ニアはカティと結婚して皇妃になるべきだ」と思い込んでいるみたいだった。


 で、このような状況になってしまった以上、カトライズ殿下にも目立つ実績が必要だろう、という話になるのは避け難かった。そしてカトライズ殿下が熱望した結果、遂に殿下の混沌回復任務への参加が決定したのだった。これには正直、私もヴィルヘルム兄様も困ったわよね。


 一応はね。ヴィルヘルム兄様も私も反対はしたわよ。でもカトライズ殿下に実績が必要になってしまったのは確かだったし、これまでのようにきつくお断りは出来なかった。結局は不安を感じながらも殿下の動向を承知するしか無かったのだ。


 カトライズ殿下は張り切っていたわよ? 事前の作戦会議にも積極的に出て、混沌に入ってからの戦い方や陣形を訓練場で何度も確認していた。


 そして意気揚々と帝都を出発して……。一日目の宿で不安は的中した。


 帝都からはまだ遠くない街なので、ちゃんとした宿に泊まれたのよ? でも、殿下はその宿屋を見て呆然としていたわよね。


「こ、ここに泊まるのか?」


 外観を見て愕然、狭いお部屋を見て呆然といった具合だったわね。一応は殿下をお世話するための従卒が一人だけ付いていたのだけど、その従卒も悲鳴を上げていた。


「お、お風呂も無いのですか? え?この粗末なベッドに殿下を寝かせると? 正気ですか?」


 しかし私もヴィルヘルム兄様も、同行した騎士達も普通の顔で宿泊の準備を始めるのを見て、殿下も従卒もこれが冗談でも何でも無い、普通の事であると理解してはくれたようだ。


 まぁ、ね。混沌回復任務を最初に授かった時には、ヴィルヘルム兄様も騎士達も侍女のピアリーニもビックリはしていたけどね。みんなお貴族様だから。でも、元々ヴィルヘルム兄様は外遊びで汚れるのを厭わない人だったし好奇心旺盛だ。騎士達もヴィルヘルム兄様の友達で活動的な人が多かった。なので直ぐに慣れたんだけど。


 私? 私は元々平民だもの。こんな立派なお部屋に泊まれるなら文句はないわよね。


 食事もパンとスープと芋は宿で出してもらい、持って来たハムをそれに加えての貴族基準ではあり得ないほど粗末な食事をザワザワした食堂で食べる。カトライズ殿下には何もかも初めての経験だっただろうね。ビクビクしていた。私もヴィルヘルム兄様も、いつもなら帝都から出てお作法から解放された開放感からビールとか呑むところなんだけど、殿下の手前自重して大人しくしていたわね。


 翌朝、カトライズ殿下は全然寝られていないようなお顔をしていたわ。仕方なく私は提案して、殿下に私の馬車に乗るよう勧めた。殿下は騎士枠だったので本来は騎乗だったんだけど。


 馬車は小さくて私とピアリーニが乗るのでギリギリ(他は荷物)だったから、私が降りて殿下の馬に乗るしかないんだけどね。ピアリーニは馬に乗れないから。殿下は嫌がったけど、騎乗中に寝てしまって落馬されても困るから、私は無理矢理殿下を馬車に押し込んだ。同乗を余儀なくされたピアリーニが言うには悪路で乗り心地が最悪だったから、殿下はろくろく寝られなかったみたいだけど(私はいつもグースカ寝ている)。


 その日は宿のある街に辿り着けず、野宿になった。ちゃんと水場は確認してあったし、食料も持ってきているから問題は無い。のだけど、カトライズ殿下は野宿と聞いてまたしても愕然としていたわよね。


「こ、こんな所に泊まるというのか? 野獣や魔物が出たらどうするのだ」


「もちろん、交代で警戒するんですよ」


 この場合、私も輪番に混ざり起きて警戒するのが通例だった。その方がみんな長く寝られるしね。

 

「カティはお疲れだから寝てても良いですよ」


「き、君も参加するというのに私だけ抜けられぬ! 私も警戒する!」


 というので、カトライズ殿下にも警戒の輪番に加わってもらったけど、ほとんど寝られない上に慣れない屋外での警戒で、殿下はヘロヘロになってしまっていた。


 結局、混沌の場所まで十日掛かったのだけど、カトライズ殿下はそれだけで消耗してしまい。混沌に突入する直前の町で話し合った結果、殿下には町で留守番をして貰うことにした。どう考えても戦える状態では無かったから。


