第二話 ヴェリトン公爵家

 私ことニア(家名なんて無い)がヴェリトン公爵家の養子になった事情は、物凄く複雑である。


 私は当時、サンド商会という帝都のお店に年季奉公で売られてきて、丁稚、つまりお店の小間使いをしていた十歳の少女だった。


 故郷は帝都からはるかに離れた村である。二年前、父さんが死んで母さんが再婚する時に、継父によって売られたのだ。


 もっとも、農村で長男以外の子供が売られるのはよくあることで、私は売られたと言っても奴隷にされるでも娼婦になるでもなく、真っ当な商店に丁稚として売られたのだから継夫は配慮してれた方だと思う。


 年季奉公とはつまり、商店で丁稚として十年の年季を勤め上げて、それによって自分を買い戻す事だ。サンド商会はちゃんとしていたので、年季が明けるとそのままサンド商会で雇ってくれるか、他の商会に就職出来たらしい。店の雰囲気も悪くなく、恵まれた売られ先だったと思う。忙しい事はめちゃくちゃ忙しかったけどね。


 つまり、私は平民だった。いや、年季中はお店に買われて自由が何にも無い状態なので、半平民だったと言っても良い。


 そんな私は、普通なら何をどうしても、逆立ちしようがどうしようが公爵家の養子になどなれない。なれない筈だった。当たり前よね。


 それが何がどうしたものかいつの間にか私は公爵家の養女に収まってしまったのだけど、それには大きく分けて二つの理由があった。


 一つは私がお父様お母様に物凄く気に入られた事だ。


 ルドワーズを命がけで助けた私は、公爵夫妻にとてつもなく感謝され、そして私の身の上話を聞いた公爵様は「それなら家に来なさい!」と仰って、即座に私を公爵邸に連れ帰ったのだ。


 サンド商会には使いが行って、私の年季分のお金を払ってきたそうだ。金貨五枚だったらしい。


 何だかよく分からないほど大きな公爵邸(実際、しげしげと見る前にお部屋に通されたので、公爵邸の全貌を私が知ったのは大分後だ)に連れ帰られ、お風呂に入れて綺麗な服に着替えさせられ、美味しいおやつを食べさせてもらって、今までの固いベッドとは大違いの雲の上のようなフカフカベッドを与えられた。私はビックリしたんだけど、根が単純だから大喜び大はしゃぎして、その様子を公爵様とお妃様は満足そうに見ていたわよね。


 ただ、実はこの時、公爵様もお妃様も流石に私を養女にしようとまでは思っていなかったらしい。それはそうでしょうよ。


 どうやら、下級侍女にでも預けて教育を受けさせ、年頃になったら下位貴族か家臣の裕福な平民との良縁を結んでやろう、くらいに思っていたようだ。


 それでも平民以下の丁稚奉公人からすれば大出世だ。公爵邸の下級侍女は貴族出身だもの。もっとも、私はこの時まだそんな事は露知らない。公爵様が皇族の一員だ、なんてことすら知らなかったくらいだからね。


 ところが私は公爵邸に入ってから、お礼の意味もあったのだろう、公爵様やお妃様と食事をしたりお茶を飲んだりした、食べたこともない美味しい料理、甘いお菓子に私は大いにはしゃいだわよね。


 そんな私と触れ合っている内に、特にお妃が私をいたく気に入り始めてしまったらしい。公爵様も凄く優しくして下さって、可愛がってくれた。


 公爵家には公子、つまり男の子が三人いて、女の子がいなかった。だから女の子が新鮮だったということがまずあったらしい。


 それと実は一人、ルドワーズの一つ上に女の子が生まれた事があるのだそうだけど、その姫君エルファミアは生まれて数日で亡くなってしまっていたのだ。


 どうもお妃様はその亡くされた姫君と私を重ねて見始めてしまったようなのよね。「エルファミアが生きていたら貴女みたいだったかしらね」と涙ぐまれて、私が一生懸命に慰めた事もある。


