第八話 聖女と令嬢たち

 貴族は、十五歳の誕生日を迎える年の新年で成人する。これは貴族も数え年で年齢を勘定していた時代の名残らしい。


 盛大な成人の儀式が行われ、皇帝陛下に忠誠を誓って陛下に祝福され、ここで初めて正式な貴族として認められるのだ。


 なので、貴族は十五歳になるまでは子供として扱われる。親の庇護下で基本的には教育を受け遊んで暮らす。


 これが平民だと、大人と子供の区別は厳格ではない。働いてお金を稼ぎ、自活していれば何歳だろうが一人前とみなされる。九歳で丁稚として働いていた私は半人前ではあったけど、もう子供として見られてはいなかったわね。


 それが、私は十歳でヴェリトン公爵家の養女になると、一気に子供に戻された。お父様お母様に甘やかされ、お兄様たちには可愛がられ、お屋敷の者たちにも丁重に扱われた。


 大人と子供の違いは責任の有無では無いかと思う。私は働いている時はそれなりに仕事に対して責任を負っていたのだけど、養女になったら一気に無責任状態となったのだった。


 ところが、私はカトライズ殿下を助けて聖女であることが知れ渡り、また責任を負う立場となった。儀式を取り仕切り、混沌を回復させる任務を皇帝陛下から授かった。


 私はサンド商会で働いていたから働くのに慣れていたし、責任を負う事にも慣れていた(失敗すると酷い折檻をされる場合もあったから、みんな緊張して仕事をしていたわ)から、皇帝陛下から任務を授かっても別に当たり前だと思っていた。


 だが、貴族の世界では子供が働く事は認められておらず、まして皇帝陛下が任務を下さるのは名誉なことであるので、私が混沌回復の任務を授かった時には結構な物議を醸したらしい。


 ただ、私は聖女だったし、実際私しか出来ない任務でもあったので、文句があっても許容するしかなかったというのがお貴族様たちの事情だったのだそうだ。


 しかし、お父様お母様は私に貴族の反感が集まるのを危惧して、殊更に私を大事な公爵家の箱入り娘として扱った。混沌回復の任務以外は私を普通の公爵家令嬢つまり子供として扱ったのだ。


 そのため、私は余程の事がない限り子供として社交に出た。このため、ご挨拶を済ませれば後は子供達だけの集まりに混ざって遊んでいれば良かったのだった。これが一人前の淑女になるとそうはいかない。社交は政治だからね。お家の名誉と利益を背負わなければならない。


 子供達で一緒に遊んでいれば、友達も出来る。高位貴族の令嬢の中に何人もの仲良しが出来て、そういうご令嬢とは昼間に一緒に遊ぶ事もあった。貴族的に言う子供の社交というやつである。


 私は成人二年前の十三歳(という事になっている)なので、女の子同士の集まりではもう流石にお花畑で遊んだり、おままごとをして遊んだりする年齢ではなかった。


 来るべきデビュタントに向けて子供同士でお茶会をしたり、絵とか楽器とかを披露しあったりというような、大人の社交の予行練習が主になっている。でも、私はまだ外で遊ぶ方が好きで、本当はお行儀良くしているよりも外を駆け回るのが好きな娘もいるから、完全に大人しくしていた訳ではなかったけどね。


 その日は私はドレス姿でお屋敷を出て、ハインファイ侯爵家の屋敷に出向いた。ハインファイ侯爵家はヴェリトン公爵家の分家で、そこの令嬢であるアイマリーと私は仲良しだったのだ。


 アイマリーは私と同じ十三歳。実際には私よりも一つ年上なので当たり前だけど、私よりも背が大きく、体付きもかなり女っぽくなっている。栗色の髪と青い瞳の可愛い娘で、結構活発なところで私と気が合ったのだった。


 アイマリーもそろそろお澄まししなければいけない年頃で、庭園を駆け回って遊ぶわけにはいかない感じになってしまっていたけど(侍女に怒られる)お庭を散歩するくらいは出来る。アイマリーとその侍女、私と私の侍女のピアリーニで侯爵邸の広いお庭を散歩する。侍女は傘を持って私たちに差し掛けている。


