第三話 公爵家の養女

 正式にヴェリトン公爵家の養女になった私には、貴族教育が施される事になった。


 庶民そのままである私をこのままの状態では公爵家の人間として人前に出せないからね。お屋敷の侍女長であるイレイマーが礼儀作法や立ち振る舞いの教育をしてくれる事になった。イレイマーは四十歳で伯爵夫人。落ち着いた美人でお母様からは「イレイマーのする事を何でも真似すれば淑女になれるから」と言われた。


 イレイマーも困ったと思うのよね。十歳の、貴族生活のきの字も知らない娘を押し付けられて教育しろと言われても、どこから手を付けて良いか分からなかったと思うの。


 ただ、私は仕事で必要だったから読み書きは出来たし、計算も簡単な物は出来た。それと、私は教育は新しいお仕事と見做したので真面目に取り組んだ。イレイマーも後で「姫様は坊ちゃま方よりも真面目に教育を受けて下さったので上達が早かった」と言っていたわね。その辺は既にサンド商会で毎日必死で働いていた経験が役に立ったのだと思う。丁稚仕事で出来なかったり失敗したりすると、先輩に殴られた上に飯抜きになったからね。それでお仕事に真剣に取り組む姿勢が身に付いたのだ。


 それに、新しい事を覚えるのは楽しかったわよ。歩き方、立ち方も貴族風は平民とは全然違う。笑顔の作り方、感情の隠し方、侍女に送る合図の種類なんて教わってそんな物があるのかとビックリした。テーブルマナーを教わって、その洗練された動きには感動したし、覚えて食事の席で家族に披露するとお父様もお母様もお兄様も感心して、褒めてくれたから一層見事な所作を身に付けようと頑張れた。


 ドレスを着てダンスのステップを覚え、お兄様を相手に練習する。お兄様は大げさに褒めてくれた。実際、私は動くのが好きだし運動も得意だからダンスはすぐに上達したみたいね。貴族社交の場ではダンスは重要で、私がダンスが得意になれそうなのを見てイレイマーは随分ホッとしたようだった。


 音楽は声楽や弦楽器、笛などを教わったけど、私はこちらはあんまり得意にはなれなかった。そもそもこちらは何年も掛かって身に付けるものだから、半年やそこらでは最低限出来るようになった、といった感じだったわね。詩とか絵画とかも私にはちょっと難しかった。歴史とか神話とかの教育は楽しかったわね。あのフェレミネーヤ神の事も教わった。


 大女神フェレミネーヤは豊穣と癒やしの神で、帝国の守護神だ。遙かな大昔、帝国の初代皇帝陛下はフェレミネーヤ神に力を授かって、帝国を創設したらしい。という事は初代皇帝陛下も大女神様と会ったのかしらね? あの性悪女神とお会いして初代皇帝陛下がどう思われたのか、聞いてみたいところだわ。


 魔法についても教わったわ。私は魔力がもの凄くあるらしいので、暴走させたら危険だとのことで、魔力の制御方法は念入りに覚えさせられた。初歩の魔法も色々覚えた。灯りの魔法とか、風の魔法とか、癒やしの魔法とかね。これは平民時代には見たことも聞いた事も無い事だったから、大興奮で一生懸命に覚えて練習したわよ。だって、私が神様に祈るだけで灯りが点ったり、怪我を治せたり草木が元気になったりするのよ? 凄いじゃない!


 そういう感じで私は半年ぐらいお屋敷で教育を受けて過ごした。この時点で私はお屋敷に迎え入れられてから丸一年。私は十一歳になっていたわね。相変わらずお父様お母様、お兄様達には可愛がられ、ルドワーズは可愛く、私は幸せに過ごしていた。


 で、教育もある程度進んで、これなら大丈夫だろうという事で私は帝宮で行われる夜会に出る事になった。いよいよお披露目である。


  ◇◇◇


 帝国はこの大陸西半分を領有している大国だ。ライバルのグゼバーン王国やイラージャ教国よりも大きい。もちろん、海を越えた先にも大陸があって、そこには他にもいろんな国があるそうだけど。


 そんな大きな帝国にはお貴族様だけでも何千家もあるそうだ。貴族とは言っても領地も無い名ばかり貴族や、領地があると言っても実は自分の家しか領有していないようなお家もあるらしい。それでも土地の私有が認められていない平民よりは間違い無く上の階級なんだけどね。