 カトライズ殿下はどうしても自分も戦うと抵抗したけど、こんな状態の殿下を戦いに出して万が一の事があっても困るだろう。殿下は悔し涙を流しながらも最終的には留守番を承知した。


 混沌自体はそれほど大きくなかったので、無事に回復には成功し、私達はそこの領主である伯爵に現地屋敷に招待されて感謝されたのだけど、カトライズ殿下は落ち込んでしまって感謝の宴にも出られない有様だったわよね。


 結局、混沌の回復には成功したものの、カトライズ殿下に実績を積ませる事には失敗してしまった。嘘でも殿下の手柄にしても良かったのだけど、殿下自身が拒否したし、それに既に噂でカトライズ殿下が役に立てなかった事は知られてしまっていたのだ。ああいう噂は一体どこから漏れてしまうものなのかしらね。


 旅や野営は経験を積めば慣れるものだから、カトライズ殿下も何度か経験すれば慣れる事は出来たと思うのよね。でも、殿下も忙しい身でそう何度も旅に出る訳にはいかない。結局、適材適所なので混沌回復は私とヴィルヘルム兄様に任せ、カトライズ殿下には他の実績を積んでもらおうという事になったのだった。


  ◇◇◇


 一方、ルドワーズは完全に皇帝候補としての地歩を固めつつあった。


 ルドワーズはけして無理はしなかった。彼も公爵家のお坊ちゃまであるので、町の宿に泊まったり野営をしたりというのは無理だっただろう。


 なので魔力奉納に向かう場合、相手先に必ず泊まる場所を準備させた。具体的には道中にある貴族の現地屋敷に泊めてもらえるように手配したのだ。そして立派な乗り心地の良い馬車を用意させ、自分の世話をする侍従や護衛も引き連れた。


 私たち混沌回復チームにこれが出来なかったのは、迅速性を重視したために予定が立たなかったからである。その日に現地の領地屋敷に「泊めてくれ」と頼むのは非常識だし無理に決まっている。それに、屋敷で歓待などされたら見返りが大変だ。


 ルドワーズの場合は泊めてくれた領地でも気前良く魔力を奉納して、そこの領主に感謝されたらしい。それが彼への支持者をまた増やすという無駄の無さだ。そうやってのんびり旅をして現地に向かい、そこの領地を巡って魔力を何回も奉納し、そしてまたゆるゆると帰ってくる。


 かなり魔力を使う筈だけど、ルドワーズの魔力は本当に多いし、混沌回復に比べれば魔力奉納は一気に使い切る訳ではないから、移動中に少しずつ回復もする。その辺も抜かりなく無理の無い計画をルドワーズは立てていたようだ。


 彼はまだ子供であるので、仕事が無い。社交も義務では無い。その余裕を魔力奉納の旅に充てているのである。そして帝都に帰るとお父様お母様の社交に付いて出て、独自に貴族達と交流するのである。


 既に子供とは思えぬ存在感を発揮するルドワーズは、帝国貴族界ではすっかり皇帝候補として認められているようだった。私やお母様についこの間まで甘えていた子とは信じられない。背もぐんぐん伸びているし所作にも落ち着きがある。ちなみに、帝都にいる時は色んな教育を受けているのだけど、教師の方が驚くくらい熱心に勉強して優秀らしい。


 既にルドワーズの支持者である大貴族は二桁では効かないというのだから、なんとも凄まじい話である。それだけ貴族達の魔力不足が深刻だったという事だろうし、皇帝陛下と帝室に対する隠れた不満も大きかったのだろう。


 ルドワーズはお父様にも自分を皇帝に推薦してくれるように頼んでいるようだったが、それはお父様としては聞けない相談だった。お父様は皇帝陛下の最側近だし、お母様は皇帝陛下の妹だ。皇帝陛下がカトライズ殿下に皇位を継がせる事をお望みならそれに従うのが当たり前だ。