 そうして交流していると私だってまだ母が恋しい年頃で、二年前に母と別れていて身分もあんまり理解していないから、どうしても公妃様に母を重ねて甘えてしまった。そうすると、公妃様もますます私を可愛がり、気が付くと私と公妃様は夜は一緒のベッドで寝るくらい仲が良くなってしまっていた。


 こうなると、もう公妃様は私を下級侍女に預けることなんて出来なくなり、身分を忘れて私の事を溺愛した挙げ句、最終的には「私が貴女のお母様になってあげます!」と言い出したのだ。


 もちろん、そんな事は出来るわけがないのだけど、本当はできる筈がないのだけど、公爵様もその頃には私をお妃様に負けないくらい溺愛し始めていたから、何とか私を娘に出来ないかと真剣に考え始めてしまったのだ。


 公爵様は有能だし大変お偉くて権力がある。公爵様に出来ない事はこの帝国にほとんど無い。なので本気で平民を養女にすると言い出せば、皇帝陛下と言えど止める事は難しかったのだと思う。まぁ、それでも公爵様と言えど実現するのが大変難しいほど無茶苦茶な事だったんだけど。


 その無茶苦茶な横車を押す上で、重要な鍵となったのがもう一つの理由。


 私の魔力だった。


  ◇◇◇


 魔力は、基本的にはお貴族様の力だ。魔法を使ったり、大地に注いで土地の収穫を増やしたりするのに使う。もちろん、この時の私は知らなかったけどね。


 平民にも稀に持って生まれる者はいるらしい。私も故郷で五歳の時に魔力量を神殿で測った。その時はごく普通の平民の魔力量だったと思う。


 で、公爵邸に引き取られてすぐ「一応」と私は魔力量をまた測らされた。多分、魔力量によっては使えない魔術具もあって、あんまり魔力が無いと下級侍女になった時に困るからだったのだろう。


 私は公妃様から透明な大きな宝石を渡された。これに触ると色が変わって、それで魔力の種類とか量が分かるのだそうだ。


 私は何も考えずに公妃様から優しく渡されたそれを両手で持った。故郷で測った時は、石はうっすらとした緑色に染まった筈だ。


 ところが、今回は手に持った瞬間から濃い緑色に染まり始めた。渡した公妃様の目が丸くなる。そしてどんどん緑が濃くなり、鮮やかな緑色に染まった後。カッと金色の光を放ったのだ。


 私は驚いて硬直したわよね。公妃様は慌てて宝石を私の手から取り上げると、私と緑色の宝石を交互に見て叫んだのだ。


「す、凄い魔力量だわ! それになんて美しい緑! 緑は大女神フェレミネーヤ様の色よ! 貴女にはフェレミネーヤ様の強い加護がある証拠よ!」


 公妃様のその叫び声を聞いて私がまざまざと思い出したのは、水の中の不思議な空間で出会った、あの性格の悪そうな女性の姿だった。


 ……どうもあの自己中女は本当に大女神様だったらしい。そういえば、彼女は言ったのだ。「貴女に私の力を与えます」と。それがどうやらこの魔力なのだろう。


 公妃様は興奮して私を抱きしめ、公爵様にも緑に染まった宝石を見せながら大はしゃぎながら報告した。公爵様は驚き、そして頷いた。


「大貴族にも滅多にいない魔力量だ。これなら、どんな貴族の養子になっても困ることはないだろう」


 平民でも、ごく稀に大きな魔力をもって生まれる者もいるそうで、そういう魔力持ちは貴族の養子に迎え入れられる事が多いそうだ。魔力は基本的には遺伝なので、突然変異的に大きな魔力を持った平民を血筋に取り入れて、一族の魔力量を増やしたいかららしい。