 そういう階位の無い貴族の上に、騎士、男爵から始まる階位のあるお貴族様がいる。こちらは村一つくらいの領地を持つお家だ。子爵くらいになると最低でも村三つくらいを領有する。ここまでが下位貴族。下位貴族は帝宮への昇殿が、単独では許されない(上位貴族と一緒でなければならない)。


 伯爵以上が上位貴族。流石に上位貴族はガクンと少なくなって、帝国全体でも二百家くらいしかないそうだ。伯爵は皇族の血を引かない貴族の最高位で、上位貴族の中では最も数が多い。伯爵ともなれば広大な領地を皇帝陛下に与えられており、かなり裕福な者が多い(もちろん例外もいる)。


 そして皇族の血を引く貴族が侯爵以上の貴族だ。侯爵は元々公爵家や皇族の方が分家して起こしたお家である。公爵家が何らかの理由で侯爵家に格下げになった場合も多い。皇族の末裔ということで、臣下ではあるものの他の貴族とは一線を画した扱いを受けている。侯爵家を興す事は滅多に認められないので、長い帝国の歴史を経た今でも侯爵家の数は二十家しかない。この「栄えある二十侯爵家」は貴族の中の頂点として、帝国と帝室を支える重要な位置にある。


 公爵家はその上にいる存在である。公爵家は貴族では無い。皇族なのだ。


 現在三家しかない公爵家。ヴェリトン公爵家、ラルバイン公爵家、ヤックリード公爵家は元々は数代前の皇帝陛下のご兄弟が興された家で、それが帝室と常に濃い血の繋がりを保ちながら続いているお家だ。


 この三家は皇族なので、貴族ではない。帝国貴族界の中では完全に別格の存在なのだ。三公爵家から帝室に養子が入って、その方が皇帝になることすらあるのだから。


 これはもしも帝室の皇子が暗愚な者であった場合、そんな皇子が皇帝になろうものなら帝国が揺らぐ事態になってしまうので、帝国では次の皇帝は帝室と三公爵家の男子の中から、皇族会議で選ぶ事になっているからだそうだ。そのため、皇帝陛下の実子でも無条件に皇太子になれるとは限らない。皇族会議で後継者認定されたのが三公爵家の方だった場合、その方は帝室に養子で入り、そして皇帝に即位することになる。


 ということは、私のお兄様達やルドワーズも皇帝候補なのだ。凄いわね。ただ、公爵家から皇帝が出るというのは余程の事であり、この三百年でも二回しか無かった極めて希な事なのだそうだ。現在の皇帝陛下のご長子、カトライズ殿下は優秀な方だそうだから、お兄様方が皇帝になる事はほぼ無いだろうとのこと。


 私はそんな公爵家の養子に入ったのだ。教育を受けてそのあまりの地位の高さを知った私は、ちょっと呆れたわよね。農村から売られてきた平民の少女が公爵家の養子になるなんてあまりにも非常識過ぎる。


 ただ、その時はその非常識がどのような意味を持つのか、周囲からどう思われるのかまでは頭が回らなかった。それを理解し体感したのは、お披露目のために帝宮に上がった時の事である。


  ◇◇◇


 その日、私はドレスを着てキラキラに飾られて、馬車に乗り込んだ。身支度の段階から侍女達は殺気立っていたし、馬車まで手を引いてくれたお母様のお顔はかなり強ばっていた。? 私には何故なのかは全然分からない。お行儀良く座りながら、帝宮ってどんな所なんだろうなぁ、とか考えていた。


 帝宮は帝都の中央の丘の上にある。丘と言うより、山というのが実情に近い。高さはそれほどでも無いけど、敷地が広大なのだ。その丘をぐるっと囲んでいる城壁にある壮麗な門から中に入ると、森林の中に通された道を進む。丘を蛇行しながら登って行く道の両側には森や、邸宅(離宮だそうだ)、美しい庭園が見えた。そして丘の頂上まではかなりの時間が掛かる。


 そしてまた城壁を潜ると、丘の頂上を平らに削った大庭園に出る。その奥に壮麗な帝宮本館が聳え立っているのである。


 はー。帝宮本館を見た私は馬鹿みたいに呆れたわね。だって、私の住んでいる公爵邸だって、帝都に建っている集合住宅を七件分集めたくらいには大きいのよ?