 ピアリーニはこの年十八歳で、どこかの侯爵家の四女らしい。私が養女に入った時から私の侍女をやってくれている。という事は成人してすぐに私の侍女になっているという事なのだが、これは私が活発な少女で、走り回る私に年配の侍女では付いていけなかったから、という事情があったらしい。


 ピアリーニは錆色の髪と紺色の瞳を持ち、いつも髪はキツめに巻き上げている。背が高く、痩せ型で怒るとけっこう怖い。


 そのピアリーニが日傘を差し掛けながら苦笑しているのは、私があまりにつまらなそうな顔をしているからだろうね。せっかくアイマリーの家に来たのにお散歩止まりでは、私はちょっと不満だったのだ。


 最近、お家でもあんまり外で遊ぶ事は出来なくなっている。言うまでもなく私の淑女教育が本格化しているからだ。


 貴族令嬢は普通、午前中は各種家庭教師から教育を受け、午後は遊ぶか今日みたいに子供同士の社交に出掛ける。これは成人してからも概ね同じで、午前はお家や領地についてのお仕事をして、午後から夜は社交に費やすのが貴族夫人のスケジュールだ。未婚の場合は午前は自分の教養を高めるために勉強する。


 この教育は年々高度になる。お作法にしても子供ならこの程度、というところから、貴族夫人ならこれくらいは当然というレベルにまで教育レベルが上がるのである。まして公爵令嬢であり、将来的には皇妃まで見込まれていた私の教育は結構過酷だった。


 お作法は下位貴族の作法と上位貴族の作法には違いがある。同様に皇族には皇族独特の作法があり、更に帝室にはまた違った作法が求められるのだそうだ。


 例えば、歩き出す時の足の動きは、下位貴族は左足から前に出す。これが上位貴族は右足になり完全に足を地面から宙に浮かせる。皇族は足を軽く摺って歩く。帝室の皆様は完全に摺り足と決まっている。もちろんこれは儀式や公式な行事の時だけの話だけど。


 この調子で食事の時の食べる順番まで事細かに決まりがあるのだ。覚えるだけで大変。そしてこれを優雅に実行出来るようになるまで反復練習をしなければならない。


 おまけに私は混沌を回復させるためにちょくちょく帝都を出て旅をするので、教育が遅れがちだったらしい。旅先でもお母様の命を受けたピアリーニがチェックしてお作法辺りなら練習出来るけど、それ以外の学問だとか芸術だとかは遠征先ではどうにもならない。


 なので帝都にいる間は本当にみっちり教育が詰まっていて大変で、要するに午後になって私はアイマリーのお家に逃げてきたのだ。それなのに優雅なお散歩ではストレス解消にならないのよね。


 そんな私を見てアイマリーも苦笑する。


「私もそろそろお見合いの話があって、この散歩もそのための練習なのよ。悪いけど付き合って。ニア」


 私は驚く。


「え? お見合い? 結婚するの? マリー!」


 まだ成人前なのに? しかしアイマリーは逆に呆れ顔になった。


「まだ決まってはいないけど、そろそろ婚約して成人したらすぐに結婚する事になると思うわ。当然でしょ」


 ついこの間まで私と一緒に泥だらけで遊んでいたアイマリーが当然のようにもうすぐ婚約すると言う。私はかなりのショックを受けた。だって私とアイマリーは同い年だ。アイマリーが婚約するなら私だって婚約してもおかしくない。


「家によったら未成年のうちに結婚するのだもの。遅いくらいよ」


 知識としては知ってたけどね。そういう事は。でも、実感出来るのはやはり身近な人にそれが生じた時だ。仲良しのアイマリーが結婚を考えていると聞いて私にとって初めて結婚が身近な出来事になったのだった。


「ニアだって他人事じゃないでしょう? 成人したらすぐにカトライズ殿下と結婚するんじゃないの?」


 は? 私が口をぼんやりと開けて驚いていると、その場の他の三人が一斉に額に手を当てて俯いてしまった。


「ちょっとニア」


「え? でも、いきなりそんな事を言われても」


「全然いきなりじゃないでしょう?」


 アイマリーがすかさず突っ込んだ。いや、私には全然分からない。お父様お母様はそんな話してなかったし。私にも全然そのつもりはなかったから。


「あんなに殿下とイチャイチャしていて、その気がなかったとは言わせないわよ?」


 全然ありませんでした。イチャイチャって……。それは、カトライズ殿下とは仲良しだけど、イチャイチャなんてしてないよね?