 私の魔力量は公妃様が興奮するくらい多いので、これなら下級貴族なら、平民出だと知っていても先を争って嫁に求めるだろう、と公爵様はこの時は考えたのだろう。


 それが公爵様も公妃様も私を溺愛してしまい、身辺から離したくない。いっそ自分たちの娘にしてしまおう! と企み始めた時、私のこの甚大な魔力量を強調する事を思い付いたのだった。


 公爵様は皇帝陛下に私が大きな魔力を持っている事を報告し、滅多にいないほどの魔力量があり、しかも大女神フェレミネーヤ様の強い加護を受けた私を公爵家に取り入れたい。非常に異例な事ではあるけども、平民出の私を養女にしたい、と相談したのだった。


 当たり前だけど大騒ぎになったそうよ。私は何にも知らず、その頃にはすっかり公爵家の姫扱いで、公爵邸のお庭を走り回っていたんだけどね。


 皇族たる公爵家に平民が養女に入るなど聞いたことがない! という意見がある一方、近年魔力が減る傾向にある中、突然変異の大魔力持ちである私を取り込みたいという公爵家の事情も分かるし、魔力持ちの平民を貴族が養子にして取り込む事は容認されている慣習である、という意見もあり、激しい議論が半年くらい続いたそうだ。


 そして最終的には皇帝陛下のご判断により、ヴェリトン公爵がそんなに強く願うのであれば良いだろうという事で、私が公爵家の養女になることが認められた、認められてしまったのだ。


 私はそんな議論があったなんて全然知らなかったけどね。その頃には私はとっくに公爵様はお父様、公妃様はお母様と呼んでいて、養子入りが正式決定した時はみんなでお祝いの宴を開いて喜んだのだけど、それにどういう意味があるのかは全然分かっていなかったわよ。


 後で聞いてよくもまぁ、そんな無茶苦茶な話が通ったわね、と思ったわよね。皇帝陛下の腹心であるお父様が随分と頑張って下さったのだろう。


 そんな風にしてなんと私は公爵家の娘になってしまった。名前は流石にニアでは短くてあまりにも平民ぽいという事で、死んだ義理の姉から名をもらって「エルファニア」となった。最後だけ変えて、愛称がニアになるようにしたのだ。


  ◇◇◇


 ニア改めエルファニア姫になってしまった私だったけど、だからと言って何が変わったという訳ではなかった。正式に養女になった頃には私はすっかり家族の一員になってしまっていたから。貴族名簿に登録する時に名前を変えたんだけど、以降も家族はみんな「ニア」って呼んでくれていたからね。


 もちろん、公爵邸に連れて来られた時は環境が激変し過ぎて緊張したわよ。だってそうでしょう? それまで小さなお部屋に二段ベッドが二つギュウギュウに詰め込まれた部屋に住み、朝は陽が登る遥か以前から働き出し、仕事が終わるのは陽が沈んでから。食事は朝晩二回でパンとスープだけ。お菓子なんて食べた事もない生活をしていたのよ? 私。


 それがお店の荷受け場より広いお部屋に住んで、牛でも寝るのかというような大きなベッドで寝て、ヒラヒラ可愛いドレスを着て、三人の侍女に世話をされ、毎日三回も豪華で美味しい食事をして更にお茶の時間に美味しいお菓子を食べ、何にも働く事もなく楽しく遊んで公妃様に甘えていればいい、という生活。


 正直、夢じゃないか? と思ったわよね。


 最初は、公妃様も少し緊張した態度だった(それは平民なんかと接した事はなかったんでしょうから)のだけど、すぐに私ととっても仲良くなり、私も公妃様が大好きになってしまったから「お母様と呼んで!」と言われて本当に嬉しかった。


 お父様もお優しくて、父とも継父とも全然違っていて、すぐに私は大好きになったわよ。この大帝国で三番目にお偉い方だなんて知らないからね。遠慮なく抱きついてお髭を引っ張ったりして甘えたわ。


