第十話 聖女と皇帝候補たち

 アルベルト兄様の婚約者は、ラルバイン公爵家第一姫であるケティレイだった。年齢は私よりも四歳上で十七歳。アルベルト兄様の一つ下だった。


 青み掛かった金髪の美人で、アルベルト兄様とは凄くお似合いだった。この時はもう半年後には結婚式の予定だったわね。


 この頃には私はすっかりケティレイに懐いて、彼女も私を可愛がってくれて、すっかり仲良しだったのだけど、私が養女となり聖女となった頃はそうでは無かったのだ。


 何しろ聖女である私はヴェリトン公爵家三兄弟の誰かと結婚すると噂されていて、次期公爵であるアルベルトお兄様が実は第一候補だったのだ。例によって魔力を帝室に入れる関係上。


 なので既にアルベルト兄様の婚約者であり、兄様の事が子供の頃から大好きだったというケティレイは婚約が解消されるのではないかと気が気ではなく、私を恋敵と見做して物凄く当たりがキツかったのである。


 しかしそれはアルベルト兄様が婚約を解消しないと明言し、誠実にケティレイの心を宥めた事で解消し、ケティレイはようやく落ち着いて、私を義理の妹として可愛がってくれるようになったのだった。


 一度仲良くなってしまえばケティお姉様は何しろ公爵家の第一姫であるので、帝室皇族について物凄く詳しく、お作法や儀礼について詳しく教えてくれた。他にも帝宮のお庭の穴場とか、帝宮の中でこっそり隠れられるお部屋であるとか、お姫様経験豊富な彼女ならではの事も教えてくれたわね。けっこう茶目っ気のある人だったのだ。


 そのケティレイと一緒にお屋敷でお茶をしている時の事だった。彼女は細い指でカップを持ち上げると私に質問をした。


「ヴィルヘルム様と結婚する気は無いの? ニア」


 私はちょっと驚いた。


 段々と私も結婚の話をすることが増えていた。もう秋で、そろそろ年も終わりに近い。私は来年の春には名目上十四歳になる。とすると、来年の冬には成人の儀式を行い大人になるのだ。


 アイマリーが既に婚約に向けて動いている事から分かる通り、貴族令嬢は成人前のこの時期から動き出し、婚約して成人直後には結婚する事が多いのである。ケティレイは十七歳で結婚は十八歳での予定だが、これは遅い方だ。公爵家同士の結婚は準備が大変だし、ましてアルベルト兄様は次期公爵だ。既に政治に大いに関わっていて忙しく結婚式が中々挙げられなかったのである。


 なのでまだ十三歳の私に結婚についての話題が増えるのは仕方が無いことだった。なにしろ、貴族令嬢にとって結婚は重大事で、まして私は聖女でその巨大な魔力がどの家に継承される事になるかは注目の的だったのだ。


 しかし、カトライズ殿下がもうこの頃にはあからさまに、声高に私と結婚するのだと言い張っており、それは私の耳にも届いていた。そうなると、何しろ二百年前の聖女は平民の巫女から皇妃になっているし、魔力を役立てるのなら確かに私は帝室に嫁いだ方が良い。


 皇帝陛下と我が家のお話し合いもかなり進んでいるらしく、ニアが嫌がらないのなら私を皇妃として嫁がせよう、という話にもなってきていたらしい。


 なので、私の周囲は私がカトライズ殿下と結婚するのだという前提で動き出しており、私に結婚の話を振る場合は「カトライズ殿下と結婚するとしたら」というような話になるのが常だったのだ。だからケティレイが私の結婚相手としてヴィルヘルム兄様を上げたのが意外だったのだ。


「ヴィルヘルム兄様とですか?」


「そう。ニアはヴィルと結婚するのが一番幸せだと思うのよね」


 ケティレイは元々ざっくばらんな言い方をする女性だけど、この時は思い切りぶっちゃけた言い方をした。


「どうしてそう思うんですか?」


「だって、カトライズ殿下が相手だと、貴女には敵が増えすぎるもの。イルコティアやヤックリード公爵家一族はずっと貴女を敵視する事になるわよ。あれ」


 ケティレイはラルバイン公爵家の方だ。帝国の三大公爵家は協力関係にあり、ライバルでもあるという微妙な関係である。そのため、ケティレイは他の公爵家の動向について気を配っており、非常に詳しい。