「そう思ってるのは貴女だけよ。ニア」


 アイマリーが憐憫の表情も露わに言う。


「貴女と殿下についてどんな噂が流れてるか、事細かに教えて上げましょうか?」


 ……あんまり聞きたい話になるとは思えないわね。というか……。


「え、だ、だって、カティはイルコティアと結婚するんじゃないの? 小さい頃からの婚約者だって聞いたわよ?」


 イルコティアはヤックリード公爵家の姫で、私と同い年だ。カトライズ殿下の妃は、公爵家同士のバランスを取る意味からヤックリード公爵家から娶る事が確実視されていて、その第一候補がイルコティアだった。


「それが、貴女のお陰でご破算になったからイルコティア様はあんなに貴女を恨んでるんじゃないの」


 そうなのだ。イルコティアは私に対してもの凄く冷たい。というか、ヤックリード公爵家の方々は基本私に塩対応である。どうやらその理由が、私のお陰でカトライズ殿下とイルコティアの縁談が壊れかけているから、らしい。


 そ、そんな事を言われても……。


 正直、カトライズ殿下は仲良しのお友達で、大好きな人の一人ではある。


 でも、私は結婚などまだ全然考えてもいなかったし、お父様もお母様も「まだニアは子供だからね」と縁談の話は全然しなかった。なので私はカトライズ殿下に限らず、男性を結婚相手と考えて見たことが無い。


 この時点の私に「実は兄弟も公爵家の次期公爵二人も貴女の婚約者候補なのよ」なんて言っても私は目が点になるだけだったろう。私はこと恋愛や結婚関係の話については徹底的に子供だったのだ。


 これはサンド商会で働いていた頃に、仕事をして大人の世界に触れてはいたけど、その中に恋愛関係だけはすっぽり抜け落ちていたから、というのもあるだろうね。丁稚の仕事は忙し過ぎて、私も含めて同じ年頃の娘達に浮いた話など一つも無かった。男の子の丁稚もひたすら働いていて、女の子にちょっかいを出そう物なら店員や番頭にひっぱたかれたからね。


「とにかく、私はそんな事考えた事も無いわ。結婚とかまだまだ先の話よ」


「……殿下が不憫でならないわね」


 アイマリーが慨嘆したけど、私としては大女神様の野望の件もあって、この時点でカトライズ殿下と結婚する気など毛頭なかったのだ。


 ただ、この時にアイマリーと話をして、私は初めて自分が結婚するという事を意識はしたのであった。一応ね。


  ◇◇◇


 帝宮で夜会は毎日行われていて、お父様お母様はほとんど毎日招待されて出席なさるのだけど、私は精々七日に一回くらいしか出席しない。子供なので普通はそれこそ一ヶ月に一度くらいの頻度でも良いくらいなのだが(事実ルドワーズはそれくらいしか出ない)私は聖女なのでそういう訳にもいかないという事だったらしい。


 お父様お母様と一緒に皆様に挨拶をして、皇帝陛下と皇妃様、カトライズ殿下にご挨拶をした後、私はピアリーニだけを連れてサッサと子供達の所に退避した。どうやらカトライズ殿下と妙な噂になっているようだったし、あんまり殿下のお側にいない方が良いと思ったのだ。


 子供達の集まりの所には上位貴族の令息令嬢がいて、私が行くとそれぞれ気取った挨拶をしてくれた。私も優雅にご挨拶を返す。これも大人になった時に為の訓練の意味合いがある。