 公爵家には男の子が三人いた。私が養女になった時には十五歳だった嫡男のアルベルト、十三歳のヴィルヘルム、そして末っ子で八歳のルドワーズだ。


 ルドワーズは金髪にグレーの瞳を持つ物凄く可愛い男の子で、最初から私を「ニア〜」と呼んで慕ってくれた。私も何しろ自分で救った子だし可愛くて仕方がなく、すぐに私たちは本当の姉弟みたいになった。


 アルベルト兄様は金髪に濃紺の瞳。背が高く、少しきつめの顔付きの美男子。最初は私を養女にすると言い出したお父様お母様に「そんな事が出来るわけがないでしょう!」と怒っていたわね。まぁ、当然よね。だから当初、私には冷たい態度だった。


 しかし私は構わず兄様に付き纏った。私は故郷にアルベルト兄様と同じ歳の兄がいて、その仲が良かった懐かしい兄とアルベルト兄様を重ねていたのだ。


 すると、元々心優しいアルベルト兄様は私が放っておけなくなり、なんだかんだ構っている内にすっかり私を溺愛するようになってしまった。最初の拒絶はどこへやら、最終的には「私の妹! どこへもやらないぞ!」と私を抱き締めて言う始末だった。


 ヴィルヘルム兄様は焦茶色の髪と水色の瞳でものすごく活発な少年だった。貴族らしくないといつも怒られていたほどだ。そんな兄様だから私への拒絶反応はほとんどなく、それどころか私が外で走り回るのが好きだと分かると目を輝かせた。


 そして私を連れ回して、広い公爵邸のお庭で存分に遊び倒したのだった。私はヴィルヘルム兄様より三歳年下だったけど、何しろ田舎でも帝都に来てからも働き詰めだったから体力がある。ヴィルヘルム兄様の全力疾走にも負けずに付いて行けた。兄様は喜んで、走り回るのから木登り、川遊び、乗馬などで私と一緒に遊びまくった。おかげで私はすっかりヴィルヘルム兄様とも大の仲良しになったのだった。


 優しく楽しい兄達、可愛い弟。素敵な両親。私は新しい家族を得て心底幸せだったわね。こんな幸運あるのかな? って何度も思ったわよ。それもこれも大女神様が聖女にしてくれたおかげだと思うと、ほんのちょっとだけあの性悪大女神様に感謝しても良いかも、と思えたほどだった。


  ◇◇◇


 私はヴェリトン公爵家の養子になったのだけど、この時点では私は「家督相続権の無い養子」だったらしい。


 どういう事かというと、もしも不慮の事故などで公爵家が私以外全滅するような事があっても、私には公爵家の家督を継ぐ権利が無いという事だ。


 そういう場合はヴェリトン公爵家は無くなり(家名は皇帝陛下預かりになる)、私はどこかの家に嫁に出される事になるという事だったらしい。私は皇族の血を引いていないので、単独では皇族になる権利がないという事なのだ。


 要するに私は公爵家の養子にはなったけれど、皇族では無いという扱いになったのだった。お母様はこの事について随分怒っていたみたい。お父様は養子入りするのが優先なのだからとお母様を宥めていたわね。


 流石に、平民を皇族にするわけにはいかない、という事だったのだと思う。後で事情を知った私でも無理も無い判断だったと思う。でもその割には嫁入り先が皇族なら皇族扱いされるのは、変と言えば変よね。そういう決まりなら仕方がないし、別に家督なんて継ぎたくないから良いけど。


 ただ、この辺の事情からは、皇帝陛下も貴族界も、バリバリの平民だった私を公爵家の養子にする事を、本音では認めたくなかったという雰囲気が伺える。それはそうよね。後から事情を知った私でも無茶苦茶だと思うもの。罷り間違っても私が公爵家を継いでしまう事が無いように、皇族になってしまう事がないようにと、特に制限を掛けたのだと思う。


 ところが、その辺の皇帝陛下や貴族界の感情なんてものが、一気に吹っ飛ばされてしまう事態がある時、起こるのである。

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