「このままだとイルコティアの扱いが宙に浮いてしまうのよね。私のサンミーデン兄様はもう婚約して結婚寸前。アルベルト様は私ともう結婚するでしょう? そうすると、公爵家第一姫に相応しい身分の結婚相手がもういないのよ」


 公爵家の第一姫ともなれば、輿入れ先は帝室か他の公爵家しかあり得ないのだそうだ。なので、ラルバイン公爵家の第一姫であるケティレイ姉様の輿入れ先は年齢的な意味合いもあってアルベルト兄様しかいなかった。そのため、私と兄様の婚約が噂されたときには、自分の輿入れ先が無くなると非常に恐怖して情緒不安定になった程だったそうだ。


 同じように、イルコティアの結婚相手はどう考えてもカトライズ殿下しかおらず、殿下を逃すとイルコティアは結婚出来なくなってしまうかも知れないという。


「次善の策として、ヴィルヘルム様とイルコティアを結婚させて、新たに公爵家を興すという方法もあるんだけど、公爵家を四つにするのは大変な事よ? 果たして認められるかどうか」


 イルコティアを侯爵家に降嫁させるなどという事になると、イルコティアとヤックリード公爵家の面目は丸つぶれになってしまう。それはそれは私とヴェリトン公爵家が恨まれる事になるだろうとのこと。そうなると困るのは次期ヴェリトン公妃に内定しているケティレイだという事になるらしい。


 なのでケティレイは次代の帝国貴族界の平和のためには、私はカトライズ殿下と結婚せず、ヴィルヘルム兄様と結婚して、新たに公爵家を興す事を考えて欲しいとの事だった。聖女と功績著しい兄様が結婚するなら、非常に難しいとされる新たな公爵家を興すことも恐らく認められるだろうという。


「本当はね、ヴィルを皇帝にして貴女を皇妃にしてしまえば良いと思うんだけど、それはあまりにカトライズ殿下が可哀想だしね」


 そんな事になればカトライズ殿下は想い人の他、ほとんど約束されていた帝位すら奪われてしまう事になる。流石にそれはカトライズ殿下が承知しないだろう。


「まぁ、カトライズ殿下は貴女に執着しているけど、そこは皇族の責任で貴族界の平和と均衡を優先して欲しいものだわ。個人の感情より帝国の安寧を優先すべきでしょう? 皇帝になろうというのなら」


 ケティレイの意見はかなり自己中心的な判断が混ざっているけど、言っていることには一理ある。


 皇族は自己都合よりも帝国の未来のことを考えて動くべし、というのはきれい事では無く皇族に課せられた義務のようなものだ。それは臣下である侯爵以下の貴族に帝国のための働きを強制する権利を持っているのだから、皇族自身には一層の滅私奉公が求められるのは当然よね。私でもそれはそうだと思う。その精神がなかったら貴族の誰も皇族を敬い、言うことを聞いてくれることは無いだろう。


 私も皇族の端くれなのだから、その意識は自然に持っていた。まして私は平民の身から皇族の仲間入りしたのだ、一層の国家への献身が求められるだろう。


 そういう考えから言えば、私もカトライズ殿下もヴェルヘルムお兄様も、自分の結婚相手を自分の希望で決めてはならないと思う。帝国にとって最善の相手と結婚するべきなのだ。


 ただねぇ。私はフェレミネーヤ神が私に「皇妃になって隣を滅ぼせ」と言ったのを忘れていない。帝国はフェレミネーヤ神のご意志の元存在しているのだ、という考えがあるので、そう言う意味では私は聖女として大女神様の命令を実現するために皇妃にならなければならない、という事になちゃうだろう。


 同時に、隣国に戦争を仕掛けるなんて、貴族も民も迷惑するだろう事で、誰も喜ばないと思う。そういう意味では私は皇妃になんてならない方がいい。というか、人を脅すような性悪女神の言うなりになるなんて私が絶対に嫌。


 私としては、ケティレイの意見は傾聴に値すると思ったわよね。確かに私はヴィルヘルム兄様と結婚するのが貴族社会に一番波風を立てないと思えたのだ。


 それに私はヴィルヘルム兄様とは気が合う。趣味が合う、二人とも帝都の社交界があまり好きではなく、田舎を旅するのが苦にならず、混沌回復で地方に行くと羽が伸ばせて二人してのびのび出来たのだ。