 それなのに帝都の大きさはそれ以上。というか、公爵邸と同じくらいの建屋が何棟も何棟も並んで建っているのだ。青い屋根と薄い緑色の外壁に金と銀で美しい装飾が施され、壁や柱には様々な彫像がくっついている。


 これは凄い……。私は正直、公爵邸が世界で一番大きくて豪華な建物だと思っていたので、驚きのあまり声も出なかった。呆然としている私を見てお母様はニコニコと笑っていたわね。


 帝宮の玄関口は三カ所あり、来賓用(公式行事、神事や、外国の使節を迎えるための大玄関)、貴族用玄関、そして通用口がある。ヴェリトン公爵家の馬車列は通用口に止まった。通用口というとアレだけど、ここは帝室の皆様と皇族のみが使用出来る家族用の入り口なのだ。ちなみに、一般的な出入り業者や使用人が使うという意味での通用口はちゃんと別にある。家族しか使わないからと、この入り口は小さく質素に造られているそうで、馬車を降りた私がお母様に手を引かれて潜ったそのドアは確かに拍子抜けするほど(貴族レベルでは)普通だった。これが来賓口は帝国の威信を示すためにもの凄く豪華になっている。


 帝宮の侍女や侍従が出迎えてくれて、公爵一家は奥へと通された。お父様、お母様、そして私だけだ。お兄様お二人とルドワーズは後でやってきて夜会の控室で合流する手筈だった。私はまず、皇帝陛下とお会いすることになっているのだ。


 これはこの数日前に急に決まり、お父様がお母様にそう告げると、お母様が目に見えて心配そうなお顔で私を抱き締めたのだった。


「そんな! 陛下が一体ニアに何の御用だというのですか! まさか養子入りの件を蒸し返すおつもりでは!」


 お父様も不機嫌そうな顔で仰った。


「そうでは無いようだが、エルファニアの事を見たいと仰せだ」


「夜会でご挨拶をすれば十分ではございませんか! 皇族には加えないのならニアは皇帝陛下とは関係ありませんのに!」


 お母様はプリプリと怒っていた。お母様は私を愛して下さっていたから、養子入りは認めるけど皇族にはしない、と決定した皇帝陛下の決定に随分と怒っていた。


 しかし、皇帝陛下の要請には逆らえない。公爵邸の人々やお父様お母様が朝から緊張していた理由はここにあった。お父様もお母様も、皇帝陛下が私と実際に会って、養子入りの件を蒸し返してくることを警戒していたのだ。それで、こんな子は公爵家の養子にも相応しくない、と言われないように、一際気合いの入った身支度をされたのである。


 帝宮の中を暫く歩いた。高い天井の廊下は非常に明るく、これは陽の光以外にも魔法の光も使っているからだ、という事だった。途中で通過する部屋やホールは公爵邸とあまり変わらなかったけれど、それはそもそも公爵邸が帝宮並みに豪奢だという事なのだ。


 そして最後に通された庭園に面した明るいサロンで、私達を立って出迎えてくれたのが薄茶色の髪をした、四十歳くらいの紳士だった。薄紫色のスーツを着ていて、緑色の静かな瞳で私の事をジッと見下ろしていた。お父様が頭を下げる。


「皇帝陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう」


 ……この方が皇帝陛下。ベルリウス陛下だった。私も教わった通りにカーテシーとしつつ、しげしげと皇帝陛下を見詰める。


 ……なんだ。普通のおじさんじゃない。というのが私の感想だった。下町では皇帝陛下なんて神様と同列に扱われる存在で、私はどんなバケモノが出てくるかと少し楽しみにしていたのだ。威厳はあるけど普通の人なんだもの。拍子抜けしたくらいだった。


 皇帝陛下の視線は冷たく厳しかった。それは私にも分かった。あからさまだったからね。そんな皇帝陛下の様子を見て、お母様は私の事を抱き寄せて皇帝陛下を睨む。皇帝陛下はちょっと驚いた様なお顔をして、そして苦笑しながら言った。


「アイリーヴェ。すまぬ。そう怒るな。その娘を見定めようとしただけだ」


「お兄様の目つきは怖いのですから気を付けて下さいませ! ニアが泣いたらどうしてくれるのですか!」


 皇帝陛下はお母様のお兄様であるらしい。つまりお母様は元々皇女殿下だったという事だ。流石は三大公爵家。皇族の地位を保つために、頻繁に皇女が公爵家に降嫁なさっているとは聞いていたけど、最も身近なお母様が皇女だったとは。


「ふむ。その娘がそう簡単に泣くものかな? 度胸は良いようだぞ?」


 皇帝陛下はそう言って私達を席を勧めた。


 お母様は妹。お父様も又従兄弟くらいの血の近さらしい。お父様は皇帝陛下の腹心だし、畏まるような関係では無いから、歓談は和やかな雰囲気だった。私はお父様お母様の間に挟まれ、お母様は私を抱き寄せている。溺愛を露わにすることで牽制しているのだろう。そんなお母様の様子を見て、皇帝陛下は苦笑していた。