 それにヴィルヘルム兄様も皇帝候補という事になっている。どちらかを推してしまえば贔屓になるだろう。


 しかしルドワーズはニコニコと笑いながら言うのだ。


「私が皇帝に。エルファニア姉様が皇妃に、アルベルト兄様はヴェリトン公爵に。ヴィルヘルム兄様を新たに公爵にすれば、我が家の一族で帝国を牛耳れるではありませんか」


 トンデモない意見にお父様は真っ赤になって怒ったわよね。


「馬鹿な事を言うでない! そのような事は許されぬ!」


「帝室は貴族からの支持を失っているではありませんか。私とヴィル兄様の支持者を合わせると、カトライズ殿下を推す貴族よりも多いのですよ? 帝室よりヴェリトン公爵家を推している家が多いのだと言い換えることも出来ます」


 お父様はバケモノでも見るかのような目でルドワーズを見ていたわよね。確かに子供の言うような事では無い。ルドワーズはしかし子供らしいキラキラした瞳でこう続ける。


「別に帝室を滅ぼそうという訳ではないのですから良いではありませんか。皇族の男子に等しく皇位継承権が与えられているのは、貴族の支持を失った皇帝と帝室に代わって帝国を治める為なのですから、正常な事なのです」


 そして怒りを隠さないヴィルヘルム兄様にも言う。


「ヴィル兄様も皇帝候補を辞退して、支持者に私を支持するように言って下さい。ヴィル兄様の支持者は帝室に不満がある方なのですから、兄様の代わりにカトライズ殿下を支持しろと言っても聞きませんよ。でも、私なら支持してくれるでしょう」


「ふざけるな! 皇帝に相応しいのはカティだ! お前じゃない!」


 しかし、ルドワーズの言う通り、ヴィルヘルム兄様の支持者達は皇帝陛下とカトライズ殿下に不満を持つ方々で、ヴィルヘルム兄様の思惑を外れて同じように反皇帝派の面々をドンドン取り込んでしまっているらしい。そのせいで兄様は皇帝候補を辞退しようにも出来なくなってしまったのだった。無理に辞退すれば彼らは雪崩を打って最後の対抗馬、ルドワーズを支持するようになるだろう。


 帝国の上位貴族の過半数がルドワーズを支持すれば、カトライズ殿下は勝てない。皇族会議は貴族とは関わりの無い所に存在すると言っても、大貴族の支持を失ったら帝国は維持出来ないのだから。これを無視して皇族会議がカトライズ殿下を皇帝にしたら、多くの貴族が帝国から離反する可能性がある。


 これを防ぐためにルドワーズよりも強い支持を得ているヴィルヘルム兄様が皇帝候補を降りられなくなってしまっていたのである。ヴィルヘルム兄様はカトライズ殿下と支持者の板挟みになって苦悩していた。そしてルドワーズに向けてもの凄く怒っていた。


 大事な兄弟であるヴィルヘルム兄様とルドワーズが喧嘩するところなど見たくない私は、何度かルドワーズを説得しようと試みた。


 しかしルドワーズの答えはいつも同じだった。


「私は姉様と結婚出来るなら、皇帝候補を降りても良いですよ。でも、姉様と結婚するには皇帝になるしかないですから」


 ……一応は、私はルドワーズのこの見解を、お父様お母様、皇帝陛下、そしてカトライズ殿下にはお伝えしてみた。


 お父様お母様はうーん、と考え込まれてしまい、皇帝陛下は苦い顔をして、カトライズ殿下は激怒した。お父様お母様はそれで丸く収まるなら私とルドワーズを結婚させても良いとお考えではあるようだ。


「しかし、ルドワーズの支持者はどうなる」


 お父様が言う通り、ルドワーズが焚き付けてしまった支持者は、ルドワーズが次期皇帝の座から降りるなどもう承知すまい。彼らは借りた魔力と引き換えにしたとは言え、ルドワーズを支持して皇帝陛下の考えに異を唱えてしまったのだ。後には引けまい。


 皇帝陛下はこうも言った。


「聖女エルファニアと結婚した者こそ皇帝なるべし、という意見で貴族達の意見はほとんど統一されている。ニアがルドワーズと結婚したらルドワーズこそ皇帝に相応しいという事になってしまうだろう」


 もちろんカトライズ殿下も私と結婚して皇帝になる! という意見だった。つまり、ルドワーズと結婚して皇妃の座から逃れるのは無理だ、という話なのね。


 そして、この私と結婚した者が皇帝になる、という話は貴族界、特にご令嬢の間に変な形で広がってしまっていた。ある時アイマリーが言った。


「ニアがヴィルヘルム様かルドワーズと結婚して、カトライズ殿下はイルコティア様と結婚して公爵家を興す、という話が出ているわ」


 それは、兄様かルディが皇帝になれば、カトライズ殿下は間違い無く公爵になるだろうけど、そんな話はカトライズ殿下にしない方が良いわよ?