 もしヴィルヘルム兄様と結婚すれば、私と兄様はずっとそうして地方の混沌を回復する任務に携わって旅をし続ける事になると思うのよね。確かに帝国の根本に魔力を注ぐのは大事だろうけど、既に混沌に陥ってしまっている土地を癒すのも大事だ。その意味では私はヴィルヘルム兄様と結婚しても十分帝国の役に立てる事になる。それにそうすれば大女神様の危険な野望も挫けるしね。


 ただ、ヴィルヘルム兄様は私とは結婚する気がないと、お父様お母様には言っているらしい。カトライズ殿下に気を遣っているのだろうという。兄様と殿下は仲良いしね。私に直接言わないのは、そもそもそんなことは妹に言う事では無いからだろう。


 そんな感じで、この頃の私の結婚相手はカトライズ殿下とヴィルヘルム兄様に絞られて来ていたらしいのだけど、そこへ待ったを掛ける相手がこの頃いきなり現れたのだった。


 そして全てをめちゃくちゃにしてくれたのである。


 誰あろう、私の最愛の弟、ルドワーズである。


  ◇◇◇


 実はルドワーズは私が養女入りした当時から私に大いに懐いていて、私もルディが大好きだったのだけど、その頃からお父様お母様に「僕が姉様と結婚する!」と主張していたらしい。


 当然、まだ小さな子供だったので、両親共に真面目には受け取らなかったそうなんだけど、ルドワーズはことある毎に生真面目に何度も私と結婚する意思を示し続けていたのだそうだ。


 もちろん私にも「僕が姉様と結婚するんだ!」と言ってくれていたわよ。はっきりしたプロポーズをくれたのはルディが最初じゃなかったかしら? まぁ、カトライズ殿下がプロポーズなんかしたら冗談では済まなくなってしまうからね。


 まぁ、弟からプロポーズされてもお姉ちゃんは真面目には受け取らないわよね。私はルディを抱きしめて「ありがとう! お姉ちゃんもルディが大好きよ!」なんて言ってたわ。可愛いルディの事は本当に偽り無く大好きだったから。


 そしてこの年、ルドワーズは十一歳。急速に背が伸び始め、天使のような相貌はだんだん怜悧な美少年の雰囲気を醸し出すようになっていた。しかし実はルドワーズはその遙か以前から、本気で私と結婚するために動き出していたのだった。


 ルドワーズはおそらくだけど、溺れ死に掛けたあの時にフェレミネーヤ神に魔力を分けられた。そのため黄緑色の巨大な魔力を持っていたのだった。帝室の長男であるカトライズ殿下に匹敵する上に、フェレミネーヤ神の強い加護があるその魔力には、皇帝陛下も注目していたらしい。


 公爵家の三男であるルドワーズは、おそらく侯爵家の婿に入る事になるだろうと予測されていた。しかし、こんな大魔力を持つ者を侯爵にするのは惜しいと陛下は考えたようだ。公爵家の誰か、出来ればヤックリード公爵家の誰かと結婚させて、新たな公爵家を起こせないかと考えておられたらしい。


 そうすればヤックリード家とヴェリトン家の関係改善が出来るだろうという考えもあっただろうね。ただ、公爵家を増やすとなると大変なので、ルドワーズが何らかの大きな功績が必要となるところだったろうけど。


 我が家としても息子が新たな公爵家を興せるとなれば名誉な事だし、ヤックリード公爵家との関係改善もしたい。お父様お母様も前向きに考えていたその頃、当時十歳だったルドワーズが両親にこう訴えたのだそうだ。


「私も魔力を使って帝国のお役に立ちたいのです」


 まだ小さな子供だったルドワーズの健気な訴えに、両親は驚き、喜んだ。


 ルドワーズは大きな魔力があるとはいえ、私と違って聖女認定されている訳ではないので、混沌回復の任務には出せない。未成年だし騎士じゃ無いからね。なので、両親と皇帝陛下がルドワーズのお願いを叶えるべく話し合った結果、帝都周辺の魔力が足りない地域に魔力を捧げる役目を与える事になったのだそうだ。