「別にとって喰おうという訳ではない。だが、帝国の頂点である公爵家に正式な養子として入れるというのなら、ただの少女ではまずい。まして平民ではな」


「その話は済んだ事ではありませんか」


「しかし、今日の夜会に出れば必ずその事で其方達が難癖を付けられるぞ。その娘への風当たりは相当厳しくなることだろうな」


 皇帝陛下の仰っている事は私にも理解出来た。丁稚で働いていて、贔屓を受けている丁稚への嫉妬や憎悪は凄いものだったのだ。そこは貴族でも同じという事なんだろうね。


 私は身分低い平民以下の少女から、お父様お母様の依怙贔屓を受けて、全ての貴族を飛び越してその上に出ようとしているのだ。それは嫉妬されるし憎悪されるだろう。ここに来て私は初めてその事に思い当たってブルッと震えた。


 公爵邸ではお父様お母様、お兄様達とルドワーズ、そして使用人のみんなも温かく迎えてくれて、何の悪感情も感じなかったので、自分の身に降り掛かる負の感情に対して鈍感になっていたのだ。


 この状態で夜会になんて出たら、出席者からどんな感情がぶつけられて、どんな心ない事を言われるか分かったものでは無い。多分、どんなに作法に気を付けていても、一挙手一投足に悪罵が飛び、陰口と冷笑が飛び交うことだろう。


 一気に悪い想像が吹き出してしまった私は震えてしまい、それを見たお母様は慌てて私の事を抱き締めた。


「ニア! 大丈夫ですよ! 母が護ってあげますから! 貴女は公女なのですから無礼な態度を働いた者は不敬の罪で打ち首にしてしまえば良いのです!」


 私もお母様に抱き付いた。お母様の温もりでなんとか落ち着きを取り戻す。そんな私達を見ながら、皇帝陛下はまた苦笑なさった。


「本当の親子のようだな。要するにだ。その娘に公爵家が迎え入れるに足る何かが有れば良いのだ。魔力が多いらしいが、証明する方法はあるか? 魔法は使えるのか?」


 皇帝陛下が言うには、私が本当に公爵家に相応しい魔力量の持ち主であれば、慣例で魔力持ちの平民が貴族に迎えられる事は多いので、反感も少なくなるだろうということだった。それを聞いてお母様は力強く頷いた。


「そういう事であれば、夜会の会場で魔法を使って見せましょう。ニアの魔力を見せ付ければ、みな納得する筈です」


 お母様はお父様と皇帝陛下と話し合い、夜会の会場で私が魔法を使ってみせる事になった。お母様は大ホールのシャンデリアを一度全部消し、それを私が魔法で一気に点けてみせる事を提案した。皇帝陛下が驚いた。


「そんな事が出来るのか?」


 お母様は自信満々に頷いた。


「ええ。ニアなら出来ます。ね? 出来るわよね?」


 ……私は一度魔法の練習で、加減が分からず灯りの魔法を放って、公爵邸全部のシャンデリアや廊下灯を点けてしまった事がある。そんな事は普通は出来ないと、随分と驚かれた。あれに比べれば大広間がどれくらいの広さかは知らないけれど、出来ない事は無いと思う。逆に上手く加減して、ホールだけに魔法の範囲を留めておけるかどうかの方が問題だ。


 頷く私を見て皇帝陛下は感心したように顎を撫でた。


「確かにそれは規格外の魔力量だな。やってみせれば貴族たちの度肝を抜くことは間違い無いし、公爵家の養子に相応しいと納得させられるだろう。それでいこう」


 かなり後で、皇帝陛下にこの時の事を伺った。


 皇帝陛下は私の養子入りを承認した事で、他の二公爵家を始めとした大貴族達に随分と責められたのだそうだ。信頼する腹心と妹のたっての願いだったので承認したのだが、これほど反対意見が根強いと今後の帝政の行方にまで影響が出かねない。それで困った皇帝陛下はお父様お母様に再考を促そうとして私達を呼び出したのだが、あまりにも私が溺愛されているのを見て諦め、何とか私を貴族達に認めさせる方向へと方針を転換したそうだ。


 その時の皇帝陛下は私に向かって遠慮無くこう言い放ったわね。


「其方がそんなにも規格外の存在だと知っていたら、私も最初から悩まずに済んだのだがな」


 知りませんよそんな事。しかしながらその夜会でしでかしたことによって、私は一気に様々な事情に巻き込まれる事になるのだった。

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