「この話を聞いてイルコティア様が凄く喜んでいるそうよ」


 はい? 詳しく話を聞くと、ヤックリード公爵家としてはカトライズ殿下が公爵になってイルコティアと結婚するのなら、それでも良いかという意見になっているらしい。


 まずイルコティアはカトライズ殿下の事が真剣に好きらしい。なので、皇妃になれなくてもカトライズ殿下と結婚出来れば満足なのだとか。それはまた意外と純愛だったらしい。適当な結婚相手がカトライズ殿下しかいないという事情ももちろんあるのだろうけど。


 そしてヤックリード公爵家としては、私がカトライズ殿下と結婚し、今や名声高いヴィルヘルム兄様とルドワーズが二人して公爵になり、皇族が完全にヴェリトン公爵家系で占められるよりは、ヴィル兄様かルディを皇帝にして私を皇妃にする代わりに、皇帝になれなかった方は公爵にせず臣下に落とし、カトライズ殿下を公爵にした方が、皇族のバランスを考えると良いと考えているらしい。確かにそうなれば、カトライズ殿下は反皇帝でヤックリード公爵家に近い公爵になるだろうからね。


 その話のためか、イルコティアが社交で私に見違えるように優しく接してくれるようになったのだった。イルコティアは成人したので子供の集まりには来なくて良くなったのに。しばしば私の所に来て歓談するようになったのだ。


 その内容は「自分が如何にカトライズ殿下の事が好きか」であり、その馴れそめから交流から、殿下のためにどんなに自分が頑張ったかを詳細に語ってくれたわね。年上のお姉さんののろけ話を延々と聞かされ続けて。私はちょっとげっそりしてしまった。


 これはあれだ。つまりイルコティアは「自分はこんなにカトライズ殿下の事が好きなのだから、私に譲ってくれ」と言っているのだわね。確かに、私はイルコティアほどカトライズ殿下の事が好きではないし、他に候補が二人もいる。あんなに殿下の事が好きなイルコティアに殿下を譲ってあげるのは吝かではないんだけど。


 しかしカトライズ殿下は私を他に譲る気は無さそうだった。そして皇帝の座も。


 混沌回復にこそ失敗したけど、近隣の領地への魔力奉納をルドワーズと競うようにやり、皇帝陛下の政務を大きく代行し、騎士や軍を閲兵したり、帝都の平民にお顔を見せたりして、必死に実績を積み上げていた。しかしそれでもヴィルヘルム兄様やルドワーズに比べれば見劣りしたし、今出来るならもっと前からやるべきだった、などと無責任な非難を浴びてしまう結果にもなった。


 カトライズ殿下はルドワーズのことを強く恨んでいるようだったわね。それはそうよね。ルディがいきなり皇帝候補に名乗りを上げなければ、カトライズ殿下は普通に皇帝になれる所だったのだから。


「ヴィルに負けるなら兎も角、ルドワーズには君も帝位も譲らない!」


 と言っていたわね。逆に言うと、ヴィルヘルム兄様になら負けても仕方が無い、と思ってはいるようだった。混沌回復の時に同行して、ヴィルヘルム兄様の頑張りと指導力、強さ、そして私と非常に息が合っている所を見たかららしい。やっぱり親友だけにお互いに認め合っているというのもあるのだろう。


 そうなると、私はヴィルヘルム兄様と結婚した方が、色々平和に収まる可能性が出て来た。ルドワーズは納得しないかもしれないけどね。


 こんな感じで事態は混迷を深めていったわけだけど、私は特に何もしていなかった。というか、下手に動けなかったのだ。私が誰かに肩入れしたら、一気にその人が皇帝候補として祭り上げられそうな気配だったから。


 それに私は相変わらず恋愛事は良く分からなかったしね。


 その年も何回か混沌回復の旅に出て、ヴィルヘルム兄様と一緒に混沌で魔物と戦った。そうすると私とヴィルヘルム兄様の名声が上がってしまうので困ったのだけど、今更どうにもならない事ではあったのよね。


 で、その夏の終わり、旅先でその事件は起きたのだった。

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