 皇帝陛下が命ずる形ではなく、両親が勧めるという形になったのは、未成年に皇帝陛下が任務を与えるのは無理だったからだ。それに、いくら魔力があるとは言えどれほどの事が出来るかと思われたせいもあるだろう。子供が張り切っているからやらせてみよう。くらいの軽い気持ちだったのだと思われる。


 で、これにはアルベルト兄様が同行したそうだ。アルベルト兄様は次期公爵として、帝都周辺の皇帝直轄地域の管理を任されている。その見回り任務にルドワーズがくっ付いて行く形にしたのである。


 アルベルト兄様にしても可愛い末弟が張り切っているなら協力してあげよう、くらいの微笑ましい気分で同行を承知したのだけど、ルドワーズはいたって真面目な表情だったらしい。


 そして直轄地の神殿に行き、魔力を捧げて回ったのだけど、これはアルベルト兄様が驚くくらい堂々とした儀式だったそうだ。後で聞いたところによれば、ルドワーズは魔力の扱いや儀式についての授業を極めて真面目に受けていた他、難しい本を読んで魔力について独自に勉強もしていたそうだ。


 そうして魔力が奉納された土地には即座に良い影響が現れたらしい。緑の魔力は農地に捧げると、作物の病気を癒やし収穫量を増やす効果がある。ちなみに、赤い魔力は地力を上げ地を肥やし、青い魔力は作物の早く確実な成長を促す効果がある。


 これを見て農民達は喜び、ルドワーズに感謝した。同時にその土地を預かっている代官の下位貴族も大喜びしたらしい。収穫が上がれば皇帝陛下に褒められるし自分の収入も増えるからである。


 代官達は収穫が増える見込みであることを直轄領を管理する大臣を通じて皇帝陛下に報告したし、アルベルト兄様も皇帝陛下に直接報告した。


 そしてこの報告を重視した皇帝陛下は、未成年であるにも関わらず、ルドワーズと謁見して感謝のお言葉と褒美を下さったそうだ。これは私が混沌回復に出向いていた時に行われたので私は知らなかった。


 未成年が皇帝陛下から直接褒美を頂くというのは極めて稀な事で、これはルドワーズにとって重要な誉となった。お父様お母様も可愛がっているとはいえ、あまり将来に期待していない三男の得た栄誉に大喜びしたそうだ。


 皇帝陛下にその実績を認められたルドワーズは、アルベルト兄様が直轄地や軍事拠点などに出張する時に付いて行き、その周辺で魔力を大地に捧げて回ったそうだ。その場合は必ずしも直轄地に拘らず、貴族の所領であっても関係無く魔力を奉納した。


 近年魔力が不足気味な領主達にとって、大魔力を持つルドワーズが魔力を奉納してくれるのは大変有り難かったそうで、何人もの貴族がお屋敷に来たり夜会の場でルドワーズにお礼を言いに来たのだった。


 そうしてルドワーズの名声は、ほとんどの人が気が付かないうちに段々と高まっていった。まだ十一歳の子供であるにも関わらず、ルドワーズが夜会に出るとお父様お母様とは別に、彼個人にちゃんと領主貴族が挨拶に来るようになったのである。


 これには次回もよろしく、というお願いが込められているのは言うまでもない。立派な高位貴族が頭を下げに来るルドワーズは注目を集め、大きな魔力を持っていてそれをいろんなところに奉納している事も知れ渡るようになる。すると、それがまたルドワーズに魔力を借りたいという大貴族を呼び込む事になった。


 これには、大人の貴族に魔力を借りるのは大変(成人すると当然だが自分の家や任務のために魔力を使わなければならず、他家のために使っている場合ではない)だけど、子供であるルドワーズには比較的頼み易かったという事情がある。既にヴェリトン公爵家以外にも魔力を使っている(子供であるルドワーズの魔力をヴェリトン公爵家は当てにしていなかった)という実績もあるから、より依頼し易かっただろう。


 こうなるとルドワーズは依頼してきた領主貴族から護衛も送り迎えもしてもらって、堂々と帝都を出て魔力奉納に出向くようになる。もちろんお父様お母様の許可は出ているんだけどね。お父様お母様は子供の頑張りの延長くらいに思っていたようで、これが問題の元になるとは思っていなかったようだ。


 しかしながら、正式に依頼されて魔力を「貸し」ているのである。もちろん、魔力で返すことなどルドワーズは求めなかった。お金を払えとも言わなかった。ルドワーズはニコニコ笑って「お礼は今は結構です。後で僕のお願いを聞いて下されば良いですから」と言うだけだったそうだ。しかし返さなくても良いとはけして言わなかったらしい。