 ただ、その後は子供同士お話をしたり、カードゲームやボードゲームをしたり、男の子なら剣術の真似事や取っ組み合いをする事もある(もちろん、ダーツはあれ以来厳重に禁止されている)。私も仲の良い令嬢とテーブルを囲み、おかしや飲み物を侍女に取ってもらっておしゃべりをしていた。


 ちなみに夜会では、軽食や晩餐が頼めば食べられるので、お腹を空かした男の子なんかは大騒ぎしながらガツガツと食べている場合もあるわね。女の子はやはり甘いお菓子とジュースが多い。


 この日はアイマリーはいなかったけど、それでも他にも仲良しの女の子が沢山いたから楽しくお話をしていた。子供にもいくつかグループがあって、私が話をしているのは私が中心になって形成されているグループだった。


 私は聖女で公爵家の姫なので目立つ存在だし、親に言われて将来のために私に接近してくる娘も当然いたと思う。ただ、子供なのでそういう打算的な娘は少なかったと思うのよね。私は外遊びが好きだったので同じような活発な女の子と仲良くなる例が多かった。


 それと私は内気だったり家柄を気にして一人で過ごしている様な娘が放っておけなくて、声を掛けて仲間に引っ張り込んで仲良くなる事も多かったわね。


 アイマリーなんかは「ニアはボス気質だから」なんて言っていたわね。でも、私はお友達に暴力を振るったり無茶を言ったりしたことはないから、ボスとは言えないと思うのよね。精々まとめ役よね。


 私のグループは上位貴族令嬢のグループとしてはほとんど最大派閥だったんじゃないかと思う。意識したことは無かったけどね。


 最大派閥だけど、別に絶対的な勢力を誇っていた訳ではなかった。私はあんまり階位や家柄に拘らないから、低い階位の令嬢にも声を掛けて仲良しになっていたせいで数が多かっただけで。むしろそういう低い階位の令嬢と付き合いたくない高い階位のお家のご令嬢は私とは距離を取っていた。他にも大人びた振る舞いを好み、走り回って遊ぶような事をしない令嬢も私を嫌っている風だったわね。


 そういう「反聖女」みたいなグループのリーダーがヤックリード公爵家第一令嬢イルコティアだったのよね。


 イルコティアは私と同い年なんだけど私よりもずっと背が高くて、体付きはもう大人みたい。大人用のドレスを身に纏い、大人と同じ振る舞いをして、子供達の間にはもうあんまり交じらなかったわね。普通に大人達とダンスをして、談笑していたわ。


 私のグループの娘たちは私のお友達なんだけど、イルコティアのグループの娘達はイルコティアに憧れるファンみたいな娘達だったわね。この頃の私は例によって全然知らなかったんだけど、そういう娘達は「聖女とはいえ、平民出身で垢抜けないエルファニア様より、美しく洗練された貴婦人であるイルコティア様の方が皇妃に相応しい」と言っていたみたいね。まぁ、当時の私が聞いたら全力で同意したと思うけど。


 そして、私のグループの娘達と、イルコティアのファンの娘達は対立していたみたいなのよね。私の知らない内に。私は毎日夜会に出ている訳じゃ無いので、私もイルコティアもいない時に、言い合いになったり結構大きな喧嘩になってしまったりしたみたい。


 で、私のグループの娘は活発な娘が多いので、カッとなった私のお友達のケレソン伯爵令嬢が、イルコティアグループの娘のフセイヤー伯爵令嬢に蹴りを入れたらしい。私は知らなかったんだけど。


 幸い怪我は無かったんだけど、これが結構大きな問題になって、下手をすると家同士の問題になり掛かっていたのだった。私は全然知らなかったんだけど。


 子供の喧嘩が家同士の問題に発展したとなると、喧嘩をした二人の娘もただでは済まない。これは加害者、被害者を問わずだ。親に迷惑を掛けたということ自体が、その娘の履歴に傷を付ける。この先の将来に関わってきてしまうのである。


 それがよく分かっていない被害者の娘は、ヒステリックに騒いで相手の家に抗議するとまで言い出した。そこで彼女の所属するグループのリーダーであるイルコティアが仲裁に乗り出したのだった。