 しかし例え子供を相手とはいえ、貴重な魔力を「借りた」のである。どれだけ大きな対価を払わなければならないか、ルドワーズに魔力を借りた貴族達は考えなかったのだろうか。子供相手と甘く見たのかもしれないし、魔力不足で切羽詰まって余裕がなかったのかもしれない。


 いずれにせよ、彼らが気が付いた時にはルドワーズが貸しを作った貴族は複数の侯爵家を含めて何十家という数になっていた。これがルドワーズが十一歳の時の状況である。そして彼は満を持して、その貸しを作った貴族達にこう言ったのである。


「私は皇帝になりたいのです。そしてエルファニアお姉様を皇妃として娶るのです」


 それを聞いてルドワーズに魔力を借りた者達は仰天しただろうね。しかしルドワーズはわざわざ「冗談ではありませんからね」と念を押したというのだから笑っては済ませなくなった。


 確かに、帝国の法では皇族の男子には等しく皇位継承権が与えられている。例えそれが公爵家の三男であろうともだ。


 もちろん、皇族会議で選ばれれば、という話になるので、ルドワーズが無力な少年であった場合、彼が皇帝になるなんてまずあり得ない話であっただろう。


 ところが、ルドワーズは魔力を貸し付ける事で実績と味方を増やしてしまった。複数の侯爵家を含む高位貴族数十家の勢力は、皇帝陛下といえど無視出来ない。


 タダより高いものはないとはこの事で、既にルドワーズに先払いで魔力を借りてしまっている貴族達はルドワーズを皇帝に推薦することを了承するしかなかった。


 魔力だけでなく、ルドワーズには不思議な魅力もあったらしい。そうでなければ子供の言う事であるので真面目に受け取られなかった可能性もある。


 こうしてある日突然、ルドワーズを皇帝候補に推薦する貴族達の推薦状が皇帝陛下に出されたのだった。皇帝陛下もカトライズ殿下も仰天し、お父様お母様に問い合わせたらしい。しかし、お父様お母様も寝耳に水。慌ててルドワーズを呼んで問い正すと、ルディは悪びれもせずにこう言った。


「私がニア姉様と結婚するには皇帝になるしかないでしょう?」


 もちろん、皇族も貴族も大騒ぎになった。カトライズ殿下は激怒してルドワーズを呼び出して論難したのだが、ルドワーズは一歩も引かずこう言ってのけた。


「私に皇帝になって欲しいという方がこれほどいるのです。カトライズ殿下も無条件に自分が皇帝になれると思わない方が良いですよ」


 カトライズ殿下は唖然としたそうだ。


 私とヴィルヘルム兄様が混沌回復の旅から戻るのを待って、ヴェリトン公爵家の緊急家族会議が行われた。いくらなんでもお父様お母様の承認も経ずに皇帝候補に名乗りを挙げるなど、暴挙と言っても過言ではない。


 特に怒ったのがヴィルヘルム兄様だった。兄様はカトライズ殿下の親友だし、殿下こそ皇帝に相応しいと考えているからね。兄様は真っ赤な顔でルドワーズを怒鳴りつけた。


 しかし、サラサラ金髪に柔らかなグレーの瞳を持つルドワーズは、その可憐な笑顔を保ちながらヴィルヘルム兄様にこう言った。


「私はニア姉様と結婚したいだけです。そのためなら皇帝にだってなります」


 この時は当然私も同席していたので、私は唖然とするやら顔が赤くなるやらで大変だったわね。確かにルドワーズは何度も私にプロポーズしてくれてはいたけども、まさかそこまで真剣だったとは。


 お父様お母様もアルベルト兄様も一生懸命説得したのだけれど、ルドワーズはガンとして受け付けない。既に正式に推薦が行われてしまった以上、本人が辞退しない限りルドワーズは正式に皇帝候補になってしまった事になる。


 結局、説得は出来なかった。こうしてルドワーズは皇帝候補、そして私の結婚相手候補にいきなりなってしまったのだった。しかも既に多くの大貴族を味方に付け、魔力で多くの地を癒やし救ったという実績を引っ提げてだ。