 なんでここでイルコティアが乗り出すのかというと、喧嘩の理由にイルコティアと私が関わっており、家同士の問題になった時にヤックリード公爵家とヴェリトン公爵家が巻き込まれる可能性が高く、公爵家同士のもめ事になる可能性があり、そうすると騒動の原因であるイルコティアも親に怒られる可能性が高くなるからだっただろうね。


 貴族の家では普通、親と子供の距離は結構遠いのだそうだ。なので、公爵家第一姫であるイルコティアと言えど、親の不興を買うとその地位が危うくなる可能性がある。家みたいにお父様お母様が私を溺愛していて、どんなことからも守ってくれるだろうと思える状態は貴族としては異例なのだ。


 で、この日。私は後ろから呼び掛けられた。


「よろしいかしら?」


 私が振り向くと、青いドレスを着たイルコティアが立っていた。その横にはフセイヤー伯爵令嬢、後ろには彼女のグループの面々をしたがえている。私とテーブルを囲んでいたお友達がざわっとしたわね。


 イルコティアは見事な金髪にグリーンの瞳で如何にもお姫様、という様な容姿だった。もちろん美人である。まだ子供の筈なのに貫禄すら感じさせる。


 私は首を傾げた。


「なに? イルコティア?」


 と言ってしまって失敗したと思った。正式な作法では、今日初めて会ったイルコティアとは立ち上がって向かい合い、挨拶を交わさなければならない。実際、イルコティアの取り巻きは表情に怒りを浮かべている。私はばつが悪い思いで席を立ち、スカートを広げて膝を沈めた。


「失礼。何か御用ですの? イルコティア」


 彼女はヤックリード公爵家の第一公女であるけど、私もヴェリトン公爵家の第一公女なので身分は完全に同格である。それに加えて私は聖女なので、見方によってはイルコティアよりも身分が高い。なのでへりくだらない様に気を付ける。


 イルコティアは貴族の微笑みで完全に感情を隠していた。貴族の微笑みは貴族婦人の嗜みである。まだ感情的になりがちな子供なのにこういう面では彼女はもうすっかり立派な貴婦人だった。


「貴女のお友達の黒髪の方と、私のお友達の茶色い髪の方の件でお話があります」


 婉曲な言い回しだった。私は考え、それがケレソン伯爵令嬢とフセイヤー伯爵令嬢の喧嘩の件だと気が付いた。それについては一応私も話を聞いてはいたけど、子供同士の喧嘩でしょ、とあんまり気にしてはいなかったのだ。