 これにより皇帝の第一子であり、普通なら問題無く皇帝になれる筈のカトライズ殿下の地位が怪しくなってしまった。しかも、貴族達の間に自分達も新たな皇帝候補を擁立しようではないか、という動きも出てきてしまったらしい。


 自分達が推した方が皇帝になればいい目を見られる、と思うのは当たり前だよね。カトライズ殿下が圧倒的だった頃なら、皇帝候補を擁立してもそれはカトライズ殿下の不興を買い、次代で冷遇される原因を作る事でしかなかった。


 しかしルドワーズの立候補によって状況は変わった。この状況下なら新たな皇帝候補を擁立しても次代への反抗とは取られまい。


 で貴族達が目を付けたのがヴィルヘルム兄様だった。ルドワーズも実績はあるけど、混沌回復で多くの魔物を倒して手柄を立てているヴィルヘルム兄様には敵わない。混沌を回復してもらったところの領主や、騎士達の支持を集めたヴィルヘルム兄様は、本人が望まぬところで皇帝候補と見做されるようになってしまった。


 ヴィルヘルム兄様は怒ったけど、最終的には他の方が擁立されるよりは良いと考えたようだ。自分が選ばれる事などないだろうけど、自分を支持している貴族達をスムーズにカトライズ殿下に忠誠を誓わせる事が出来るようにまとめておいた方が良かろう、と言っていたわね。


 なのでヴィルヘルム兄様はカトライズ殿下に最初から自分は皇帝になる気などない、と明言して安心して欲しいと言っていた。殿下も一応は了承してはくれたみたい。


 他にもラルバイン次期公爵、ヤックリード次期公爵も推薦されて、帝国の次期皇帝が誰になるかは一気に混迷してしまった。何もかもルドワーズのせいで。この混迷を狙って引き起こしたのだとすれば、恐るべき十一歳よね。


 で、この混迷の中で、帝国貴族たちの一致した見解としてあったのが「次期皇帝の妃はエルファニア聖女がなるだろう」という事だった。なにそれ?


 カトライズ殿下とルドワーズは私を皇妃にすると明言していたし、ヴィルヘルム兄様は私の結婚相手として根強く名前が上がっていた。ラルバイン次期公爵は兎も角、ヤックリード次期公爵も私の婚約者候補だった。


 ということで、皇帝の座を巡る争いは。聖女争奪戦の様相も呈してきたのだった。そして何故か、私の心を射止めた方。私が選んだ相手こそが皇帝に相応しいのではないか、という話にいつの間にかなってきてしまったのである。


 聖女が選んだお方なら間違いなかろう。それこそが大女神フェレミネーヤの神託である。そういう理屈である。つまり私の選択に、皇帝の座、すなわち帝国の未来が託される事になったのである!


「どうしてくれるのよ!」


 私は思わず叫んだわよね。元凶に向かって。つまり、可愛い弟であるルドワーズに向かって。彼はニコニコと人好きのする、天使のような微笑みを浮かべていた。


「大丈夫ですよ。姉様。私を選んで下さい。後悔はさせません。私は立派な皇帝になってみせます」


「そういう事を言ってるんじゃないのよ!」


 このままだと私は皇妃の座を回避出来ない。誰を選んでも私が皇妃になることになってしまう。大女神様の野望が大きく前進してしまうじゃないのよ!


 頭を抱えてウガーッっと吠えている私を見ながらルドワーズはニコニコと笑っていたけど、不意に立ち上がって私の側に来ると、私の前に跪いた。


 へ? っとなる私の右手を掴み、私の掌を上に向けると、そこにルドワーズは静かにキスをした。その瞬間、可愛い弟のルドワーズが、全然知らない大人の男性になってしまったように見えたわね。


 な、何? なんだか、ただならぬ雰囲気に私は息を呑む。ルドワーズはグレーの瞳を輝かせると、真剣な口調で私が一生忘れられないような宣誓をした。


「私ルドワーズは、エルファニアに心より愛を誓う。いついかなる時も貴女を想い、最優先に考え、何物からも必ず護り切ると、女神フェレミネーヤと帝国の大地に誓います」


 私はただただ呆然としてしまったわよね。何も言えず、動けもしなかった。でも、悪い気分ではなかったわよ。


 それが、正式な作法に則ったプロポーズであった事は、しばらく後に私は知ったのだった。

 


 

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