「どういうお話なの?」


「このままでは宜しくないと思いまして」


 ハッキリしない言い方だけど、、貴族会話はそんなものだ。でも子供だった私はちょっとイラッとしたわね。


「どうしようと言うの?」


「当人同士が話しても角が立ちましょう。貴女から叱責して謝罪させて下さいませ」


 グループのリーダーである私が子分であるケレソン伯爵令嬢に謝罪を促せというのである。これは同時に、グループのリーダーである私にも責任を取れと言っているに等しい、


 私としては、私は関係ないじゃない、と言いたいところだ、私のいないところで起こった出来事なんだもの。


 だけど、貴族の政治なんてそういうものなのよね。後から知ったのだけど。派閥の領袖同士が話を付ける事で、事が大きくなる前に終わらせるのはよくある事なのだ。


 私はうーん、と考え、ケレソン伯爵令嬢の方を見た。彼女の名前はセリューシアという、


「シア。こっちに来て」


 セリューシアは目に見えて身体を強張らせた。しかし私の命令には逆らえない。席を立ち上がって私の前に出る。


「貴女に罰を与えます」


 私は有無を言わせず言った。セリューシアは慌てる。


「ニア、私は……!」


 セリューシアは何か言い掛けたけど、私はそれを聞かず、私より背が高い彼女の頭をコツンと拳で叩いた。セリューシアが驚いた顔をする。


 私はそして彼女にニッコリと微笑んで見せると、今度はイルコティアに向き直り、大きく頭を下げた。どよめきが起こる。セリューシアが驚いて言った。


「ニア! 何を!」


 身分が高い者は謝罪などしないものだからだ。まして私は全然悪くないこの件について、私が頭を下げて謝罪する理由は無い。


 しかし構わず私は頭を下げ、上げると、流石に驚愕の表情を表に出しているイルコティアとフセイヤー伯爵令嬢に言った。


「この度は私のお友達が迷惑を掛けました。私が代わって謝罪しますわ。ですからこれで事を収めて頂けると有り難いのですけど?」


 公爵家の姫であり聖女である私の謝罪という重大な事態にフセイヤー伯爵令嬢は真っ青な顔をしていたわね。身分が大きく違う私に謝罪をさせるなど、どんな理由があっても許される事ではないのである。


 この場合、フセイヤー伯爵令嬢は動けない。何を言っても罪になってしまう。私の謝罪を受け入れれば私を謝罪させた事を認める事になってしまう。受け入れなければこれはもうただ事ではない。いずれにせよ公爵家の姫である私に大恥を掻かせたとしてフセイヤー伯爵家が消し飛んでもおかしくない大事件である。


 ここで動いて良いのは身分が同格であるイルコティアだけだった。しかし、迂闊な対応をすれば彼女にとっても命取りになる。彼女はなんとか笑顔を作ると言った。


「頭を下げる程の事ではありませんよ。子供の喧嘩ではありませんか。当人同士が納得すればそれで良いでしょう。ねぇ?」


 フセイヤー伯爵令嬢もセリューシアもコクコクコクと何度も頷いていたわね。私はその二人の事を見ながらニッコリと笑う。


「じゃあ、仲直りね?」


「え、ええ! もちろん! 申し訳ございませんでした!」


「謝罪を致します。許して下さいませ!」


 二人は悲鳴を上げるようにお互いに謝罪しあい、手を握って和解していたわね。うんうん。私は満足する。


「じゃあ、これで話は終りね。イルコティア。和解のしるしに一緒にお菓子を食べましょう。そちらの方もどう?」


 イルコティアは顔を引き攣らせたわね。フセイヤー伯爵令嬢もお化粧が流れるほど大汗を掻いていた。しかし、和解のためと言われては断れまい。


 しかしその時。


「何の騒ぎなのだ」


 若々しい男性の声にそちらの方を見ると、カトライズ殿下が大股で歩み寄ってくるところだった。どうやら子供エリアで私とイルコティアが何やら睨み合っているのを見て飛んできたらしい。


「ニアに何をしているのだ! イルコティア!」


 カトライズ殿下は私を護るように立ちイルコティアを叱責した。一方的な扱いにイルコティアは眉を吊り上げる。ただ、イルコティアの方が背がうんと高くて、私は上から見下ろされているから、カトライズ殿下が遠くから見た感じでは私が怒られているようにしか見えなかったのだろう。


 私はカトライズ殿下の背中をポンポンと叩いて宥める。


「大丈夫ですよ。カティ。もう済みました。子供のお話ですから。ね、イルコティア?」


 イルコティアは寄り添う私とカトライズ殿下を見てちょっと形容し難い表情を一瞬見せた後、ふわっと笑って言った。


「ええそうですね。何でもないのですよ。殿下。エルファニア様、私はこれで失礼致しますね」


 イルコティアはフセイヤー伯爵令嬢や彼女のお友達を促して足早に立ち去って行ってしまった。むぅ。殿下のせいで逃げられた。この機会にイルコティアと仲良くなっておきたかったのに。


「本当に大丈夫なのか? ニア」


「ええ。ご心配なく。殿下」


 心配してくれるカトライズ殿下を宥め、大人の所に戻って頂くと、私は泣きながら謝罪を繰り返すセリューシアを慰めて椅子に座らせて、何事もなかった様に子供のお茶会を再開したのだった。


 私はこれで話は済んだと思っていたのだけれど、公衆の面前で私とイルコティアが正面から対立し、そこでカトライズ殿下が私は庇ったように見えた事は、貴族世界に少なからぬ波紋を広げる事になる。

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